表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/58

第十六章 騒動後と会計報告  その三

 この間、三郎衛門たちは、立ち止まって悩む間もないほどの、苦難の時を過ごすこととなる。


 第一に()()()は困難を極めた。各村々に分担する()()()()()()等決めておくことが多いうえに、かつ複雑だったからだ。

 三郎衛門と嘉助は生涯で一番頭を悩まし、日夜金勘定と各村々との()()に明け暮れた。


 何故これ程大変な苦労が必要だったのか。それにはこの関西、特に大坂特有の地域性があった。

 河内の国の総郡数は十六郡。

 流石に、すべての郡を取り上げるには無理があるので、その中の古市郡を例に挙げて見よう。

 古市郡の村数は十五か村、なのに支配側の領主数は二十に及ぶ。

 内訳は、()()()が四村・()()()が二村・()()()江戸に常駐したまま)大名が八村・()()()が二村・その他が四村とある。

 おわかりのように計算は合わない。少なくとも四か村は、領主が二名以上いるという計算になる。


 もっと極端な例を挙げると、交野(かたの)郡だが全三十八カ村中、一人の領主が治めている村は一つもない。

 幕府領・旗本領・()()()()(付いた役職に伴って与えられる領地)・堂上(どうじょう)(公家)・社寺・その他となっている。


 このように、多くの領主が、モザイクのように支配する地域を、|()()()《ひりょうごく》といった。

 支配する領主は、幕府により頻繁に交替させられる。会社の人事異動のようなものだ。

 与えられる知行(ちぎょう)は、昇給かボーナスのようなものと思えばいい。今の給料に当たるのが領地なのだから、こうなるのも仕方がない。


 村はその都度、それぞれの()()に合わして分割される。このような村を『相給村(あいきゅうむら)』と言い、この形態を『入り組み支配(いりくみしはい)』と呼んだ。


 それだけではない。各村の村役たちも、同じ領主のグループもあれば、別のメンバーで同じ寺の檀家衆、川の水の使用権を共有する組が別の村同士等、互いの関係性も複雑に入り組んでいた。

 当然の事、領主への忠誠心は希薄(きはく)になる。当たり前だ。

 明日は、違う領主が(実際は代官か役人)が赴任してくるかもしれない。

 前にも述べたように、村をまとめる()()の役割は、とても重要なものとなる。


 当然、村内は勿論のこと、各郡の間で決められる()()()()()は、他の何よりも最重要事項となる。

 いつの時代も()()()は大事。何度も会合を開いて細かく取り決めを行った。


 これを『郡中議定書(ぐんちゅうぎていしょ)』とか『郡中相談(ぐんちゅう)極め書(きわめしょ)』などと言う。

 各村役人は、一旦取り決めに同意して()()すると、違えることは絶対許されなかった。

 例を挙げると

 一、諸入用(諸経費)を、それぞれの村の石高(米の取れ高)に合わせて負担の割合を決めること。

 二、この内容は()()()()に記載され、誓約すること。

 三、必ず順守して、共同責任を負う事。

 四、衣食・婚姻・祝儀・賄い・葬送供養見舞い・神事祭礼等々独自の取り決めを行う

 等々、各地域性に合わせた細かい取り決めを申し合わせている。


 余談だが、都会に住んでいるとわかりにくいかもしれないが、地方に住むと時代に取り残されたような自治会の申し合わせに出会えることがある。

 『藪入り(やぶいり)』と言う言葉ぐらいは、今もお年寄りが使うこともあって、聞き覚えのある人もいるだろう。

 だが、結婚祝いのかわりに砂糖二キロを配ること・膝直しの饅頭(まんじゅう)()()()()の赤飯を配る等、意味の分かる人はどれくらいいるだろう。

 私は、生まれて初めてこのような申し合わせを見た。この度、これらは廃止するという案件ではあったが…


 この時代も、各村独自の規律を作って、村内の結束を固めていった。

 警察・訴訟・祭り事・若者組等多岐に渡り、この規律に基づいて作られる。

 これが、村と村を繋ぐ結束となって()()のような村となり、やがて郡同士が繋がる()()()に成長し、()()()()規模の運動へと発展していく。

 

 よって訴訟に係る()()()()も、非常に細やかに分かれ、きっちりと処理されていた。

 当然各郡や村々の規模(石高)も人口も大きく違っている。

 その上()()()()も違うとなると、各村々への負担も大きく違いが出てくる。

 そのため、各地域事情を考慮して総経費を割り振った。

 村々の石高に合わせた負担分を割り当てることを高割(たかわり)という。

 一方の村割(むらわり)とは、経費を村数で割って、平等に割り当てる事である。

 この割合を訴訟ごとに、話し合いの上()()も含めて決めていた。

 計算機もない時代にご苦労なことである。

 百姓でも、江戸時代後期には、江戸市中で80%近くの識字率を誇ったという。庶民が高い教育水準であったことが伺える。


 1781年(天明元年)訴願を取り下げてから、三年後にようやく()()を終了させた。

 これだけの規模で結束して行う集団訴訟は、この時がおそらく初めてのことである。

 皆の承認を得た上で、細かく規律を決めて行くのは、並大抵のことではなかった。

 この後も()()()()は、拡大を続けながら何度も訴訟を起こしていく。

 その度に、取り交わされた申し合わせは、時代に合わせて徐々に成熟していった。

 先駆者たる三郎衛門・嘉助をはじめ、当時の惣代たちの試行錯誤と苦労が偲ばれる。



この後、場面は主人公たちのプライベートに移ります。

彼らもまだまだ若く、家庭を持っていきます。

それと共に色々な問題にぶち当たり、大きすぎる代償も払うことにもなります。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ