第十章 ハッタリ その一
何やら陰謀めいた策略が見えます。が、やむ負えない事情が垣間見える様子が描かれます。
「このド腐れが‼何してけつかんのじゃ!
親の顔に泥塗りくさりおってからあ!」
この夜一斉に、古市のあちらこちらの家から、怒声が鳴り響いた。
綿の収穫も終わった、十月のことである。収穫した綿を天日に干している最中で、いわゆる綿づくりの農閑期にあたる。
ほっとしたのもつかの間、どの家からも二~三発殴られる音が響く。
このような騒動が起こったのには、勿論訳がある。
さかのぼること九月の末、綿の実が盛りに咲く収穫直前であった。
繰り返すが、三郎衛門たちは万策尽きて詰んでいる。何に詰んでいたのか。
繰り綿延べ売買会所差し止め願いの訴えを興すよう、村内の皆に賛同させる策である。
すでに幸吉傘下の若者組だけでなく、近隣の村役跡取り仲間たちからも強い賛同を得ている。
嘉助の在方商人仲間は言うに及ばず、機織り娘や女衆たちも嘉助の根のいい説得に、いやなく賛同している。
問題は村役も務める土地持ち本百姓たちだ
当時の村では、村の行政にかかわる者を大人とか年寄と言う。
彼らがうんと言わなければ、たとえまわりがいくら賛同しようとも何も決まらない。
今で言うなら、選挙権があるかないかということなのだ。
土地持ち百姓でも年貢を納めていなければ、会所に出席する権利もなかった。
彼らも、このままいけば詐取されるばかりで、先細りだという事は重々承知している。 でなければこの忙しい最中、連日連夜会合を開いてはいない。
実際、繰綿延べ売買所設置当初は、彼らも直ぐ奉行所に反対を訴えた。
お奉行からは、歯牙にもかけてもらえなかったらしいが…
親族一党や小作人・下人まで抱えての責任があり、この先の一歩が踏み出せず…かといってよい知恵も浮かばず…といった所だ。
その上、息子や娘・嫁まで連日やいのやいのと責めたてられ、ついにへそを曲げてしまう者まで出た。
この膠着状態を打破するためには、強力な仕掛けが必要だ。
いや別に、地道に説得していく方法もあったかもしれないが、この三人の柄ではない。
兎にも角にも時間がない。
若江郡の訴願に足並みそろえねば、一郡ごときの訴えでは、かつてのように突き返されてしまう。
何よりも、訴願後の郡中内の主導権を考えると、立ち遅れる事だけは避けたい。
三人を含め他の者たちも焦りがあった。
「こないなったら、少々の荒療治はやむを得んな」
三郎兵衛は、何かを決意したかのように、フ~っと息を吐く。
「何ぞやらかすんけ?わいが、ちーといわしたろかい」
幸吉が腕まくりして見せる。
「アホ!自分の親をいてコマしてどないすんじゃ!
恐れながらと訴え出るどころか、こっちがお縄につくわ!」
「ほなら、どないしますんや?このままでは、にっちもさっちもいきまへんで」
普段落ち着いている嘉助にも、焦りの色が見える。
「まあ落ち着いて、ワシの話をよう聞け。
ええか、いささかだましのような強引な手やが、この潮目を逃すわけにはいかん。
これはな、皆で力を合わせて一斉に仕掛けんと失敗する。それと、入念な準備に素早い対処や」
「なんや義経公の奇襲みたいやな。ワイこんなん大好物やんけ!」
「浮足立って急いては、失敗するぞ。
誰一人、裏切りも気おくれも許さん。
一回こっきりしか、通用せん手やから」
三郎兵衛は、悪い顔でもったいぶる。
「もったいぶってんと、早よ言うておくんなはれ」嘉助もじれてきた。
「まあ、耳かっぽじってよう聞けよ。ちょっとでも段取り狂たら、一巻の終わりやぞ」
夜が明けるまで、入念な打ち合わせが続く。が、三人とも興奮は高まり、不思議と疲れは覚えなかった。
「策はこうや。若江の連中に呼応して、この古市を含む河内郡も訴えを起こす。
それにはな、まずワシを惣代にするのや」
「ほらいずれは三郎兵衛はんには、惣代になって盛大働いてもらわなあきまへん。
そやから言うて、若造の三郎兵衛はんに、そのお役回ってきますやろか?」
嘉助は何気に失礼なことを言っている。
が、これが常識である。
二十代半ばの三郎兵衛が家督を継いでいること自体が、おかしいのである。
勿体ぶりますが、この先はここまでです。少し長くなるので、ここでいったん切らせていただきました。
次回は、フィクションならではの奇襲作戦が実行されます。