蹂躙の赤色
「魔物、ね」
魔物という存在についてはお父様とラットから話だけは聞いたことがある。
人と相反するもの、人ではない異形のもの、生命を超越したもの――などなど言われているが、要は特殊能力を持った動物その他生命の総称のことだとあたしは認識している。
しかし辺りを見渡していたルミカがそっとあたしの手を掴んできた。
「お嬢様、魔物というのは願いのなれの果てです」
「どういうこと?」
「立ち上がりたい。大地を駆けまわりたい。強くなりたい。そんな叶わなかった願いを纏った根源――つまりギフトが空気に溶けて心を、魂を終わらせた物体に宿り魔物となる。です」
「……気のせいじゃなければ、その言い方だと魔物はギフトを持っているって聞こえるんだけれど」
「そう言いましたよ。でも終わった命が元なので生命としては弱いです。けど――」
「その分厄介な性質を持っていることが多い。ギフト由来とは初耳だが、魔物との戦闘において無策で飛び込むなと最初に教えられる」
「そういうこと。ベイルちゃん、頼むから突っ込んでいかないでくれよ」
あたしを猪か何かだと勘違いしているのだろうか。
少しラットに言いたいこともあるがそれを飲み込み、あたしは戦いの気配を纏ってルミカから武器をもらおうとするのだけれど、茂みからのそりと魔物が一体歩み出てきた。
四足歩行の羊によく似た紫と黒い毛を纏ったまがまがしい魔物、しかし顔はどこかサルのようであり、その大きく見開かれた瞳は渦を巻いて――。
「――っ! ベルお嬢様見ちゃダメ!」
ルミカの声が聞こえた途端、あたしの目の前に広がる灰色の景色。
「あ、う――色、が」
「エイルバーグ様! 幻覚持ちです、目を合わせちゃだめです」
「ああクソ、厄介な。ルミカ、ベイルは――」
ルミカとお父様の声が聞こえる。
でもあたしの目に尾はすでに色が失せ、何も見えない。
色のない炎が辺り一帯を包み、あたしの呼吸が荒くなる。
これは厳格なんだ、それを頭では理解している。けれどあまりにもリアルで、あまりにもあの時の状況と同じで――。
体が震える。またあたしは色を失ったのか、またあたしは――を失ってしまうのか。
「――」
「……っつ」
聞きなれた可愛らしい声の息をのむ音。
いつも隣にいてくれたのに、どうにも頭がぼんやりしてしまう。
そんな彼女がそっとあたしの肩を抱き寄せた。
そしてあたしの目には真っ白な翼。
「控えなさい。それ以上続けるというのなら、その魂ごと捻り潰しますよ」
隣の彼女が深い海色の輝きをあたしの正面に向けている。
その瞬間、世界が割れるような音と灰色の景色から漏れる色づいた光――。
「――っ」
ハッとなって目を開けた。否、目に見える景色を正しく脳に送り込んだあたしの瞳には、肩を抱き寄せてくれるルミカが魔物を睨む姿と周囲に落ちている白銀の羽、そして前線で戦っているお父様の姿。
「……ごめんルミカ、ありがとう」
「いいえ、もう大丈夫です?」
「無理させちゃったわね。もう大丈夫よ――けれど本当に気分最悪ね」
「……お嬢様が僕以外の名前を呼ぶたびにちょっと悲しくなります」
「うん、本当にごめん。あとで埋め合わせるから――ルミカ、疾風迅雷をよろしく」
「はい。『天上に坐する剣匠』」
ルミカに差し出された手から光が漏れ、そこから柄を引っこ抜くとあたしの身長は優に超える長さの槍――ではなく先端に槍の穂先と斧頭、所謂ハルバート。
斧槍を頭の上で構え、穂先を地面に向け、そのままあたしは駆け出した。
一息で魔物との間合いを詰めるとサル羊が再度渦巻く瞳を向けてきた。
「二度も効くか!」
槍の穂先を魔物の顔下に合わせ、柄を持つ手を軸にもう片方の手で穂先を上段に跳ね上げ、サル羊の顔面に刃を入れ、そのまま穂先を顔に向かって押し込むと、斧頭が魔物の目に抉りこみ両目をつぶした。
「次!」
動きを止めた魔物を蹴って斧槍を剥がし、切り捨てて正面に目をやると背後から近づいてきた別の魔物に武器を振るおうとする。
「『爆炎の篭手』」
あたしに飛び込んできた魔物の頭が破裂した。
何事かと目をやるとお父様が血まみれの手を振るって血液を落としており、呆れたような目をあたしに向けていた。
「まったくお前は」
「お父様格好いいですわ」
「その称賛はこれが終わってからゆっくり聞くとしよう。それでもう大丈夫か?」
「はい、ルミカに守られました」
「……ベイル、あの子はもしかして女神の信徒か何かか? 以前見た聖女よりも聖女らしい力を覚えたぞ」
「ルミカ曰く、聖女って人が神を模倣した純度100パーセント人由来だそうですよ。だから神様はノータッチだそうです」
「なるほど――教会には絶対に近づけるなよ」
「わかっています」
あたしとお父様で構えをとると、そっとルミカとラットに目をやる。頷き返してくれた2人にあたしたちは満足するとお父様と一緒に駆け出す。
あとは殲滅するだけだ。
よくも家族の団らんに水を差したな。あたしの怒りをお父様も覚えているのか、雰囲気が容赦しないと言っており、あたしたちは口角を歪めて魔物へと飛び出していく。
まるで羽虫をつぶすように、プチプチと一体一体をすりつぶすようにあたしたちは魔物を蹂躙していく。
「……ドラゴニカおっかねえよ」
「あら、なら私も混ざってきましょうかしら」
「止めてくださいね! 収拾付かなくなりますよ!」
そんなお母さまの微笑みを聞きながら、あたしたちは武器を振るうことをやめないのだった。




