第十一章 頼み証文 その二
頼み証文の写しを手に入れようと、三郎衛門は苦心します。
この時代、書式や手続きはかなりうるさく、神経を使っています。
三郎衛門はどうしても、若江郡の頼み証文の写しを手に入れたいと思案していた。
思い切って若江郡惣代の跡取り仲間の佐平に、若江郡の『頼み証文』の写しでよいので、内密に手に入れられないかと接触してみた。
若江郡は、新田の数も多く、綿作が中心の地域である。会所の影響を最も受けていた。
河内の中で『延べ売買所廃止』の訴えには、いち早く動いている郡の筆頭でもある。
意外なことに、佐平からはアッサリと『了』の返事が来た。
善は急げと、佐平がひいきにしている遊女の小梅を呼び、一席を設ける。
冷や汗もののゴリ押しではあるが、当の佐平は何も考えてなさそうに飄々としている。
ひとしきり酒を交わした後、小梅にはいったん席を外してもらう。
「あっ小梅はん、もう行くんかいな。また後で呼んだら来てや」
「さあはん言うたら、かわいい人。アテこそ、後で知らん顔して他の子呼んだら、承知しまへんで」
「何言うてるのや。ワテはいっつもあんた一筋でんがな。
こんな鬼瓦と顔突き合わしてたら、気鬱になるわ。なるたけ早よ呼ぶさかい、おとなし待っててや」
「ホンマお上手なこと」
流し目で品を作って拗ねて見せ、小梅はサッサと席を外す。
小梅は客あしらいが上手く、口は堅い腕利き遊女としてひいきも多い。
いささか薹が立っているのは、まあ、ご愛敬で?
正直、三郎衛門はいつから小梅と顔なじみになったか、思い出せないくらいだ。
小梅て一体いくつなんや?ぶるっと悪寒が走る。
いやいや口の堅い、重宝な女子や。やっぱり小梅が一番信用できるしな。
他の事なぞ、どうでもええこっちゃと、気持ちを切り替え、
「上手くいったんか。」と、佐平に尋ねる。
「ふん!これやろう?」
なんという事はない風に、書き付けの束を投げてよこす。
「えっ!ほんまかいな。よう盗んでこれたな。後で、ややこしいことにはならへんやろな?」
「なんや!ややこしいてわかってて、ワテに頼んだんかいな、ひどいやっちゃ。
これぐらいでは割に合わんでエ。」
ニヤニヤしながら、佐平がからんでくる。
「わかってる!この通り恩に着るわ。今日は一晩しっぽりと、小梅との逢瀬楽しんでくれ。」
と、手を合わせた。
「フフッ、そうこんとなあ。危ない橋渡った甲斐ないわいなあ」
佐平は、芝居のせりふ回しで浮かれてみせる。
いささかイラつくが、三郎衛門は、まあ仕方がないかとこの場は打っちゃり、
「あ~ようやってくれた。この事は、決して他には漏らさへん。
用が済んだらすぐ燃やすさかい、安心してまかしてくれたらええ」
「え~、それ燃やしたら困るがな。証文の移しとちゃうでえ。
本物やでえ。それ本物‼後でちゃあんと返してや」
「何つ!おまえ、親にばれたらどないするつもりや?」
三郎衛門は、いつも通りの平常運転の佐平に、肝を冷やして青くなる。
「さあ、なあ⁇そやけど、ワテは怒られへん気イするで。
こんなもん誰もメッサと見たがるもんやないしなあ。
十日やそこら見えんでも、気に掛ける者はおらんと、お父はんも思うてはったんちゃうかあ?」
佐平は、その辺に転がっている石ころのように言っている。
「なんやおまえ、他人事のように言うのやな」
「他人事やもん。お父はん、堂々と床几の上に、文箱(重要書類入れ)置いてはったもん。その上ご丁寧に蓋まで空けてあったで」
「なっ、なんやて!ほなこれは⁈」
「夜中に忍び込んだら、隣りの寝間からボソッと、なんやここまでしてやっとかい、て寝言聞こえたでエ。そやさかい、そっちも早う急いでや。
恐れながらの足並みそろわんと、通るもんも通らへんやん。
ハハハ、便秘かいな…」
「はあ~、何もかもお見通しちゅうことかい。平右衛門はんには、一生頭上がらんわ」
三郎は、何やら放心して肩の力が抜けた。
大坂の遊女と江戸の遊女は少し違っていたようです。商都大坂の遊女は今で言う
コンパニオンやホステスの役も担って接待役をこなすことも多かったようです。
私の感覚ですが、地位もそれなりに高く、尊重されていたのではないでしょうか。