わたくし、一波乱の予感ですわ
お城では、例の第十皇女様――お名前はアリエッタ様という方ですけれど、その方の歓迎のパーティが、主にユーシス様のご提案で連日続いているとのことです。
そのせいでしょうか。わたくしがいた頃のお城よりも、人々は浮かれ、忙しなく往来しておりました。けれど廷臣たちの中でレティシアに挨拶をする者は少数です。お城の中の人間関係が、再び変わったのだと思いました。
わたくしがレティシアにお願いしたのは、そのパーティに参加したいということでした。
「あの女がいる場所に行くなんて、みじめになるだけよ! 絶対に嫌!」
レティシアはそう言いましたが、微妙な立場のわたくしが、誰のお供でもなくそのような場に参ることは、宮廷の慣習に反することでした。お兄様やエドワード様の同伴として行くのも気が進むものではなく、レティシアの侍女として参加することが最善だったのです。
アリエッタ様がどれほどこの宮廷で幅を利かせているのか、それを見極めなくてはなりませんでした。
胡散臭そうにわたくしを見つめていたレティシアでしたが、やがてしぶしぶ、と言ったように頷きました。
パーティは、夜、広間で行われておりました。
さほど広くはありませんが、多くの若い貴族たちが集まり、音楽隊もおり、大変賑やかな様子です。人々の中心には、相変わらずお太りになられているユーシス様がいて、その隣に寄り添っている美しい黒髪の色白の女性は、間違いなくアリエッタ様でした。
彼女は、広間に入ってきたわたくしを見ると、余裕の笑みを浮かべます。
「まあメイベル、家出をしていたと聞いたけど、ようやく戻る気になったの? レティシア様も、今日はお体の具合がよろしいのですね? いつもわたくしがいる時は、姿がお見えにならないのに」
大いに毒を含んだ甘い声でした。
彼女とはユーシス様と婚約していた頃にも数度顔を合わせている間柄でした。彼女がユーシス様に気のある素振りを見せていて、ユーシス様も悪くは思っていない様子であることは、当然以前から知っていることでございました。
わたくしもにこりと微笑み返し、何かひと言言おうかと口を開いた瞬間です。さっと目の前に人が現れました。
「やあ、可愛い妹たち! この場所に来るなんて珍しい、二輪の花が現れたのかと思ったぞ! ――せっかくだ、踊ろう!」
やけに明るい声色でそう言ったのは、ジャスティンお兄様でした。わたくしが文句を言う前に、さっと手を取ると踊りの場へと駆り出します。
そうして耳元で低い声で囁いてきました。
「余計なことをするなよ。何しに来た?」
どうやらお兄様はわたくしがアリエッタ様に喧嘩をふっかけるのを防いだようです。いくらわたくしといえど、大人数の面前で大人気なく嫌味を言うような真似はしないつもりでしたのに。
「気が向いたので来たのですわ。――それにわたくし、まだお兄様を許していなくってよ」
お兄様は周囲に向けた笑みを崩さないようにしながらも、さらに低い声を発します。
「言っておくが、僕はお前の味方だったぞ。お前を庇った」
「いつ? 覚えがありません」
「あのボンボンに――もとい、エドワードに、お前がウィルの家にいるはずがないと言った。僕は十中八九、いるならそこしないと踏んでいたけどな。少しの間の結婚生活は楽しかっただろう? 僕のおかげだ」
腹が立って蹴ろうとしましたが、分厚いドレスがそれを阻み、結局布を少し揺らしただけでした。
「そんなこと全然、頼んでおりません。余計な気を回していただき、ありがとうございました」
「そんな憎まれ口も可愛いよ。お、お前の恋の相手が来たぞ」
お兄様が目を向けた方向では、丁度、エドワード様が入っていらっしゃるところでした。わたくしたちを見て、嬉しそうに笑います。
「今度こそ上手くやれよ。僕はレティシアと踊るから」
レティシアは壁際で落ち着きなく周囲に目を向けています。お兄様が妹のところにいくと、少しだけ笑顔になっていました。
そうしてわたくしの元へは、エドワード様がいらっしゃいます。わたくしに手を差し出し一礼しながら、こう言いました。
「このパーティの評判はあまりよろしくないので遠慮していたのですが、メイベル様がいらっしゃったと聞きまして」
「あなたも、懲りない人ですわね」
そう呟いたわたくしの声は、音楽にかき消されてしまいました。
わたくしはエドワード様に手を引かれ、踊り始めます。
彼のダンスは完璧でした。
髪型も服装もきちんとしておられるお姿は、確かにご立派で、令嬢なら誰もが憧れるでしょう。それでもわたくしは、領地で魔力蛍に包まれながら踊った思い出ばかり考えていました。あれほど愉快で完璧なダンスは、ウィル以外ではあり得ないのです。
「どうしてわたくしを追うのですか?」
踊りながら改めて問うと、エドワードは答えました。
「あなたが本心では私を愛しているのだと、ジャスティン様は言っていたので」
「エドワード様もいい加減、お兄様の虚言に惑わされていると学んではいかが?」
はは、とエドワード様は笑っただけでした。
踊りが終わり、わたくしはエドワード様とバルコニーに出ました。他に人はおらず、内緒話を誰かに聞かれる心配はありません。
ですからわたくしは、極力さり気ない風を装って、エドワード様に尋ねました。
「ウィリアム・ウェストのことは、何か聞いているのですか?」
「あの男は、処罰もなく過ごしているようですよ。一体、伯爵は何をお考えなのだか……」
サイラス・ハイマーの考えなど、わたくしには分かりかねることです。ですがやはりあの叔父様は、初めから全て知っていて、改めて罰を与える必要がないと考えているように思えてなりませんでした。
「それよりもメイベル様」
エドワード様の声で現実に引き戻されます。
「あなたは私の領地での暮らしが嫌だったのでしょう? だから逃げたのだと考えました。確かに私は、自分のことばかりで、あなたの暮らしを考えていなかった。だから、城に暮らそう。そうすれば家族と離れ離れにならず、さみしい思いはないだろうから」
少しもそういうことではありませんでしたし、今更エドワード様と恋人になるつもりもちっともありませんでした。
「エドワード様は、なぜわたくしが好きなのです。いつから好いていてくださったのですか?」
それは――、と少し照れたようにエドワード様は言いました。
「実は、ずっと昔からです。五年ほど前でしょうか。友人の領地へ遊びに行ったことがありまして。彼が結婚したので、その祝いのパーティが開かれておりました。多くの人々がそこにいて。その際に、酔っ払った数人で、川で泳ごうという話になりまして……ですがお恥ずかしいことに、私は溺れてしまったんです」
思い出したのか、エドワード様は苦笑しました。
「私も十代で、考えが浅く若かった。水を大量に飲み込んで、もう死んでしまうと思った時です。体が勢いよく引っ張られる感覚がしました。
意識を失う直前で、少女の姿が見えました。しなやかな体に美しい金髪をして、彼女は必死に、私に声をかけてくださったんですよ。天使か、妖精の類だと思いました。
次に気がついた時に、私は川岸に横たわっていて、側にはあなたがおりました。覚えておいでですか? あなたが私の命を助けてくださったのです」
言われて、思い出しました。知り合いにご招待されたパーティに出席した数年前、そういえばそのようなことがありました。
ぐったりと川辺に横たわる男性の側に、付いていたことが確かにあったのです。
「まあ! あれはエドワード様だったのですね」
エドワード様は顔を輝かせました。
「覚えておいででしたか! そう、それが私とあなたの出会いでした! その後、また私は気を失ってしまったようで、気がついたらあなたたち兄妹は帰ってしまった後でした。ですが以来、ずっとお慕いしていました」
聞いたわたくしは吹き出しました。あまりにもおかしくて、令嬢らしくなく大声を上げて笑ってしまいました。室内の人々が、わたくしたちを見て不思議そうな顔をしています。
エドワード様も、驚いたようにわたくしに言います。
「そんなにおかしいですか?」
わたくしはまだ笑いながら答えました。
「ええ! ええ、とってもおかしいですわ! だってあなたを助けたのは、わたくしじゃなくてレティシアですもの!!」
その時のことを、鮮明に思い出しました。
顔面蒼白のレティシアがわたくしのところにやってきて、いいから来てくれと川辺まで連れ出した時のことを。
そこに横たわっていたのは若い男性で、川で溺れていたのを助けたのだとレティシアは言いました。当時、レティシアはわたくしのことを世界で最も信頼していて、だからいの一番にわたくしに知らせたのでした。
エドワード様は目を丸くしながら答えます。
「で、ですが、目を開けた時、私の側にいたのは間違いなくあなたでした……!」
「それはそうです。とにかく男性を呼びましょうということになり、わたくしがあなたの側に、レティシアは更に人を呼ぶべく再びお屋敷に戻っていったのですわ。
正直言って水死体だと思って見ていたんですの。突然目を開けたので驚きましたわ」
未だ、エドワード様は衝撃から帰還しません。
「そんな、馬鹿な……。では、私の恋は、勘違いから……?」
エドワード様は首を小さく横に振ると、弱々しく言いました。
「で、ですが、その後のあなたを知るに連れ、ますます恋に落ちたのは間違いないのです」
「わたくしの表面上の姿を見ただけでしょう? 本当のわたくしは平民のウィリアム・ウェストに恋をして、彼のためなら人殺しだって厭わない人間ですわ。彼が結婚してしまうと聞いてとても焦って、ユーシス様と婚約破棄をしなくてはと、妹さえも罠にはめる女です。
決してあなたに恋をしないそんなわたくしに、まだ未練があると言うのですか? わたくしなら、きっとあなたを助けませんでしたわ。だってわたくし泳げませんもの。あの日もし、先に出会ったのがわたくしでしたら、あなたは本物の水死体になっていたとことですわ」
思考の量が多すぎたのでしょうか。呆然と、エドワード様は立ち尽くしてしまいました。
室内がざわめき出したのは、そんな時でした。
怒れる少女の声が、広間に響き渡ったのです。
「アリエッタ様! 今日という今日は絶対に許しません! お兄様だけでなく、他の殿方まで恋人にしようとするなんて――!!
ユーシスお兄様にしても! これ以上浮気を繰り返すのなら、わたくしを次期王にしていただくよう、お父様とお母様に直談判いたしますわ! お二人共、お兄様の悪癖には、いい加減辟易しているところですもの!!」
それは、顔を真っ赤にされてご自身の兄に詰め寄る、セレナ様の声でした。




