第十六章 騒動後と会計報告 その二
「そやから、その冥加金もこちらで立て替える言うてますやんか」
「金の事やない。イヤ、金の事やけど…動いとるのは冥加金だけやない言うこっちゃ。
田沼様の周りには、もっと仰山の金が集まってるのや。
田沼様の懐に入るだけやないで。商いが盛んになればなるだけ、大きい金が御公儀に入ってきよる。
とてもワシら百姓が賄えんような程、巨大な金と力がな」
「仁政もへったくれもあらへん。これでは世も末や」
「コレコレ、口は慎みなはれ。壁に耳ありやで。そうやない。
田沼様は、百姓の年貢だけでは立ち行かんこの国に、商いと言う貢物を加えはったのや」
「はあ?」
「お武家はんは表向き、商いなど下賤のする事は出来へん。
そこで、商人を陰から動かして、金儲けするいう事を思い付きはったんやな」
「なるほど考えたな。昨今勢いのある木綿の商いに、目エつけたわけや。
武士があきんどの上がりの分け前狙ってくすねるやなんて、せこいこっちゃ」
「下品なこと言いなはんな。そやさかい、今は辛抱のしどきや。
田沼様は、なりふり構わんと思い切って色々やらはった。
それで御公儀の足りへん金を取り戻しはったのや。
けどな、好き勝手出来るのも、公方様の後ろ盾あってこそや。
公方様が代替わりでもしたら、いつ足元すくわれるかわからん。
所詮は紀州さんのお引き立て合ってこそ。
紀州さんへ、ねたみ嫉みに恨みますぞえ伊右衛門殿~とな。
さて今の公方様は蒲柳の質やそうやが、いつまでこの代が続くかな。
この世の中で、ずーっと続く物は何一つあらへんもんなんや」
この紀州さんとは、七代将軍徳川吉宗の事である。
将軍就任の折、紀州より多くの官吏を伴い、享保の改革を断行した。
田沼意次も、父の代から吉宗に同行し、力を振るってのし上がった紀州系幕臣である。
吉宗の後を継いだのが長男の家重で、蒲柳の質とはこの将軍の事である。
言語障害で、一部の者にしか言っている意味が伝わらなかったそうだ。
その後を継いだのが、長子の十代家治である。
が、この人も不運なことに、期待の長子を十八で突然失ってしまう。
この重大な機密を平右衛門らがいち早くつかめたのも、外山某を通して奉行が漏らしてくれたのだろう。
ここにも、紀州系の田沼ら幕臣とその他の幕臣との、権力争いが功を奏したようだ。
元々は、大阪奉行から大坂城代そして老中への出世ルートが代々敷かれてきた。
が、譜代系官僚たちが紀州系の官僚にこの出世ルートを阻まれてしまう羽目になった。
確かなことは言えないが、三郎衛門たちに追い風が吹いてきたのは事実だ。
後に、こうした二人の内緒話も、現実のものになっていく。
とはいえ、三郎衛門たちが再度訴えを起こすまで、ゆうに十年という歳月がかかった。
吉宗が将軍を継ぐ際、子飼いの紀州武士を多数引き連れ、改革の手足となって活躍したようです。
この後は、大奥も巻き込み激しい権力争いが、起こります。
これ以降、徐々に幕府内から、将軍徳川宗家の求心力が崩れていく様子が伺えます。