最終話 だってわたくし、悪女ですもの
わたくしはお城からウィルの待つ我が家へと歩いていきました。暗がりに包まれる家々には、徐々に明かりが灯ります。
石畳の路は少しずつ土に代わり、街外れであることを示していました。
初めてここを訪れたのは、結婚のために領地へ向かう日のことでした。
正直に言うと、あの日、わたくしはとんでもなく緊張していたのです。だって初恋の大好きな人と一緒に暮らせる幸運を掴み取ったのですから。下手を打って呆れられたら、好きになってもらえなかったら――そんな不安に押しつぶされてしまいそうで、けれど一方では期待に胸が弾んでいたのです。彼との暮らしを思い描いては、どれほど素晴らしいものだろうと夢を見たのです。そうして実際の暮らしは、そんな想像を遥かに越えた幸福なものでありました。
わたくしの心は今、その時と同じように弾んでいました。とてもとても楽しくて、人目も気にせずスキップしました。
だって道の先にはわたくしの家があって、家の中にはわたくしの愛おしい人がいて、わたくしの帰りを待っているのですから。
家の扉を開くと、驚いた表情を浮かべるウィルが一人でテーブルに着いておりました。わたくしを見るとすぐさま立ち上がり、手を引いて中まで入れてくださいます。
「メイベル様、お戻りは明日の朝かとばかり思っていました」
心地の良いウィルの声を聞くだけで、嬉しくなります。もしわたくしが犬だったなら、喜びで振りすぎた尻尾が千切れてしまっていたでしょう。
「会いたくなってしまって、パーティを途中で抜け出して来たんですの」
わたくしがそう答えると、ウィルが目を細め、しかしすぐに表情を引き締めていました。
「使いの者をくれたならお迎えにあがりましたのに。次からは俺を呼んでください。危ないですから」
「次からは、こういう集まりの時は一緒に行くのです。夫婦なのですから」
一瞬だけ間が空いた後で、「そうですね」とウィルは今度こそ笑いました。
彼がお茶をいれてくださったので、それを受け取りながら、ソファーに二人で並びます。
「ウィルお一人ですか? キースさんとマーガレットさんは奥のお部屋でお休みですか」
尋ねると彼は答えました。
「メイベル様が帰ってくるから、二人共とても喜んで、今買い物に出かけていますよ。マーガレットの思いつきで、家の中を飾るために必要なものを買いに行っています。キースは食材を。あいつは料理を作るんだそうです。
メイベル様が明日戻ると聞いていたので驚かせるつもりでしたが、そうもいかなくなってしまいましたね」
「それでは一緒に飾りつけをして、一緒に料理をしましょう。その方がきっと楽しいですわ」
ソファーに並ぶと肩と肩がふれあいました。置いた手に、ウィルの手が重なります。それをわたくしも握り返しました。指と指が絡まって、彼の体温を感じました。
「城では大変な騒ぎだと聞きましたよ。ユーシス様がどうの、だとかで」
これにはわたくしも驚きました。
「噂が随分早いのですね。たった数時間前ですのに」
「下町は噂好きが多いですから。それに王侯貴族は常に注目の的ですよ、俺とあなたのことも、知れている」
「では街中の公認の仲ということですのね」
ウィルが声を上げて笑ったので、わたくしの機嫌は、やはり俄然良くなります。
そうしてその時になってテーブルの上にいくつかの紙が置かれていることにやっと気が付きました。わたくしが来るまでウィルが見ていたものでした。
「何を見ていらしたんですの?」
ああ、とウィルは返事をします。
「仕事を探そうと思って、雇ってくれそうなところを数件回ってきました。一番条件がよいところにしようかと思っていて――」
「宮廷魔法使いの職が空きました」
仕事と聞いて、そのことを思い出しました。脈絡のない話だとでも思ったのでしょうか。ウィルは不思議そうにわたくしを見つめます。
「ハリー・ホール様という方がいらっしゃったのですが、ユーシス様と一緒に北地へ派遣されるようなのです。それで、お偉い方が後任をお探しでしたので、わたくしの夫を推薦したら、ぜひ会いたいとおっしゃってくださいましたわ。明日にでも、一緒にお城に参りましょう」
そう言っても、数度の瞬きの他には、ウィルの反応はありません。わかりにくかったかと思い、言い直しました。
「わたくしの夫というのは、ウィルのことですわ!」
「それは……分かっているのですが」
分かっているのなら、もっと反応をしてくださってもよろしいのに。
ウィルは眉間に皺を寄せながら、考え込むように言いました。
「まさか、とは思うのですが。あなたはそれでは、宮廷魔法使いの職を空けるために、ユーシス様を追い出したのですか。
ユーシス様を排斥すれば、その側近もろとも席が空くと、見越していたということですか? 待ってください、そもそもどうやってユーシス様を追放させたのですか? どこから……というかいつから仕込んでいたのですか。なぜそんなことが可能だったのですか。全ては、あなたの手のひらの上だったということですか?」
流石はウィルでした。断片的な情報から、こうして導き出してしまうなんて。
わたくしはウィルのためならば、どんなことだってできるのです。
「当然でしょう?」
わたくしは更に愉快になりました。
「だってわたくしは――」
けれども言い切る前に、丁度玄関の扉が開いて、キースさんとマーガレットさんが帰ってきました。
出迎えるために立ち上がり側に行くと、お二人共驚いた顔をしましたが、キースさんがわたくしを見て笑い、マーガレットさんが飛びついてきたので、わたくしはふたりごと思い切りぎゅうと抱きしめました。
二人の笑い声が響く中、まだソファーの考え込んでいるウィルに向かい、にこりと笑ってみせました。
――だってわたくし、悪女ですもの。
幸せに貪欲で、欲しいものを決して諦めない――まさしく、わたくしは悪女ですもの。
言葉にはしなかったのですが、ウィルには何故か伝わったようです。
彼もやがて吹き出して、そうして立ち上がると、弟妹ごとわたくしを抱きしめてくれたのでした。
もし幸福の形が見えるのならば、それはきっとこういう形をしているのではないのかしら。
一つの塊になった家族の中で、わたくしはそんなことを考えておりました。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます!
本編はこれで終了ですが、もう一話だけウィルがメインのエピローグがあります。ここでキレイに終わっておきたい方は、ここでおしまいでも問題ありません。
でも最後まで読んでいただけたらとても嬉しいです。




