父の趣味
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家業を継がずに画をかくことをきわめたい、と大口をたたいたのは、小さなころから親につれられて行っていた寺の住職が持っていた掛け軸の画に、つよくひかれたからだと言えば、父親は言葉に詰まったように口をとじた。
なにしろ、うちはその寺の檀家ではないのだ。
骨董好きな父とその住職は、ただ、趣味が合い、おたがい手に入れた物を自慢したりほめあったり、という場合にだけ顔をあわせ、おたがいの茶わんや掛け軸を披露したいがための、お茶会もひらいたりしていた。
小さなころからその寺へ連れていかれてたのは、父親のいう『いいものを見極める目をやしなう』という目的よりも、母親の小言をよけるためだったように思う。
だがじっさい、寺の仏像や本堂の柱や天井にほどこされたみごとな作をながめるのが好きなこどもだったので、たしかに眼は、『やしなわれ』たかもしれない。
父と住職がつぎのお茶会でつかう器や掛け軸をならべて選んでいるときに渡された紙に、それら目にしたものをかきうつすことでどんどんと腕はあがり、十にもならないころには、寺の小坊主たちが見にあつまるほどのものを、しあげるようになっていた。