第十六章 騒動後と会計報告 その一
三郎衛門と平右衛門は、此度の騒動全てが落ち着いた頃、二人きりで話し合いを持った。
与力の外山某の騒動も落ち着き、一応の解決も見た。
もはや武道より、読み書き計算と交渉術と言った、商人力の方が役に立つ時代である。
婿に収まった庄市は奉行所の勘定方に勤め初めると、俄然実力を発揮しそれなりに重宝されるようになったそうだ。
本人曰く、お武家は世間知らずでどんぶり勘定、足元見られて吹っ掛けられて、目も当てられん、と。
とても、勘当寸前の放蕩息子の台詞とは思えぬ言いぐさである。
やはり、性根の部分は正味のあきんどだったのだろう。
大店の跡取りでも、古くからの奉公人に頭を押さえられながら店を継ぐよりは、本人には幸せかもしれない。
後継ぎの可愛い孫も授かり、しっかり者の嫁の力もあり、収まるところに落ち着いたといったところだった。
三郎衛門たちも思わぬ形とはいえ、奉行側とのつながりも出来た。
とはいえ、自分達の要求を通すほどの力になるはずもなく、ほんの一助でしかないが…
「ほんでもな、こういうちょっとした繋がりが、どっかで又エエ仕事してくれるのや。ことにあの外山某という石部金吉はな、受けた恩は忘れへん。
差支えのない程度には、役所の内情もこちらに流してくれるやろ」
奉行所からの『繰綿延べ売買所廃止』の訴え差し戻しは、勢いに乗って期待も高まったのも相まって、大きな落胆となっている。
「叔父さんには、そない簡単には思い通りに進まんと、前もって言われてました。
その事は重々承知してたつもりだん。
とはいえ盛大に打ち上げた花火の後に、浴びた冷や水は正直きついわ。
皆の行き場を失いイライラした気持ちを、どない立て直したらええか悩ましい」
三郎衛門は、平右衛門の前になると、つい弱音を吐いてしまう。
二人は今、住吉の郷宿で酒を酌み交わしている。
互いの在所では何かと人の目があり、由緒ある住吉大社はお参りという名目で集うのに都合がよい。
「まあ、焦らんことや。そうやなあ、皆には他の事で忙しい思いさして、気イ紛らわしてもらおか?」
「気を紛らわすて、又、何ぞ騒動でもおこしまんのか?」
「アホ!ちゃうがな、物騒なこと言いな。仕事や仕事!
ずーっとほっといて、塵も積もった仕事片づけさせて、忙しさすのやがな」
言われた三郎衛門本人の目が、ひどく泳いでいる。
「え・え〜と、やる事て…なんやいっぱいありすぎて、何から手を付けた物やら」
「村の月行事に検見の随行、米蔵・廻し状も出さなあかんし…なにより今回の金勘定は終わってんのかいな?」
検見とは派遣された代官や役人が行う、貢租を決める作柄の調査である。
庄屋は少しでも自身の村が有利な徴税になるよう、役人たちに袖の下を渡し、ごちそうなどの接待を行う。
米蔵は、貢租米を管理したり、凶作に備えたりする貯蔵庫の事だ。
後に松平定信によって郷蔵と呼ばれ、正式に庄屋が管理するようになる。
廻し状は、お上や村内からの通達や連絡を知らせる、回覧板のようなもの。
「イ・イヤ〜やろうとは思てますねんで。思てるのやけど、ややこしい事ばかりで…」
「アホやな。時がたてばたつほど、余計わけわからんようになるで。
『金の貸し借り不和の元』先ずはそこからや。
村役連中にも仕事をしっかり押しつけて、よう話し合うて片づけていきや。
ちょっとやそっとで、簡単に片が付く件でもないしな。あっという間に時は過ぎてしまう。
そしたら、世の中の潮目が変わるやもしれんで。
今の公方さんも、いつまで生きてなさるかわからんしのう」
「ちょっと!叔父さん、どこに耳があるか分かりまへんで」
「ハハハ、こんなごま塩頭、薬味にもならんわ。
外山様が内緒でな、奉行様から聞いたご城代のお言葉を教えてくれはったのや。
老中田沼様のご政道の下では、たとえ国を差し出そうとも、訴えが通ることはあるまいと」
「それでは、ワシらが何度訴え出ようと、お取り上げはしてもらわれへん、いう事やないですか」
「何の手立てもないという事やあらへん。時節を待て、と言われてるのや」
「時節?」
「なるほど今は、田沼様の天下や。株仲間を認めたことによって冥加金集められて、御政道を立て直されたのや」
吉宗が将軍を継ぐ際、子飼いの紀州武士を多数引き連れ、改革の手足となって活躍したようです。
この後は、大奥も巻き込み激しい権力争いが、起こります。
これ以降、徐々に幕府内から、将軍徳川宗家の求心力が崩れていく様子が伺えます。