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わたくし、彼を振り向かせてみせますわ

 お兄様は、わたくしがウィルを気に入るだろうと言いました。

 それは予言だったのでしょうか。あるいはわたくしをよく知るあの兄の推理だったのでしょうか。


 まさしく、わたくしはわたくしの夫、ウィリアム・ウェストを大層気に入っておりました。それはもう、離婚の期日など来なければいいと願うほどに。

 ――そう。わたくしの目的を遂げるためには、離婚など、決してしてはならないのです。

 ウィリアム・ウェストがわたくしを心から愛し、離したくないと願わなくてはなりません。他の何を犠牲にしても、わたくしだけが大切であると、心から思わなくてはなりませんでした。

 

 叔父様のお考えはこうでしょう。

 結婚の契約は、神への誓いの他に夫婦の契りがございます。この二つと実生活が成り立って初めて周囲は夫婦だと認めるのです。

 けれどわたくしとウィルの間に、夫婦の関係などあるはずがありませんでした。だってわたくしに手を出したら、ウィルはお金を貰えないどころか、最悪は命の危機――少なくとも職を失いかねません。


 けれどそれも、露呈しなければなんの問題もありませんでしょう?

 そのためにはやはり、彼ともっと近づいておかなくてはなりません。


 ある日、ウィルの用意してくれた食後のお茶をいただきながら、わたくしは思いつき、小雨が柔らかくちらついている窓の外を見ながら、話しかけました。


「ねえウィル。今日の夜は空いていて?」


 わたくしの向かいに座る彼は、ちらりとこちらに目を向けました。


「予定らしい予定は、この地に来てからありませんよ。空いています」


 そのあまりにも完璧な灰色の瞳を見つめていると、わたくしは考えていた台詞が飛びそうになります。


「あっ……えーと。あの……」


 顔が熱くなるのを感じ、慌てて平静を取り繕います。


「外に行きたいのですけれど、一人では危ないでしょう? ついてきてくださらないかしら」


 ウィルは窓の外に目を向けてから、再びわたくしに視線を戻しました。その表情には疑問が浮かんでおります。


「このような天気ですよ。何をしに行くというのです」


 小さく咳払いをしてからわたくしも答えます。


「このあたりには魔力溜まりがあって、雨が降る日の夜は魔力蛍がいるのですわ。昔、兄妹三人で、こっそり見に出かけたのです。それをまた見に行きたくて」


 一瞬だけ、ウィルの目が、普段の感情を抑えた従僕のそれから好奇心旺盛な青年そのものに戻ったような気がしました。


「自然界にある魔力が蛍のように発光するという、あれですか? この領地でそれが見えるのですか!」


 彼が喜んでくださったように思えたので、わたくしは嬉しくなって、何度も頷きながら答えました。


「はい、見えるのですわ! それで、ご一緒にいかがかなと思って。ウィルは魔法が使えるでしょう? 魔法に関する知識も豊富ですし、珍しい現象ですもの、きっと見たいだろうと思ったの」


 けれどウィルの顔は、またしても従順な家臣の顔に戻ります。


「ですが、ハイマー様には余計なことを一切するなと言われております」


「けれど先日はお花畑を見せてくださったではございませんか」


 あれを余計なことだとは思っておりませんけれど、わたくしは、更に言いました。


「そのことを密告されたくなければ、今日もぜひ、一緒にいてくださいまし」

 

 しばし、思案するような間の後で、ウィルは静かに頷きました。

 結局、折れたのはウィルの方でした。



 夕闇の中を、わたくし達は一頭の馬に乗って移動しました。

 わたくしの背中には、ウィルがおり、片手で手綱を、もう片手で傘を差しておりました。おかげでわたくしは雨に一滴も濡れることなく目的の場所まで到着します。


 

 温かな小雨でした。

 薄く霧が包む森の中、多くの領民の姿が見えました。

 彼らはわたくし達の姿を見ると、皆口々に、にこやかに声をかけてくださいます。ウィルとも顔見知りのようで、親しげに会話を交わしております。

 どなたかが持ち込んだ楽器が奏でられ、陽気な人々は踊っておりました。さながらお祭りのようです。


 やがて、小さな黄金色の光が、地面からふっと現れました。その光に触発されるように、またひとつ、ふたつ、と輝く光が出現します。

 皆が歓声を上げました。わたくしの隣で、ウィルが小さく息を呑む音も聞こえました。


 光は無数に出現し、空気に乗って周囲を存分に楽しんだあと、ゆっくりと空に上って消えていきます。まるで星空の中にいるようでした。


 ずっと小さい頃のことを思い出しました。

 わたくし達兄妹もまだ本当に仲が良かった頃、こうしてこの光を見に来たものです。わたくしとレティシアはこの光が大好きで、ジャスティンお兄様の手を引いて、音楽に合わせて踊ったのでした。

 けれどわたくし達の間に、二度とそのような絆は生まれないでしょう。わたくし達は貴族として、それぞれの欲のままに生きるようになってしまったのですから。


 今、目の前には、当時のわたくし達のような子ども達もいて、楽しげに歌い、踊っております。そのうちの一人が、ふいにわたくしの方へやってまいりました。


「メイベル様も踊りましょう!」


 頬の赤い、可愛らしい少年でした。小さな紳士のお誘いです。淑女のわたくしが、断るはずもございません。ですから差し出された少年の小さな手に触れ、ウィルの傘を抜け出しました。


「メイベル様、濡れてしまいます!」


 焦るような声を出すウィルに、わたくしは笑いかけました。


「ウィル! あなたもこっちへいらっしゃい!」


 数多の光が、ウィルの目の中に輝いていました。瞳の奥に、わたくしが映っておりました。

 迷っていた様子のウィルでしたけれど、なおもわたくしが手を向けると、観念したのか傘を閉じ、皆の踊る光の中へとやってきました。


「わたくしと踊ってくださいますか?」


 微笑みかけると遠慮がちに、わたくしの手に彼の手が重ねられます。そうして次の瞬間には、強く引き寄せられました。


「きゃあ!」


 怒りさえ感じるような勢いでした。けれど手つきは、壊れ物を扱うかのように優しいものです。

 賑やかな音楽と楽しげな領民の中、黄金の光はわたくし達を祝福するかのように輝き続けます。なのに、何がそれほど難しいのか、彼の表情は固く、どちらかというと険しいものでした。


「楽しくないのですか?」


「ご命令ですから踊るのです」


「先日のお花畑は命令しておりませんわ」


「家臣にあるまじき差し出がましい真似をしてしまったと、後悔しているところでした」


 なんともつれない返事です。けれどもダンスは実に見事なものでした。

 あっという間に踊りの主導権は彼に移ってしまいます。心の底から、わたくしは感心しました。


「踊りなんてどこで覚えたんですの?」


 ウィルは真面目な表情で答えます。


「ハイマー様に従って出かけるパーティで、時折、女性にせがまれましたから」


 心の中がチクリとしました。

 ではこの彼の踊りを堪能し、彼の魅力に気付いている女性が、わたくしの他にもいるということです。彼のこの踊りを知っている人間が、わたくしより以前に存在しているということです。

 それはまさしく嫉妬でございましたが、この完璧な令嬢メイベル・インターレイクが、他の女性にやきもちを妬いているなどということを表すわけにはいきませんでした。

 だから、代わりに言いました。


「ではウィル、抱き寄せてキスしてくださいまし」


「できません」


 きっぱりと断られてしまいます。

 

「意気地なしですわね?」


 そう言って笑いかけましたが、彼の表情にはまるで変化はありませんでした。


 少しだけ、その考えがわたくしの心をよぎります。

 ――もしかして、本当に、もしかして。ウィルはわたくしにちっとも興味がないのでしょうか。

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