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わたくし、夫に会いますわ

 夫は城を出た先、橋の上で二頭の馬と共に佇んでおりました。何の身分もない男性。着ている服もお世辞にも質の良いものとは言えませんし、ところどころ傷んでいます。

 焦げ茶色の髪の毛はウェーブがかって、後ろでひとつに束ねられています。それが彼の側にいる馬の尾に、よく似ていました。


 彼こそが、叔父様の家の使用人、ウィリアム・ウェストです。腹心と言ってもいいほどに、信頼されている人間でした。

 わたくしに気がつくと、彼は一礼いたしました。近くで見ると、なかなか整った顔立ちをしています。髪を整え、きちんとした服を与えれば、貴族のご婦人方の人気者になりそうです。

 わたくしは彼に話しかけました。


「こんなところで、何をしていらっしゃるの?」


「妻を迎えに参りました」


 無機質な返答でしたが、思わず微笑んでしまいます。


「ではあなたがわたくしの夫ですのね? ウィリアムさん、ウィルと呼んでよろしいですか?」


「お好きにどうぞ」


 そっけない返事です。

 夫婦の対面だというのに、愛情も幸福も彼にはないようでした。


「わたくしと結婚できるなんて、あなたは運の良い男性ですわ」


 彼は黙り込みました。青みがかった灰色の瞳がじっとわたくしを見つめたかと思うと、次の瞬間、馬の上に抱え上げられました。


「きゃあ!」思わず叫んでしまいました。門兵たちがこちらを見ます。


 すかさずウィルはもう一頭の馬に乗りました。


「参りましょう、メイベル様」


 慌ててわたくしは言います。 


「待って、わたくし、一人で馬に乗ったことなんてないの。あなたが後ろで支えてくださらないと、とても領地へたどり着けません」


 一瞬、ウィルは躊躇いがちに目を伏せました。


「ですが――」


「領地に着く前に落馬で妻を死なせたとあっては、あなたの立場にも関わることではないのですか?」


 なおもわたくしが言うと、彼はおずおずとわたくしの後ろに乗りました。

 細身に思えましたのに、彼の体はすっぽりとわたくしを包みこんでしまいました。体温と彼の匂いを感じ、ほんの少しだけ、安らぎを覚えます。


「これでよろしいですか?」


 彼が話すと、息がわたくしの髪にかかりました。


「ええ、完璧ですわ」わたくしはそれだけ答えておきました。



 

 てっきりこの足で領地に向かうものと思っておりましたが、自分の家に寄りたいのだと、彼は言いました。


「俺にとっても突然の話で、大した準備も出来ずにあなたをお迎えにあがりました。物を取りに行きたいのです」


「領地に行ってから準備をしては遅いのですか? わたくし、ユーシス様の気が変わらないうちに、早く王都を出たいのですわ」


 わたくしが小さく抗議をしても、彼は静かに言うだけでした。


「弟と妹にも、別れの挨拶をしておきたいので。すぐに終えますから」


 わたくしとは違って、きょうだい思いの彼なのです。

 ウィリアム・ウェストは、両親と死別しております。弟さんと妹さんだけが今の彼の家族で、三人で王都の外れに住んでおりました。

 市井の方々の暮らすお家の小ささに驚きながらも、わたくしも中へと一緒に入ります。外観と同じく質素な部屋の中でした。

 

 わたくしが興味深く周囲を見回していると、ウィルは困ったように眉を下げました。


「びっくりしたでしょう? あなたの部屋の広さに、家族三人で暮らしているのですから。座って待っていてください」


 そう言ってから奥に引っ込み、そうして何やら言い合うような声がしました。

 準備とは喧嘩のことですの? せっかく座った椅子から立ち上がり、何事かと、わたくしは奥を覗き込みます。

 けれど深く覗く必要はありませんでした。荒げている声の主が、やってきたからです。

 

 出てきたのは、ウィルよりも背の低い、彼に雰囲気の似た少年でした。その後ろからは、さらに幼い少女が不安そうな表情を浮かべながらやってきました。やはり彼女も、ウィルに似ているように思います。

 ウィルも出てきて、わたくしに言いました。


「弟のキースと、妹のマーガレットです。弟は十四、妹は十一です。二人共、ハイマー様の姪の、メイベル様だ。挨拶しなさい」


「はじめまして――」


 マーガレットさんが頬を染めながらわたくしにそう言いかけた瞬間、キースさんが声を荒げました。


「ふざけるなよウィル! あんた、結婚まであの貴族の言いなりになるつもりなのか! 俺とマーガレットを捨てるなんて許さないからな!

 それに、あっちの縁談はどうなったんだよ! そっちで進んでいたじゃないか!」


 どうやらウィルの弟は、この結婚に相当ご立腹のようでした。

 けれどどんなに彼が嫌がっても、わたくしとウィルは結婚するのです。


「これは良縁だと思いますわ。お兄様は必ず幸せにしてみせます」


 わたくしは彼を宥めようとそう言いましたが、こちらを見もせずに、彼は兄に詰め寄りました。


「俺たちを置いて、田舎へ越すんだろ。子供二人でどうやって生きていけというんだ!」


「落ち着けキース、捨てるなんて一言も言っていないだろう」


 ウィルがそうキースさんに言う隣から、わたくしも声をかけました。


「わたくしは幼い頃から兄妹だけで生きてきましたわ。十四歳なんて立派に自立した大人です」


 そこで初めてキースさんはわたくしを見ました。その目は異物を決して認めないとでも言うように、存分に敵意を含んでいましたけれども。


「それはあんたが、金に困ったことのない貴族だからだろう!」


「お金が必要ならあなたが働けばよろしいのでは?」


「俺には学校がある!」


「ウィルは幼い頃から弟と妹を養うために働いていたのですよ。学校へも行かずに。あなたもそうしたらいいのです」


 お前――! と、キースさんが更に声を荒げそうになった瞬間、ウィルが言いました。


「金は送る。それに、三ヶ月だけだ。そうしたらまた王都に戻る」


 彼の言葉に、びっくりしたのはわたくしの方です。


「――え? 三ヶ月だけ?」


 問うと、ウィルは頷きました。


「ハイマー様は俺にそうおっしゃいました」


 三ヶ月? わたくし、聞いておりません。きっとわたくしには、無期限の懲役だと伯父様は思わせたかったのでしょう。

 ほっと安堵の息を漏らしたキースさんに向かって、わたくしは溜飲が下がらずに、思わず言ってしまいました。


「あなたのような子供に対して、平民の方がよく言う言葉がありましたわね。なんでしたっけ? ――あっ、そうそう、クソガキでしたわ」


 優しく微笑みかけると、キースさんは顔を引き攣らせてぼそりと言いました。


「くそ女」


 上等ですわ。罵られてこそいい女なのだと、あなたもいつか気づく日が来るのでしょう。

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