第三章 国産綿織物の始まり その二
江戸時代、日本の輸出第一位の品物、それは鉱物でした。
ここでは、灰吹き法など韓国から、渡来人を通して渡った技術を紹介します。
渡来人がもたらした技術は、260年の平和の中で世界唯一の最高水準まで成長したものもあります。
日本人らしいですね。
第三章 国産綿織物の始まり その二
彼らは日本に何を代わりに求めたのか?ズバリ豊富な鉱物資源である。
私などは戦争に負けたこともあって、日本は資源に乏しいというイメージがあったのだが…
なんのなんの、最盛期には世界の三分の一の銀が日本産で、その大半が石見銀山でとれたものだったそうだ。
この鉱山が世界遺産に登録された理由の一つに、「灰吹き法」という技術や、植樹など自然保全に努め、自然と人との調和共存の実現に成功したとある。
事実、この鉱物の採掘による環境破壊は、当時もかなり悩まされたようだ。
『遠町深鋪』という言葉が残っている。
鉱物を売り物にするには、精錬が必要である。
採掘が進むほど、精錬に必要な燃料の薪・炭の材料の木材が大量に必要となる。
ところが近場の山では採りつくしてしまって、遠く(遠町)まで足を延ばしてでも、木を伐採せざる得ない。
一方、鉱物を掘り進むにつれ、坑道が深くなり(深鋪)、湧き水(地下水)の排水に難儀する。
山肌も裸のむき出しになり、荒れ果ててしまう。
山あり谷あり川あり雨ありのこの国で、むやみやたら掘り進めば、あっという間に土石流や山崩れを引き起こす。
つまりコストやリスクが増えるばかりで、採算が取れない、という意味だそうだ。
先人もこうした経験から、自然との共存を選び、リスク回避と産出量の調整に努めた。
ところが、明治の西洋化政策により、発破など爆弾や機械導入による無茶掘りが始まる。
高額で雇われた西洋技術者たちが、日本の国土保全の知恵を求めるより、採掘量の実績を求めるのは当たり前の話。
結果、環境破壊・汚染等々のオンパレードになってしまった。
先人の知恵より、西洋技術ファーストの弊害がここに出ている。
但し、お雇い外国人のお陰で、日本の科学技術が、飛躍的に伸び、恩恵を受けたのも事実です。
誤解のないように一言。
脱線してしまったが、中国人やオランダ人が何を求めたかというと、輝くばかりの希少重金属の金・銀・銅だった。
これらの鉱物は、地中に純金属に近い形で存在した。
加工性・耐久性が良く、安定性が高く、輝くばかりの美しさで、付加価値も高い。
日本ではすでに渡来人を通し、発見→開発→発明!などの作る過程や、努力すらすっ飛ばして、製品と技術指導の恩恵があった。
中国からの頂き物の金印なんて、これの代表的なものだ。
日本に渡って住み着いてみたら、豊富な水・森・鉱物などの資源に恵まれ、海や川に囲まれ物流にも恵まれる。
四季が、豊かな感性を育んでくれる。
国土全てを巻き込むほどの大きな戦乱もない、国主は天皇一択だから…。
職能集団は、安心して仕事に専念できただろう。(あくまでも私見です)
こうして私たち日本人は、成るべくして『モノ作りの民』となり発展してきた。
そう言えば、何処かで日本は大陸の極、つまり端とかの意味で、行きついた先に様々な文化が溜まっていった所とあるのを、見たことがある。
あまりにも説得力のあるお言葉に、初めて聞いた時は、目からうろこだった。
古代の人はおおらかだ。
自分たちの神も渡来人の神もひっくるめて感謝し敬い祀った。
なるほどこれで神仏習合か!あくまで勝手な妄想だが、でもホント!現実は、こんな具合だったんじゃなかろうか。
こうしてみると、日本は中国や韓国はじめ、本当に多くの国々の恩恵を受けてますね。
灰吹き法は後で詳しく出てきますが、これからできた製品はどこもまねできないほどの、美しいものでした。これ以上は内緒ですが、お楽しみにしてください。
次回は鉱物からつくる日本の貨幣の話に進みます。