世界はいつだってモノクロ
世界はいつだって灰色だ。
なんて穿った見方の私かっけえ。と、笑える人生ならどれだけ良かったのか。
そんな格好つけた言い回しではなく、私の目はいつだって灰色の景色しか映し出さない。所謂、全色盲で私の目はある時期を境に色を映したことなんてなかった。
火の色も水の色も風の色も、全部同じ。
色のない世界がどれだけ冷たいのか、きっと誰にも共感されないだろう。
私が火に手を突っ込んで冷たいと思ったと話しても、だれもわからなかったのだから。
そんな温かみもない世界をいつも見ていたからか、ひどく冷めた可愛げのない女の子だったとは思う。
友だちからも、夢を諦めて偏屈になったおっさんみたいな顔をしていると言われていたし、休日担任の先生と会ってしまった時、突然飲みに誘われて生徒だったわ。と、謝罪されるし、高校の入学式の日に同い年のはずのキラキラの新入生に敬語で話されるし、挙句の果てに何年ダブったと聞かれるし……私は老けていない!
そんなことを思い出しながら、私はいつもと変わらない色彩を、ふわふわと体を浮かせて見つめていた。
何もないセピア色の空間。その中で、ただふわふわと――。
ここで話は変わるけれど、散々視界の話をしていた私は本日、こよりを鼻に突っ込むと本当にくしゃみが出るのかと疑問を抱き、実験したところ、くしゃみの威力に心臓というか、血管というか、とにかく臓器が縮むような痛みに胸を押さえて思い切りかがんだところ、自室の窓の縁に頭を打ち付け気絶し、無事死亡した。
何とも間抜けな死に方で、死に顔は見ていないけれど、こよりが鼻に突っ込まれていることから見るも無残な死にざまだったのは疑いようもない。
セピアでチンではい終了。
どこのギャグマンガだ。
しょうもない死に方に、私を育ててくれた叔母夫婦にどう償えばいいのかと頭を抱えていたけれど、ふと冷静になって、死んだはずなのに何故意識があるのかと思案しているところである。
するとどこからともなく、クスクスと聞こえる笑い声。
私は私自身が笑われているのかと額に青筋を浮かべ、背後から聞こえる声に振り返る。
「あッ?」
「ぴぇっ」
笑い声が止むと同時に小動物のような鳴き声を上げ、尻餅をついた少女がそこにはいた。
灰色な視界で色合いはわからないけれど、明らかに引きずってしまうほどの長い髪に、くりくりとした大きな目のワンピースを着た良いとこのお嬢さん風の見た目。
「え、誰?」
「あぅわぅ、えっとその……く、首狩りドラゴンさん?」
「私をその名で呼ぶなぁ!」
「ぴぃ!」
この小娘、よりによって私が一番呼ばれたくない通り名で呼びやがった。
高校の時、振った彼氏がしつこく付きまとってくると友人から相談を受け、仕方なく私が対応したのだけれど、その際相手から拳を振り上げられたから殴り返したところ、見事に首にヒットし相手がそのまま沈黙、撃退したのだけれど、その後話を聞いた友人知人が挙って私にその手の相談を持ち掛けてくるようになり、首に当たってしまう拳で解決していたところ、私の名前にある龍の字を取って首狩りドラゴンと呼ばれるようになっていた。
女の子に付けるあだ名じゃないと暫く相談事は断っていたところ、いつの間にか噂は膨れ上がり、学区最強にノミネートされるまでになった忌々しい名前だ。
「あれ?」
しかしなぜこんな小さい子が知っているのか。
それよりも冷静になってみればこの空間は一体何だ。私は次々と湧く疑問にそれに答えられそうな少女に目をやる。
「あの、えっと……あ、あなたには! 私の治める世界に来てもらいたくて!」
「は?」
「世界を通過した千人目のお客様です!」
「そんなご当地駅千人目の利用者みたいなノリで言われても」
「お願いしますよぅ。だだでさえ辺境の田舎世界なのに、誰にも存在を認知されなくなったらいよいよ世界を継続できなくなっちゃうよぅ」
「いや知らんよ。ていうか君は誰?」
「神です!」
私は目を細めると、生暖かい視線を少女に向けながら手刀を振った。
「ぐぇ」
私の手は見事に彼女の首にヒットし、涙目な少女が恨めしげな眼を向けてきた。
「首狩りドラゴン」
「……」
私は少女をひょいと持ち上げ、頭から地面に叩きつけるように片方の手で足を掴んで、もう片方でお腹を支え、そのまま左右に体を揺らす。
「いやぁ! 殺さないで痛いことしないで首を持って行かないでぇ!」
「謝れ、謝れ」
「ごめんなさいごめんなさい!」
少女を開放しため息をつくと、私は彼女の視線まで体を屈める。
こんな不思議空間で一体何をやっているのやら。
「で、一体何なの?」
「ですからぁ、転生ですよ転生。お姉さんには私の世界で面白おかしく暴れ回ってほしいんですよぅ」
「挙句暴れ回れとか……これは夢ね」
「夢じゃないですぅ、事実お姉さんは鼻にティッシュ突っ込んでアホ面で死んでますぅ――」
「オラぁ!」
「もんてす!」
奇妙な鳴き声で私の攻撃を受けた自称神の少女が首を押さえてうずくまり、涙目でポコポコと私の脛に拳を何度も振り上げてきた。
「う~とにかく、はいって返事してくれたらあとはこっちで何とかしますから、返事してくださいよぅ」
「嫌に決まっているでしょそんな胡散臭い――」
しかし彼女はニヤリとほくそえみ、試すようなそれでいて勝ち誇ったような顔で口を開いたのが見える。
一体何だというのか、このアホっぽい子に私を揺るがすほどの条件を提示出来るはずはない。
「良いんですかぁ? 今私の手を取ってくだされば、あなたはあなたの意思を持って色を視られる」
「――っ」
「色の温かみを知らずに生涯を終えた憐れな龍、あれだけ色彩に想いを馳せていたというのにそのチャンスすら棒に振るう」
少女に目を向けると、ひどく醜悪な顔で嗤っている。彼女が神であると錯覚してしまうほど、その顔は圧倒的な自尊心で塗り固められており、私の嫌いな人を見下すその面に、対抗するように睨み返す。
「喧嘩売ってる?」
「神がですかぁ」
瞬間、数歩下がった彼女の周辺に見たこともない円形の紋章、それがあちこちに浮かび上がり、明らかに何かが私を狙っているのが窺える。
さっきから挑発するようにグチグチと喧しい。
こういう顔をした奴が一番腹立つ。
色がわからないからと人間扱いしなかった大人もそうだし、自分が視えているからと当たり前に私に押し付ける奴らもそうだ。
どういつもこいつも私を嘲った。馬鹿にした。
そんな奴らを、私はただ黙らせた。だから龍と呼ばれた。
「龍を騙る憐れな人間、色のない世界に永遠に沈みますかぁ」
「言ってろクソガキ、私はもう死んでるんでしょう。なら二度は死なない」
「それは人の理です」
「私の勝手だ!」
私が飛び出すと同時に、少女の周辺の紋章が光を放ち、次々と光線を吐き出した。
それを躱しながら速攻で彼女との間合いを詰めると、そのまま飛び込んで拳を振るう。
けれど少女に拳は届かず、何か膜のような壁に遮られてしまい、拳の正面で彼女が嗤う。
「届くはずないですよぅ。だって人とはそう出来ている――」
「お前の都合だろうが!」
メキメキと何かがきしむ音がする。
それは私の拳か、それとも。
「無駄ですよぅ。だから大人しく私の言葉に頷いてください。ここまでやれば、それなりのスキルが身に付くはずですし――へ?」
何をごちゃごちゃ言っているのかはわからない。
けれどとにかくこの小娘を殴りたい。私を馬鹿にしたこの阿呆をとにかくぶん殴りたい。
私の拳から血が噴き出す。
知ったこっちゃない。拳が壊れようとも伸ばす、届かせる。
拳とは相手に届かせるものだ。
どれだけの距離、どれだけの障害があろうとも届かない道理はない。
「まっすぐ進んでぶん殴れ!」
壁がきしむ音、私の拳は不可視を砕き、自称神の少女へと拳を届かせた。
「ぶぇぇ! ちょ、ちょっ! あなたどれだけ不自然なことをしているのか理解して――はぇ?」
「がぁぁぁ!」
何かわめく少女を無視し、私はそのまま彼女の肩を掴んで押し倒し、大口を彼女の首目掛けて近づけた。
「ちょい! 待って待って待って!」
さっきまで沈黙していた紋章が少女に覆いかぶさる私に向けられた。
避けようにも動けない。紋章が光りだすが私は見向きもせずに彼女に押し返される頭に力を込める。
光線が私に直撃すると爆発を起こし、私が上体を逸らすと少女が安堵したように私の頭を押す手から力を抜いた。
だからこそ、その隙に一気に距離を詰め、私の牙は彼女の首を捉えた。
「いたぁぁぁ!」
「――」
「ああもう! 仕方ないです――私の首はそんなに美味しいですか首狩りドラゴン!」
血の色なんてわからない。それが命の色かなんて尚更だ。
だからこそどれだけ傷つけているかなんて私には関係ない。
少女の問いに、私は首から顔を離し、歯をむき出しにして嗤う。
「ああ、それはもう――」
「肯定しましたね」
浮遊感を覚える。
少女から体が離され、私の体が不自然に発光している。
「……スキルの選定に何でこんなに苦労しなくちゃいけないんですかぁ。というかスキルえっぐ、こんなに力与えるつもりじゃなかったのになぁ」
「おいお前!」
私はそう声を発して睨みつけるのだけれど、彼女が肩を竦ませた後、さっきまでの見下した顔ではなく、見た目相応の少女らしい笑みで微笑んできた。
「不躾な態度でごめんなさいでした。でも、あれがあなたの素質を計るうえで最も簡単な対応だったので、使わせてもらいましたぁ」
「何をわけのわからないことを――」
「ねえお姉さん、私の世界の色は、それなりに刺激的ですよぅ」
「……」
「私、あなたを気に入っちゃいました。だから私の世界で生きてもらいます」
「どうして」
「久々に楽しかったのでぇ」
私の体が薄れていく。
転生――新しい命として宿るということだろうか。
少女が愉快そうに笑い、宙に浮く私に頭を下げる。
「世界を彩るあなたに福音を――この世界が、どうかどうかあなたにとってかけがえのないものになるように」
「うんな勝手な」
「はい! だって神ですもの。でもそれじゃあんまりなので、近い内に会いに行きますよぅ。仲良くしてくださいね」
「……一発殴ってからね」
心底可笑しそうに笑う彼女の顔を最後に、私は光に……色に飲み込まれた。