第十九章 天明七年 繰綿延べ売買所廃止 その三
定信が老中就任して半年後、
天明七年(一七八七年)十二月二十二日 大坂と平野の繰綿延べ売買所が廃止。
天明八年(一七八八年) 堺の繰綿延べ売買所が廃止となり、一連の騒動に終止符が打たれた。
天明八年(一七八八年)六月に判決の申し渡しがあり、翌七月末には大坂へ出張して、残務処理を行っている。
その後、残暑の頃に三郎衛門は補佐してくれた嘉助をねぎらって一席を設けた。
暑い最中、何度も商いそっちのけで訴願活動に煩わした。
お座敷とはいかないが、せめてもの慰労を込めて、川舟で涼みながら一杯を傾けようという。
嘉助にとって、生涯味わうこともない贅沢に腰が抜けるほど驚いている。
「こ・こんな贅沢さしてもうて、ホンマにエエンでっしゃろか?ワテ罰当たらへんやろか?
幸吉はん、すんまへん。お父はん、先立つ不孝をゆるして」
手を合わせて、拝んでいる。
「アホ!死んでどないするのや。船が沈むみたいに縁起でもない。
お前の親父さんも、屋形船ぐらいやったら、仲間内の付き合いで乗ってるはずやで」
「ホンマでっか!あんのくそ親父。ワテらには、倹約・倹約ばっか言うて渋ちんのくせに…自分はこんな贅沢味おうとったんや」
「お前かて今、お紺ちゃんほっといて味おうとるやないけ。人の事言えるかい。
オヤッさんにも、長い商いの付き合いには色々あるわいな。いつか女房に川床でも連れてったったらエエンや」
「ほないな事言うて、三郎衛門はんは、刀自さん連れてきてあげたことおますんか?」
「いや、無い!」
「即答かいな!三郎衛門はんこそ、女房孝行しはらんと、あきまへんがな」
「ワシはええ!柄やない。そないな事してみい!天地がひっくり返ったような顔で、腰ぬかした女房見るはめになるわい。けったくその悪い」
「はー、刀自はんもご苦労なこっちゃ。あんな出来たお人、何処にもあらしまへんで。もっと大事しなはれや」
「ふん!わかっとるワイ。そやから、好きなだけエエべべ買うたかて、なんも言わんのや。いっつも精一杯やつして、エエふうしてるやろ(よい着物を着て、おしゃれをする)。
せんどせぶられても言うなりに、きりもんぎょうさん買うたってんのや(何度ねだられようと、言うなりになって着物をたくさん買ってやっている)」
「へえ、毎度おおきに。うちもようけ買うてもろてま。刀自はんには足向けて寝られまへんわ。
ま、ここは一杯、どっちゃもエエ女房もろて結構ずくいうことで、ありがたや・ありがたや」
「調子のええやっちゃで。そやけど、この十年で若江郡の平右衛門はんも亡くなってしもて、ワシもいつのまにやら、四十路が見える年になってしもうたわ。
この先の事はわからんが、世の中何一つ同じことは続かん」
三郎衛門はん酔うて来たのか、誰やらの受け売りで説教臭くなりそうだ。平右衛門で思い出したのだろう。
一方の嘉助は、うわっ、うっとうしい講釈が始まりよったで酒がまずなる前に川にでも落としたろか、と不穏なことを考えながら驕り酒を一心に傾けている。
川端の柳がゆらゆら揺れる様子が、川面に映っている。川風に吹かれて、宵闇の中に浮かぶ二人を乗せた川船が、ゆっくりと静かに流れていく。 完
では…終わらなかった。
政治の中枢が松平定信に変わったとたん、株仲間の多数が解散し農民中心の政策に変わります。
一見よかったように見えますが、綿作農家には米を作って貢納するよう言われ、決して農民に有利なことばかりではありませんでした。
この後、有名な文政七年の一千七か村国訴の話になっていきます。
農民の訴えが終わることもなく、むしろ大規模に訴えを展開していきます。