第四章 嘉助と幸吉 その二
嘉助と幸吉、いよいよ古市村の為に立ち上がり、長~い活動が始まります。
軽い三角関係に触れつつ、当時の土地持ち農民と村内の営みに触れます。
手早く用事をすませて反物を回収し、嘉助は早々に織場を後にする。
寄らねばならない所は、これからまだまだあるのだ。
途中で、幸吉に出会った。幸吉は、代々村役を務める本百姓の跡取りで、若者頭を務めている。
江戸時代の農村部では、村の若者は有る程度の年になると若者組に入る。
今の青年団の発展型のようなものだろう。
寝宿と呼ばれる所で、皆と共同生活を送っている。
そうやって、村内の若者同士の結束を固めた。
社交に性教育の場にと、結婚への準備にもなる。
その上、村内行事・草刈り・用水路の管理・伐採などの労働奉仕・自警団のような役目も務めた。
今の時代、大多数の学生は学校を三月に卒業したら、翌月には社会人の身分になる。
そうこうするうちに、連休明けになって学生気分に戻り、里心がついて辞めてしまう。
こうした新人が少なくないらしい。
若者組の共同生活のほうが、余程、健全で合理的な教育システムかもしれない。
幸吉は、前々から嘉助が気に食わない。
年のころも一・二歳上で、村の娘たちの評判も良く、大人びた風もいけ好かない。
顔を合わせると、ついつい喧嘩腰で突っかかっていた。
「やい、嘉助。今日も村の大事な反物くすねてきたんけ。」
嘉助は挑発には乗らずに、悠然と挨拶を返す。
「おはようさんだす、幸吉はん。暑い中、せいがでまんな。」
幸吉は水肥の作業の監督中だった。水肥とは、人糞を水で薄めた肥料のことである。
化学肥料のないこの時代、人糞は金を払って町から手に入れる貴重な肥料の一つだ。
幸吉の家は高持ちといって、土地をそれなりに所有し、年貢を納める力のある本百姓である。
実際の農作業は下人(雇人)や小作人にまかせることが多かった。
「それにしても、くすねるとは聞き捨てならん言いようでんな。」
「そうやないけ。親切ごかしに女衆集めて、大方の金へちってから業つくな、(横取りして欲張りな)商いし腐ってからに。ワイの目はごまかせへんど。」
幸吉は、自分が根拠のない言いがかりを嘉助につけている事は、重々わかっている。が、止められない、止まらない。
「最前より言いたい放題やが…誰がそないなこと言うてまんのや。
ワテはお天道様に顔向けでけへん商いした覚えはありまへんで。
女衆も親御たちも、今では皆さんに満足してもろてまん。
取引辞める言われたら、直に反物返してますしな。
まあいまでは、返して欲しい言うお人は誰一人おまへんけど…」
嘉助は、苦労してようやく築き上げた信用と自信を、幸吉に見せつけてやる。
挑発されて幸吉は、余計にかっとなる。
「何カッコつけてかまし(口答え)とんじゃ、ワレ。
お前らはどうせ、自分らが儲けたいだけやないけ。
舌先三寸で、皆を言いくるめよっても、ワイには通用せえへんど」
毎回、根拠もなく罵倒してくる幸吉だが、嘉助はその強気と頑固な根の良さに、前から注目していた。
さすがに、毎度毎度の悪態には辟易するが…
「あんさんが、汗水たらして作ってると言いはる綿やけど……
この反物を精一杯満足行くよう売り捌くのがワテらの仕事や。買いたたくんがワテらの仕事やない。
まあ、今はあんたも汗水やのうて唾吐いて、立つて見守ってるだけのようやけど」
「な!何言うてるねん。しっかり見守るんも綿の出来に左右する、気イの抜けん大事な仕事じゃ。
手間はかかるが、手は抜いてへんワイ。」
「悪態つく間は、目配りが抜けてますけどなあ。」
「へん!あきんどみたいに、品物をあっちゃからこっちゃに転がすだけで、銭稼ぐんとはわけが違うわい。こっちは精魂込めて育てとんじゃい。」
軽くあしらいながら聞いていた嘉助も、この言いざまには居ずまいを但し
「それは聞き捨てならん言いようでんな。少なくともワテは、一方だけ得するような商いはしてまへん。
きちんと三方良いように得するよう、普段から心掛けて工夫してます。」
「三方良いて、なんのこっちゃ。」
「梅岩先生て、聞いたことおまへんか?先生の教えを学ぶ塾、最近評判でっせ。
先生が言われるには、商いの道は、売り手の仕合わせも買い手の仕合わせも第三者の仕合わせも、みんな同じに利するものでなければならんと。
そうでなかったら、誰が大事な品物預けてくれるのや。誰が信じて買うてくれはるのや。
金儲けしか考えてへんあきんどなんぞ、誰が信用してくれますのや。」
熱く語る嘉助の鼻息に押され、幸吉は、思わず後ろに引いた。
「ば・梅岩先生て誰や?」
嘉助がまくしたてる隙をついて、尋ねてみる。
「梅岩先生は大坂の大店の奉公人の出エですねん。
商いから学んだ人の道を、教え広めてくれはった賢いお方や。
商いとは、余分に持ってるものを不足のものと交換する。
そうして、ワテらの元から他へ、物を流通させることから起こったのやそうだす。
これを一銭の金もおろそかにせずしっかりと計算して日々を送る。
そうして、小さな利益を重ねて、財産作るのが商いの道やと。
一生懸命に織り上げた反物に、気に入ってくれそうな取引先を見繕う。
そうして、満足してもろて、上手に買うてもらう。この橋渡しがワテの仕事だす。
織手も買い手も商ども、三方満足いく金が動いてこそ、皆幸せになる。
これがワテの商人としての誇りだす」
嘉助は、ちょっと熱くなりすぎたと、ほっと息を吐いて力を抜く。
お紺はいずれ幸吉の嫁になるであろうが、今までの村の暗黙の了解だった。
その為、誰もお紺に夜這いをかけないようにしていたし、嫁取りも申し出なかった。
ところが肝心の幸吉は、お紺に会う度にお決まりの悪態をついたり、ちょっかいをかけているだけ。
幸吉だけが、思春期の不器用さの中にとどまっている。
が、その隙にまんまと嘉助が横からかっさらったのだから、面白いはずがない。
村の中で内緒ごとは通用しない。幸吉の初恋は、本人の自覚が未熟なまま終わってしまった。
嘉助は少し申し訳ない気持ちでいる。あくまでもちょっとだけだが…。
まだ幼さの抜けきれていない幸吉では、この縁談は上手くいかない可能性もあっただろう。
嘉助は同情を捨てた。こうでなければ、生き馬を抜く木綿の仲買は務まらぬ。
これも早い者勝ちだと優越感に浸りつつ、嘉助はこの機に乗じて、幸吉にある大事な話をもちかけることにした。
長すぎた解説も終わり、いよいよ訴訟に向けた活動が始まりました。
もちろん、一筋縄でいくことはあり得ません。
これからは、様々な苦労が待ち受けています。