色めく過去は暗闇へ
「ベルちゃん大丈夫?」
「ええ、ありがとう。みんな大げさなのよ」
あたしはそう言って、アルフの後ろでじっとこちらを窺っているお父様を呆れたような目つきで見る。
熱はあるけれど辛くはないと言っているのに、お父様はどうにも聞いてくれないようだ。
結局ルミカを慰めた後、軽く食事をとり、水分もとったところで具合はよくなったのだけれど、お母さまに念のため寝ていなさいと言われ、今日も鍛錬にやってきたアルフもこうしてお見舞いに来てくれた。
だから今あたしの部屋にはルミカとアルフ、お父様とお母さま、そしてラットがいる。風邪じゃないからうつらないと思うけれど、病人の部屋にこれだけ集まるのはいかがなものか。
「……ですからお父様、お仕事の方に行かれても構わないのですよ?」
「あのベイルが具合を悪くしたんだぞ! 仕事になんて行っていられないよ」
「あたしを一体何だと思っているんですか」
あたしがため息をついていると、お母さまが笑みを浮かべて水瓶からカップに水を注ぎ、ルミカに手渡した。
そのルミカがそっとあたしの背中に手を入れて体を起こしてくれて、そのままカップを口元に持ってきた。重病人じゃないんだから。
「ルミカ、自分で飲めるから」
「お嬢様をお世話するまたとない機会ですので~」
「もうっ」
水を飲ませてもらうと、そのルミカがあたしの頬にそっと触れ、目を閉じて思案顔を浮かべた。
「お嬢様、もう気分が悪いとか、変な感じはないですか?」
「ええ、随分と楽になったわ」
「……ギフトが体に馴染んだのかな? 心が浮足立っていませんか?」
「ん――それも大丈夫」
ルミカがうなずき、お父様に目をやった。なんかもうお医者様なのよね。
「エイルバーグ様、多分大丈夫です。チェンジリンクの傾向もなく、ギフトに酔った感じもない。あとは安静にしていればいつもの元気なお嬢様に戻りますよ」
「医者の真似事までさせて、すまないなルミカ、ありがとう」
お父様に撫でられてルミカが胸を張って鼻息を漏らした。こういう時のこの子は大抵やらかすのよね、大丈夫かしら?
そんなルミカを見守っていると、彼女が突然手を組んで祈るような姿勢で魔法を唱えた。
「『天上に坐する剣匠』」
ルミカの手に鈴が現れ、あたしのそばで鳴らしてくれるのだけれど、どうにも安らいだ気持ちになり、そっと彼女に目をやる。
「……なにそれ?」
「僕のスキル、【神風の鈴音】です。その身も魂も常に回復するスキルですけれど、こうして武器にしちゃえばお嬢様にも恩恵がありますよぅ」
「あ~ね、そっかぁ――」
上機嫌に褒めてほしそうな顔をしているルミカを撫で、あたしはそっと周りに目をやった。
お母さまとお父様は苦笑いで顔を逸らしており、ラットは何も聞いていないアピールか両耳を手でふさいでいた。
そのスキル、人前で披露しても大丈夫なスキルなのだろうか? 自動回復とか明らかに普通の人が持っていたらマズいスキルだろうに、この子は臆面もなくこうしてあたしのために使ってくれる。
鈴が鳴ってから、確かに体の調子も心の調子もさらに良くなった。
すると首を傾げていたアルフがルミカを見ていた。
「ルミちゃんのスキルって、教会関係の人みたいだね?」
「へ――あえっとそのあの、べ、別にきょう、きょ、教会とは何らか、か、か、かかわりはな、いですよぅ」
「ほんとぅ~?」
お父様がアルフの頭に手を置いて撫で、そっとあたしに目をくれる。言いたいことはわかる。
「……ルミカも教会に行かせないほうが良いみたいだね」
「そうしてあげてください。多分攫われます」
ルミカが顔を赤らめてあたしの布団に顔を突っ込んできたから、引っ張り上げてベットで座るあたしの隣に座らせた。
「でも病気なんてあたしかかったことありましたっけ?」
「ないからこうして心配しているんだぞ」
「あ~……なんというかこうして心配してもらえるのは嬉しいですが、どうにも退屈ですね」
「ベイルちゃんもたまにはゆっくりとした時間を過ごしてみてはどうかしら? いつも本当に体を動かしているもの」
するとルミカが伏せていた顔を上げ、どこから取り出したのか眼鏡をかけて胸を張った。
「それならお嬢様、せっかくですので少し歴史のお勉強でもしませんか?」
あたしとお父様がラットに目をやると、彼は顔を両手で覆い、あたしたちから隠れるように体を縮ませているのが見えた。
「僕たちの住んでいるこの国――アルスヴォルグ、海跨ぐ王と竜の国」
「海跨ぐ王?」
「元々アルスヴォルグという国は、現国王陛下のご先祖様が海を渡ってきて統治を始めたという歴史があります」
「他国から来たのね」
「他国……というより、海で育った初代国王陛下が陸に興味を持ったというか」
苦笑いのルミカに、あたしは何となく初代陛下の立ち位置を理解できた。
「海賊?」
「まあ、はい――簡単に言うと侵略者ですね。元々この国の原住民は竜を祀り、国とも呼べない小さな集落をいくつも作って暮らしていました。ドラゴニカはどちらかと言えばこの原住民の血が濃い一族ですね」
「へ~」
「初代陛下は海からあがり、陸を旅するのですが当然海から来た人々を原住民がすぐに受け入れるはずもなく、部族間の戦闘を何度も経てそして竜にたどり着くのです」
「なんだか血なまぐさい起こりなのね」
「死傷者はそんなに多くはないですよ。初代陛下は海で育った人間だったので、性格は慎重で、正体不明の怖さを知っている人間だった、まったく知識のない陸を海の人間である自分たちだけで生き抜く気もなかったみたいです。そして時間をかけて原住民たちを取り込んでいき、竜と出会うことで国を興すことを決めた。そんな歴史があるんですよぅ」
あたしがラットに目をやると、彼は首を傾げて終始ルミカの話に疑問符をつけているようだった。
「ラット、言いたいことを言っていいわよ」
「……俺の知らない歴史がわんさか出てきてるんだけど?」
「え? あれ、でもこの国はこういう起こりですよね?」
するとお母さまがそっとルミカを撫で、ベッドに腰を下ろした。
「……初代国王陛下――かはわかりませんが似たような話で、海を渡る英雄が竜と仲良くなり、国を救うという御伽噺ならありますね」
「あ、あれぇ?」
「それは俺も知っている話っすね、その英雄は竜と心を通わせ――ってあれ? この話の英雄って」
「ええ、ドラゴニカですね」
「それじゃあ初代国王って――」
「ち、違います! ドラゴニカは当時その竜――神竜と呼ばれていた世界の管理人の1人、碧空を統べる賢者と心を通わせ、その生活のすべてを担っていた巫女です。そりゃあその巫女と初代国王の間に生まれた子が次の国王ですけれど」
「……」
あたしはルミカを抱き寄せて口をふさぐ。
これまた面倒な事実になりそうだから聞かなかったことにするのが一番いいだろう。
しかしこの子はその時代がいつの話なのか時間感覚が相当ずれている。
「……ルミカ」
「え? あ、はい」
「人前で歴史の話はしない。いいわね?」
「は、はい。あの、駄目なんですかぁ?」
「お父様、どうなんですか」
「う~ん、それがスキルの影響で出てくる知識であるのなら、疑いようがないんだけれど――ダメだね、ドラゴニカに王家の血が混じっているなんて知られたら下手したら内戦が起きる」
「え、でも王家の人は結構、美人ぞろいだったドラゴニカをつまみ食い――」
お父様があからさまの咳ばらいを何度もし、ルミカに向かって首を横に振って見せていた。
そしてお母さまがクスクスと上品に笑い、立ち上がった。
「それではせっかくですしおやつにしましょうか。ベイルちゃんはもう立ち上がれますか?」
「はい。ルミカにはちょっと、歴史がどうやって作られるのかを教えておきますね」
「ええ、お願いね」
頭を抱えるお父様とラット、2人を連れて部屋から出ていくお母様。
あたしはルミカとアルフを連れて、蔵書部屋へと脚を進めるのだった。




