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わたくし、真実を悟りましたわ

 ウィルがいなくなって、一週間が経ちました。抜け殻になった気分でした。顔に張り付いた笑顔と本心でない言葉を吐くのは、今までの十七年間で慣れたつもりでした。けれど三ヶ月にも満たなかった幸福のせいで、それがひどく苦痛に思えるのでした。


 彼の家がどこにあるのかは知っていましたし、お兄様はわたくしがお城を脱走してそこに行くだろうと思ったようで、四六時中見張っておりました。

 けれど見張りなど不要です。彼に会う気力は、ありませんでした。

 

 ユーシス様に相手にされないレティシアを支えながら、いつだって領地での暮らしを思い返していました。

 温かな思い出は全て色褪せ、感情が氷の剣のようにわたくしの胸に突き刺さります。それなのに、わたくしは思い出を反芻することを止められませんでした。

 一体、どこが悪かったのでしょうか。なにがいけなかったのでしょうか。どうしたらウィルは側にいてくれるのでしょうか。そればかりを、繰り返し考えました。

 

 ウィルの行方はお兄様から噂で聞きました。

 叔父様から貰ったお金で土地を買い、結婚の準備をしているそうです。相手は以前結婚話が出ていたメイドの少女だと、そう言う人もいました。

 

「ウィルはモテる男だ。誠実で、今じゃ小金持ち。僕が平民の女だったらきっと好きになってた。だがお前は貴族の娘だ。愛なんて所詮まやかしだ。結婚は現実だ。初恋など諦めて現実的な男としろ」


 何もかもお見通しだ、とでも言うように、ジャスティンお兄様はそう言いました。


 愛なんて、無駄だったのでしょうか。

 わたくしが彼を愛したのが、全て無駄だったのでしょうか。

 愛を叶えたくて、そのために必死に動いたことは、ひとつも報われなかったというのでしょうか。

 

 ですが初恋を――……。

 初恋を、ずっと抱えたまま、わたくしは生きておりました。彼との思い出だけが生きる糧でした。そう簡単に、捨てられるはずがないのです。


 結婚の話はトントン拍子に進んでいきました。もちろん、わたくしとエドワード様の結婚です。

 彼は毎日わたくしに会いに来て、お話してくださいました。彼の話はわたくしの左の耳から入り、右の耳へと抜けていきましたけれども、とても優しくて、誠実な方であることは分かりました。


「結婚式は領地でしよう。祖父母が高齢で、王都には来れないんだ。すぐに旅立とうと思うんだが、いいね?」


 その言葉に、なんと返事をしたか覚えておりませんけれども、侍女たちは急いで旅の準備を始めました。もしかするとそのまま、エドワード様の領地で暮らすのかもしれません。あまり興味のないことでした。


 エドワード様は先に領地に行っていて、わたくしは後を追う形でした。ウィルと結婚をするときとは違って、多くの侍女や従者が、わたくしに付いてくるようでした。

 旅立つ日、レティシアはわたくしにすがりつき、わあわあと泣きました。


「メイベルがいなくなって、わたし、どうしたらいいの? ユーシス様はもうわたしを見てくれないのよ!」


 けれど、遠くから聞こえてくるようでした。なるようにしかなりません。ユーシス様を選んだのはレティシア自身なのですから。


「メイベル、大丈夫か。ぼーっとしてるが……」


 エドワード様が待つ馬車に乗り込む寸前で、ジャスティンお兄様がそう声をかけてきました。


「まさか、まだウィリアム・ウェストを愛しているのか?」


 その言葉だけが、嫌にはっきりとわたくしの中に落ちてきました。ウィリアムの名前が、わたくしを突然現実に引き戻したのです。


「いいえ、まさか愛していませんわ。わたくし、現実を見ることにしたんですもの」


 声は、自分で想定していたよりも上ずっていましたが、お兄様は納得したようでした。


「……そうか、良かった。あいつは有能な男だから、近く僕の従者にしようと思っていたんだ。お前がまだ彼を想っていたら、それもできなかったからな」


 彼はわたくしを振って、少しも心は痛まずに出世するのでしょう。

 じくじくと痛む心を気取られないように、わたくしは必死に微笑みを浮かべました。


「わたくしと彼の間には、なにもありませんでした。だって結婚は偽りだったんですもの」


 ジャスティンお兄様が、明らかに安堵を浮かべました。


「ごめんなメイベル」

 

 彼はわたくしを馬車に押し込みながら、目も合わせずにそう言いました。言葉の意味を確かめようとする間もなく、馬車が動き出します。

 体がふわふわしていて、現実感がありません。けれど叫ぶように嘆いた妹の声だけは、やけにはっきりと聞こえました。


「メイベル! どうしてわたしの側を離れるの!? せっかくあの従僕を追い払ったのに、今度はエドワード様の側に行くなんて!! じゃあ頑張った意味がないじゃないの!」


 続いて、ひどく焦った様子の兄の声も聞こえました。


「よせレティシア!」


 わたくしは混乱してしまいました。


 ――どういう、ことですの?

 一体これは、どういうことですの?


 彼女と彼は、何を――。レティシアは何を頑張ったというのです?

 なぜそれを言うのを、お兄様は嫌がるのです?


 わたくしに知られてはならない何かを、あの二人がしたということ?


「――あっ」


 そこまで考えて、気がついてしまいました。

 なぜウィルが姿を消したのか。

 なぜお兄様があんな表情を浮かべながらごめんと言ったのか、分かってしまったのです。


 ああ、なんだ。そうだったのね。


 固く凍りつきそうだった心が、あっという間にほぐれていくように感じました。


 ケラケラと軽妙な笑いが口を出ました。

 向かいに座る侍女が、不審そうな目を向けても、わたくしは安堵と愉快さで、いつまでも笑っておりました。


 すべては、兄の仕業だったのです。何もかも、彼が暗躍していたのでしょう。


 お兄様の策略ことは、こうだったのでしょう。


 レティシアを使ってわたくしを呼び戻し、エドワード様の恋心を利用したのです。

 もしかするとエドワード様に、わたくしがまんざらでもないとお伝えしているのかもしれません。全ては公爵夫人を身内に持つためだけに企んだのでしょう。叔父様のご機嫌取りの意味もあったのかもしれません。


 お兄様はわたくしにウィルが去ったと言い、ウィルにわたくしが飽きたと言ったのでしょう。彼の恋を諦めさせるために。


 レティシアとお兄様が、二人でウィルを説き伏せ――身分を振り翳し、きっと強引な手段をとったに違いありません。

 そうに決まっています。じゃなきゃウィルがいなくなるわけありませんもの。


 だけど人にもご自分にも甘いお兄様です。

 保身のため、叔父様にわたくしとウィルの関係は言えませんでしたし、ウィルの手紙を盗み見て、たったこれだけの文章ならいいだろうと、わたくしに渡してくださるくらいには、お兄様はお人好しでした。人一倍愛を否定するくせに、わたくしたち妹を誰よりも愛しているのもお兄様なのです。だから良心の呵責に耐えかねて、わたくしに謝ってきたのです。


 流石、幼い頃から貴族社会で鍛えられたわたくし達インターレイク家の兄妹です。

 血を分けた兄妹でさえ欺くというのは、わたくしもお兄様も、よく似ておりました。

 だけど、常に上を行くのは、より貪欲になった方だということも、お兄様は知るべきでしょう。

 わたくしが抱く彼への恋心をみくびったと、きっと後になってお兄様は後悔するのですわ。

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