第二十章 成りかわるもの その一
この後暫くして、仲裁を務めた他の庄屋や住職と三郎衛門が頼んだ三日市村惣代七兵衛が、報告を兼ねて見舞いにやってきた。
「身体の調子はどないや。皆の言うこと聞いて大人しいにしとるんかいな。あんじょう養生に努めなあかへんで。」
ニコニコ穏やかな物腰で、住職が見舞う。
「わかっとるわい、くそ坊主。様子見に込んでも、明日やそこいらすぐにはお迎えは来んわ。動きとうても、身体がちっとも言うこと聞かんだけや。
それよか七兵衛はんに頼んだことは、皆得心してくれたんけ?ほかの事はともかく、それだけは気に掛かっ取ったんや」
七兵衛がそれを受けて答えてやった。
「心配せんでもええ。あの連中もアホやない。古市の事情はよう分かっとる。
なんやかんやごねてたようやが、政三郎はんと住職はんでのらりくらりかわしてたら、根負けしよったわ。まだまだ、ケツの青いやつらやで」
「政三郎が…あの政三郎がなあ。乳母日傘のおっとりコンもエエ仕事しよるなあ。あいつら三人はエエ相棒よ。もう安心や。わしも今回は手に合わんわ。わんなる一方や」(今回はどうも手に余るようで、悪くなる一方だ)
「なにケツ割っとんじゃ。がいなお前らしない。があおるお前なんぞ、こころ悪いわい。ただのおんづもりやないけ。どんつかばらんかい。」(何をあきらめてる。わがままなお前らしくない。角が取れて大人しいお前など気持ち悪いわ。ただの過労やないか。もっと踏ん張らんか。)
子供のころの河内言葉に戻って精一杯励ましてみても、すべてをやり遂げ力尽きた三郎衛門には、気力が見られなかった。
あまり居座っても本人が疲れるだろうと、いとまごいを告げようとすれば、三郎衛門が暫しと引き留める。
「すまんが、皆がそろうてる今やからこそ、最後の頼みを聞いてほしい。
いやいや、おためごかしの慰みはもうええ。わしのことはわしがいっちゃんようわかっとる。
それよか政三郎の跡目の事や。おぬしらに後見を願いたい。
ここに居る千吉と嘉平には届けの書付や諸々の内証はよう頼んである。
古市の村方(村役人)連中の承認を頼みたいんや。どうかよろしゅう頼む」
「心配すな、ようわかっとる。もう、代官所も村役の連中にも根回しは始めてるよってな、余計な気い回さんと安心して養生せい。ええな、しっかりするのやぞ」
「なんや。もうわしの葬式の算段しとるやないけ」
憎まれ口をたたきつつも安心したのか、三郎衛門はふーっと息を吐き静かに目をとじた。
その後、いか程も経たぬある朝、三郎衛門は静かに旅立っていった。
家人が三郎衛門の様子を伺いに寝間を覗くと、穏やかに寝入っているように見えたそうだ。その場は無理に起こすことなく静かに引き上げた。
が、あまりに物音がないので心配になった家人が再び寝間を覗くと、すでに息を引き取ってしばらくたっていたそうだ。
三郎衛門らしい潔い立派な臨終だと、葬儀ではみな手のひらを返したように、口々に感服している。
最後の騒動はどうあれ、これまで長年にわたり陣頭に立って、古市の村人を率いてきた立役者であり、指導者でもある。
村民は皆一様に、大きな喪失感と心許無さにさいなまれた。
政三郎はじめ千吉も嘉平も同様に、暫くは何から手を付けたらいいのかわからず、生まれたばかりの赤子のような不安に苛まれる。
といっても、いつのまにか這い廻り始める赤子のように、それぞれの日常へとおいおい踏み出し始めていった。
三郎衛門がとうとうお亡くなりになりました。享年73歳、当時としては長生きした方でしょう。
最後の仕上げも残し、古市の為に生涯をささげました。
モデルの人はおられますが、実在の人物ではありません。
ただ、ここに載っている古市村の国訴の経過は、史実です。
訴えを起こすだけでは済まない、様々な問題があったようです。