第十六章 騒動後と会計報告 その三
この間、三郎衛門たちは、立ち止まって悩む間もないほどの、苦難の時を過ごすこととなる。
第一に金勘定は困難を極めた。各村々に分担する負担金の比率等決めておくことが多いうえに、かつ複雑だったからだ。
三郎衛門と嘉助は生涯で一番頭を悩まし、日夜金勘定と各村々との折衝に明け暮れた。
何故これ程大変な苦労が必要だったのか。それにはこの関西、特に大坂特有の地域性があった。
河内の国の総郡数は十六郡。
流石に、すべての郡を取り上げるには無理があるので、その中の古市郡を例に挙げて見よう。
古市郡の村数は十五か村、なのに支配側の領主数は二十に及ぶ。
内訳は、幕府領が四村・旗本領が二村・定府(江戸に常駐したまま)大名が八村・社寺領が二村・その他が四村とある。
おわかりのように計算は合わない。少なくとも四か村は、領主が二名以上いるという計算になる。
もっと極端な例を挙げると、交野郡だが全三十八カ村中、一人の領主が治めている村は一つもない。
幕府領・旗本領・役職大名(付いた役職に伴って与えられる領地)・堂上(公家)・社寺・その他となっている。
このように、多くの領主が、モザイクのように支配する地域を、|非領国《ひりょうごく》といった。
支配する領主は、幕府により頻繁に交替させられる。会社の人事異動のようなものだ。
与えられる知行は、昇給かボーナスのようなものと思えばいい。今の給料に当たるのが領地なのだから、こうなるのも仕方がない。
村はその都度、それぞれの知行に合わして分割される。このような村を『相給村』と言い、この形態を『入り組み支配』と呼んだ。
それだけではない。各村の村役たちも、同じ領主の組もあれば、別のメンバーで同じ寺の檀家衆、川の水の使用権を共有する組が別の村同士等、互いの関係性も複雑に入り組んでいた。
当然の事、領主への忠誠心は希薄になる。当たり前だ。
明日は、違う領主が(実際は代官か役人)が赴任してくるかもしれない。
前にも述べたように、村をまとめる惣代の役割は、とても重要なものとなる。
当然、村内は勿論のこと、各郡の間で決められる申し合わせは、他の何よりも最重要事項となる。
いつの時代も報連相は大事。何度も会合を開いて細かく取り決めを行った。
これを『郡中議定書』とか『郡中相談極め書』などと言う。
各村役人は、一旦取り決めに同意して連署すると、違えることは絶対許されなかった。
例を挙げると
一、諸入用(諸経費)を、それぞれの村の石高(米の取れ高)に合わせて負担の割合を決めること。
二、この内容は頼み証文に記載され、誓約すること。
三、必ず順守して、共同責任を負う事。
四、衣食・婚姻・祝儀・賄い・葬送供養見舞い・神事祭礼等々独自の取り決めを行う
等々、各地域性に合わせた細かい取り決めを申し合わせている。
余談だが、都会に住んでいるとわかりにくいかもしれないが、地方に住むと時代に取り残されたような自治会の申し合わせに出会えることがある。
『藪入り』と言う言葉ぐらいは、今もお年寄りが使うこともあって、聞き覚えのある人もいるだろう。
だが、結婚祝いのかわりに砂糖二キロを配ること・膝直しの饅頭・腹見舞いの赤飯を配る等、意味の分かる人はどれくらいいるだろう。
私は、生まれて初めてこのような申し合わせを見た。この度、これらは廃止するという案件ではあったが…
この時代も、各村独自の規律を作って、村内の結束を固めていった。
警察・訴訟・祭り事・若者組等多岐に渡り、この規律に基づいて作られる。
これが、村と村を繋ぐ結束となって組合のような村となり、やがて郡同士が繋がる大組合に成長し、国レベル規模の運動へと発展していく。
よって訴訟に係る収支決算も、非常に細やかに分かれ、きっちりと処理されていた。
当然各郡や村々の規模(石高)も人口も大きく違っている。
その上支配体系も違うとなると、各村々への負担も大きく違いが出てくる。
そのため、各地域事情を考慮して総経費を割り振った。
村々の石高に合わせた負担分を割り当てることを高割という。
一方の村割とは、経費を村数で割って、平等に割り当てる事である。
この割合を訴訟ごとに、話し合いの上利息も含めて決めていた。
計算機もない時代にご苦労なことである。
百姓でも、江戸時代後期には、江戸市中で80%近くの識字率を誇ったという。庶民が高い教育水準であったことが伺える。
1781年(天明元年)訴願を取り下げてから、三年後にようやく清算を終了させた。
これだけの規模で結束して行う集団訴訟は、この時がおそらく初めてのことである。
皆の承認を得た上で、細かく規律を決めて行くのは、並大抵のことではなかった。
この後も村落連合は、拡大を続けながら何度も訴訟を起こしていく。
その度に、取り交わされた申し合わせは、時代に合わせて徐々に成熟していった。
先駆者たる三郎衛門・嘉助をはじめ、当時の惣代たちの試行錯誤と苦労が偲ばれる。
この後、場面は主人公たちのプライベートに移ります。
彼らもまだまだ若く、家庭を持っていきます。
それと共に色々な問題にぶち当たり、大きすぎる代償も払うことにもなります。