第八章 古市村と三人の覚悟 その一
前書き
三人はいかに三郎を中心に、古市村もまとまって一団となり、繰り綿延べ売買所反対を訴え出るよう説得する方法を相談しています。
つい脱線しますが、その中の話からいかに百姓が苦労して、綿作づくりしていたかを語ります。
第八章 古市村と三人の覚悟
「あっこも、えらい苦労やのう。神尾若狭守に『恐れながら』て因縁つけて、失敗したんは聞いとるで」
あっことは、若江郡を含む新田を抱える郡の事である。
幸吉は、さも知ったかのようにいっぱしの口をきいていた。
「アホ!内情もわからんと、利いた風の口利きよって。ワシもおまえも、まだこの世に産まれ落ちる前の話やないか。何が苦労やのうや!」
神尾若狭とは吉宗の時代、勘定奉行として辣腕を振るった神尾春央の事である。
既に新井白石も失脚し、吉宗は後に享保の改革と言われる財政再建に、必死で取り組んでいた頃である。
神尾は、有毛検見法という課税法を導入した。毎年の米の出来具合に応じて、課税率を決めるシステムである。
一見効率的に聞こえるが、要は出来が良ければそれだけたくさん年貢として取りあげられるので、余すことなく吸い上げられるという仕組みだった。
不作に備えて、米を備蓄することも許されず、百姓を非常に苦しめた。
「言えるわい!あずまより 神尾わかさがのぼりきて 畠をも田をも 堀江あら四郎」
幸吉は、節をつけて歌ってみせる。
堀江あら四郎とは、神尾若狭の部下の名前である。
河川敷や山林まで新田とみなして、年貢を徴収したため、山や村が放棄されて荒れた(田)と掛けている。
幸吉のへたくそなわらべ歌に、嘉助がすかさず突っ込む。
「かみお言うん違いますで、かんお言いますねん。」
「ふん!そんなとこやろ。こいつの知っとるとぬかす話は。神尾はな、官吏としては優秀やったかしれんが、仁政としては最悪の男や」
三郎が吐き捨てるように言い、ぷいと横を向いた。機嫌がすこぶる悪い。
「神尾若狭は検見なしで、しかも米が穫れる穫れんにかかわらず、綿畑を常に一番上の上田の年貢にしましたんや。ここいらの田より多くて、三割がた上の率やで!」
その上、新田は三十%の年貢免除にもかかわらず、綿畑は免除なしの上田の等級をつけられる。
これで二~三十%も増徴になってしまった。
嘉助もさすがに怒りが抑えられない。
「何やて!あこいらは米がとれんから、綿作ってかろうじて息つないでんのやないか。ひどいとは聞いとったが、ワシら百姓に死ね言うとんけ!庄屋や村役は何しとったんや」
「もちろん、恐れながらと訴え出たに決まっとるわ。村人総出で京都のお公家頼って集まった数、二万とも聞いとる。大目付にまで願い出て、まるで戦のようやったそうや」
疲れたように目頭を押さえながら、三郎衛門は溜息を吐いて答えてやる。
1745年(延享二)の四月 摂津・河内・和泉・播磨の二万人もの百姓が京都に集結し、公家に年貢軽減を幕府へ具申してもらうよう訴え出る騒動が起こった。
京都の公家を利用しようとしたことが面白い。未来の幕府崩壊を予見させるような騒動だった。
幼い頃より、何度も聞かされてきたのだろう。実際に見たかのように話している。
「そりゃ、おったまげや!豪勢やないけ!ざまあみさらせや!」
幸吉の先走りに苦笑しながら、嘉助が説明を付け加えた。
「話は最後まで聞きなはれ。うまくいってたら、こんなわらべ歌は残ってまへん。そんだけ万策尽きてしもて……文句言う代わりに童に歌わせたんでっしゃろな。
結局、一切願いは聞き入れられず、厳しくお取り立てされたそうや。下百姓の中には子や娘売って、それでも払いきれずに、田を手放した者数知れずと聞きますで」
「ぐすっ…なんちゅうこっちゃ。神も仏もないとはこのことや。ご仁政もお終いや」
幸吉は涙ぐんで鼻をすする。
「しっ、大きい声出して、どこで聞かれてるやらわかりまへんで!とは言え、ほんまに本末転倒や」
嘉助は、口に指をあてて奥を伺うふりをしつつも、鼻で笑っている。
「なんよ、下手なダジャレかまして。なにボケとんのや?ちっともおもんないで」
幸吉よ、ボケてるのはお前だ。
有毛検見法は、百姓からいかに年貢を搾り取るかに特化した法律です。この辺が『生かさず殺さず』の言葉が生まれてしまうのでしょう。百姓は米を作るのが第一と幕府は考えています。綿などの商品作物は年貢の観点からは邪道でした。この頃はまだ、幕府も綿をどう扱うか迷いの頃のようです。百姓と漁民は綿を着ろと言っておきながら……。
仁政は、当時の農民も大名も一番に目指した政でした。太平記を理想に、忠義や孝行に重きを置き
志を高く求めたある意味ストイックな施政者像です。真面目で純粋な姿も見えます。




