第二十章 成りかわるもの その二
世事に追われせわしく過ぎる内に、いつのまにか三郎衛門の一周忌を迎える頃となっていた。
盛大な葬儀とは比べものにならぬ程、ひっそりと内々の一周忌を終えた。
最後の客を見送ると、政三郎はじめ嘉助・嘉平、幸吉・千吉親子は離れがたさに酒を酌み交わし、思い出話に花を咲かせている。
すでに嘉助も幸吉も代替わりを果たし、孫の成長だけが楽しみな好々爺となっていた。
「政三郎はんはじめ、嘉平も千吉もご苦労さんやったなあ。あの三郎御大の下で走り回らされ世話もして、たいへんやったやろう」
茶碗酒をすすりながら、思ってもいないくせに嘉助が懇ろに三人をねぎらってやる。
「何言うてまんねん。大変なんは、お父はんや叔父はんの頃や。
今やからようわかるわ。延べ売買所相手の時は、何もかも初めてで…村の皆を説得してまとめるところからやで。郡中の寄合ごとに話もまとめなあかん。
金の事もあるし、わてらとは比べもんにならんほど、大変でしたやろ。
それに比べたら、わてらはただ、組合の大惣代の号令に従うだけやった」
嘉平は身を縮めながら、父親たちの苦労を思いやる。
「ほんまやで。訴え出てから裁許降りるまで、十年かかったんよし。
今やったら二月もかからんと、お達しが下される。ひとえにオトンや叔父はんが苦労したおかげやんけ」
千吉も父の背中におぶられながら、神社の寄合に日参した記憶があるのだろう。まさに父の背中を見て育ったのである。
幸吉は目頭が熱くなるのをこらえながら、
「いやいや誰が一番頑張ったというでもない、三郎衛門はんはじめ皆の力や。
まあ、一番の功労者はこのわしじゃ!と、草葉の陰で怒っとるやろがなあ」
「ほんまに先例も書き付けも無い事やし。半分ははったりで、後の半分は騙しみたいなもんだした。
お互い手探りのわからんことだらけやと、どこに文句付けたらええのやも分からへん。大概の事は、酒飲まして怒鳴りおうて何言うてたんか分らんようなって、話通して来たようなもんや」
まことにその通りと、ひとしきり皆で笑いあった後は、放心したようにそれぞれの思いに沈んでいく。
思い出に浸っていた幸吉がそっと、
「所詮ワイらは下っ端や。こっちのことは鼻から相手にもしてもらえん。ひとえに三郎衛門はんの肩にかかっとったんよ。おんぶにだっこや」
ハハハ千吉と一緒やんけ、と笑うと、
「三郎衛門はんには、猿回しの猿みたいに、くるくると手の内で踊らされて…」
当の千吉は苦笑いしている。と嘉平が、
「千吉、おまえ何言うてんねん。
幸吉の叔父さん、上手いこと言うて三郎衛門はん動かしてたんはこいつもおんなじでっせ」
それを受けた嘉助と幸吉は、聞いてる聞いてる、と互いにうんうんうなずきあい、
「御大は大事な寄合程、寝てはったらしいなあ」
「肝心な時だけ誰かさんを動かして…都合のエエように三郎衛門はんをすねさしたり、機嫌ようにさせたり、怒って怒鳴らせたり……」
「何言うてんのや。ワイらのような若造がそんな恐れ多い事でけるけえ。なあ、嘉平やん。」
「ほんまだっせ、千吉つあん。わてらみたいな未熟者、何ができると言うもんやなし。三郎衛門の御大の後ろ、ついていくだけで精一杯でんがな。勘弁してえ」
組合の大惣代ですが、国訴の規模が大きくなるにつれ、村の下部組織から各村々の連合、群同士の組合へと拡大していきます。
最後は大坂に集合して会合を持ちますが、各村々の事情が違うので(領主の支配、寺社の支配、公家の支配、幕領の支配、等々)まとめるのは大変でした。
自ずと各村々の事情に合わせるより、形式的に負担を配分するようになるのは仕方のない事だったかもしれません。