わたくし、戦いたいですわ
しばらくセレナ様をぽかんと見つめていたユーシス様でしたが、やがて大声で笑い始めました。
「頭の悪い妹だ! いいか? お前は女で、二番目に生まれた子供だ。男で、一番初めに生まれたこの私に、どうやって勝つつもりでいるというんだ? お前はこの私より、遥かに劣る存在だ。天地がひっくり返ったって、王になれるはずがないんだよ!」
ユーシス様の笑い声につられて、アリエッタ様や他数名の方が同じように笑っています。けれどもセレナ様は怯むどころか、更に一歩ユーシス様に詰め寄りました。
「わたくしはお兄様よりも格段に頭がいいし、外交だって積極的に行っているわ! 成人したらこの国の隅から隅まで数年かけて周る計画だってもう立てているのよ! お兄様はそんなこと、思いもしないでしょう? お城で女性を侍らせることしか考えていませんものね! だからそんなにお太りになっているんでしょう!」
その発言に、会場から忍び笑いが漏れます。
ユーシス様は顔を不愉快そうに歪めました。
「ははぁ。お前、恋する男に相手をされないからって、女に苦労しないこの私に嫉妬しているんだな? それともアリエッタがジャスティンをからかったのが、気に入らなかったのか?」
まあ! まったく、人々の前で、いたいけな妹の恋心を暴露する兄がどこにいるのでしょう。ジャスティンお兄様だってもう少し人の心があるくらいです。
当のジャスティンお兄様を見ると、隣にレティシアを伴いながらも、両手を腰に当て、勘弁してくれとでも言いたげに下を向いておりました。あるいはこの場をどうやって上手く切り抜けようかと考えを巡らせているのかもしれません。
セレナ様はお顔をますます真っ赤にされ、叫びました。
「とにかく、これはお父様とお母様にご報告いたしますから!」
そのままの勢いで、会場を飛び出していきます。わたくしは慌てて後を追いかけます。
「セレナ様! お待ちくださいまし!」
けれどもお兄様に腕を掴まれ止められました。いつになく真剣な表情をしています。
「僕が行く。お前はレティシアに付いていろ」
そうしてお兄様は、セレナ様の後を追いかけていきました。
「一体、なんだって言うの?」
レティシアが眉を顰めましたが、わたくしは頭を働かせました。このもつれた宮廷の恋模様を、どのようにして解くのが一番良いでしょうか。
すっかり白けてしまった会場にそのままいる気にも慣れず、アリエッタ様とユーシス様のご様子も観察できたので、わたくしはレティシアと二人、それぞれの部屋へと戻りました。
明日こそ、どうにかしてウィルと連絡を取らなくてはと、文机に向かいながら考えているとき、扉がノックされました。聞こえたのはジャスティンお兄様の声です。
「メイベル、入るぞ」
「どうぞ?」
お兄様への怒りはありましたが、セレナ様のご様子も聞きたかったので、机の上の紙を本で隠した後、素直に招き入れました。
入ってきたお兄様は、不機嫌を隠そうともせず、むすっとした表情を浮かべておりました。
「セレナ様のことを、わざわざ伝えに来てくださったの?」
「違う。今日ばかりは、お前に文句を言う権利は僕にもあるはずだが」
言いながら、わたくしの向かいの椅子にどかりと座り込みます。その表情は明らかに疲れ切っておりました。
「珍しく彼女は泣いていて、落ち着くまで慰め続けたんだぞ。姫殿下を僕に差し向けたのはお前だろう?」
「今日はお誘いしていません」
「今日の話じゃない。今日は彼女、お前が来ると聞いてやってきたんだそうだ。まったくエドワードにしろ姫殿下にしろ、お前、妙なところに人望があるな?
……ともかく、今日じゃなくても、近頃、彼女は僕を茶会に誘ったり、僕の好物を届けさせたりと忙しない。お前と彼女、二人で話した翌日からだぞ。僕はなんとか、のらりくらり交わし続けているが、そろそろ限界だ。王女に恋をされるなんて、思ってもみなかった……」
頭を抱えるお兄様に驚いて聞き返しました。
「まあお兄様、彼女の恋心に気づいているの?」
「気づかん馬鹿がどこにいる?」
鈍感だと思っておりましたが、ご自分の立場を危うくさせる出来事には、確かに昔から敏感なお兄様です。
「なら、想いを受けて差し上げたら?」
わたくしが言うと、お兄様はさっと青ざめました。
「冗談はよせ! 僕に王女の婚約者は無理だ、そこまで高く登り詰めなくて良い! セレナ様をお前だって知っているだろう。ユーシス様が大きな赤ん坊だとしたら、彼女は真逆だ」
「つまり?」
「――つまり、小さな淑女」
「ならばなおさら良いではありませんか。美人ですし、あと数年もしたら、世界中から縁談が絶えなくなりますわ」
「確かに彼女は美人だよ。だが賢さのある女は苦手だ、お前やレティシアくらいが丁度いい」
まあ、なんと心外な言葉でしょうか?
「わたくしたち、それなりに知恵はあるつもりですわ」
「悪知恵はな……。ともかく、僕が愛する女は、愚かで面倒事ばかり起こす二人の妹だけだ。二人に手がかからなくなったら、自分のことを考える」
お兄様の中でわたくしたちは、未だ幼い少女のままなのでしょうか?
「でも、彼女が泣き止むまでお側にいたなんて、見直しましたわ」
「僕を何だと思っているんだ。一応、女の子は大切にしているつもりさ。特に、僕に気がある女の子はね――」
そういう態度がご令嬢達をさらなる深みに嵌まらせていることには無頓着なようでした。
お兄様は、ふと顔を上げ、文机の上を見ます。
まさか、気づかれた?
焦りを悟られないように、ゆっくりと本ごと紙を取ろうとしたときです。それよりも素早くお兄様が立ち上がり、それを取り上げました。
それは、キースさんが通う学校宛の手紙でした。ウィルの家宛の手紙が見張られているのなら、別の場所へと送ろうと考えていたものでした。
「仕方がないじゃありませんか! お兄様ったら、わたくしから自由を奪うんですもの!」
文句を言われる前にそう言うと、お兄様は眉間に皺を寄せ嘆きました。
「どうしてお前たち二人とも、僕の言うことを聞いてくれないんだ。メイベルはエドワードと結婚して、レティシアは王妃になる。これ以上ない幸運だぞ? 一体何がそれほど不満なのか、僕には全然分からない!」
それこそわたくしには全然分からない言葉でした。
「地位のある男性と結婚することが幸せだと本気で思っているのですか?」
「女の幸せが他にあるか?」
「ありますわ」
「なんだよ」
不機嫌そうに問うお兄様に、静かにお答えいたしました。
「夢を叶えること」
レティシアは頭がいい子でした。恋以外の道もあるはずでした。子どもの頃は上級学校へ進学したいとあれほど言っていたのに、いつの頃からか、わたくしに張り合うように、恋ばかり追いかけるようになりました。けれどそもそものきっかけは、勉強など無駄だと、叔父様に言われたことでした。
魔法の才能にも、勉学の才能にも恵まれていたあの妹だって、夢を奪われたのです。
束の間、言葉が出てこないようなお兄様でしたが、やがて悲しげに微笑みました。
「馬鹿みたいだ」
何が馬鹿なのでしょうか。お兄様は、ゆっくりと椅子に座り直します。
「サイラス叔父がいる限り、お前たちだけじゃない、僕にだって自由なんてない。夢を叶えるだなんて、それこそ夢物語だ」
だとしたら、やることは決まっているように思えました。
「では道は一つしかありません。叔父様を倒しましょう。伯爵位は本来ならお兄様が持つべきものです。取り返すのですよ!」
誰しもが願ったように生きなくては、そもそも生きている意味がありません。
けれどお兄様は小さく笑い、言うだけです。
「僕には無理だ」
諦観のようにも感じる笑みでした。
「僕は降りる。戦いたいなら勝手にやってくれ。このクソみたいな世界の中で、お前たち二人だけは愛しているが、これ以上は付き合いきれない。サイラス叔父と対峙してみろ――殺されるぞ。僕らの両親のように」
「ではお兄様も、叔父様が殺したと思っているのですね!」
わたくしと同じ考えだったなんて!
協力できるかもしれませんでした。
「他に誰がいる? ウィルが実行したにせよなんにせよ、企んだのは叔父しかいない」
当然の事実だとでも言いたげなお兄様に、わたくしは驚愕いたしました。叔父様がわたくしたちの両親を殺したと知っていてなお、なぜ平常心でいられるのでしょうか。
「なぜ怒らないのですか! なぜ戦わないのです? お兄様もウィルだって、理不尽な目に遭わされたら戦うべきです! 奪われたのなら、奪い返さなくては!」
「僕にはできない。不可能だ。あの叔父は恐ろしすぎる。お前だって、ウィルの家から素直に戻ってきたのは、サイラス叔父がいたからだろう。僕ら三兄妹の誰かが刃向かえば、残り二人共々葬り去るような人だぞ。少しの良心の呵責も、慈悲も、迷いもなくな」
わたくしが口を開く前に、お兄様はなおも言いました。
「いいかメイベル。この世で上手く生きていきたかったら、耐えて耐えて、道化に徹しろ。自我など持つな。幸せを追わないことこそ幸せだと、お前だっていつか気づくさ」
淀んだ瞳に思えました。
ウィルもこんな目をしていました。すべてを諦めたような暗い目――。わたくしは、この目がひどく嫌いなのでした。




