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第六章  古市三郎なる者    その三

ようやく三郎衛門・嘉助と幸吉の三人トリオが始動します。とはいえ、問題は山積みで

山登りでいえば、まだまだ一合目です。

それぞれ個性の違う三人だからこそ、この難関に立ち向かっていけるでしょう。



 第五章  古市三郎なる者    その三



「ほう、おまえ心学舎(しんがくしゃ)の出エかえ」

 得心したように、懐手(ふくろで)のまま三郎が尋ねる。


「へ、へえ。母が京の出で、ワテは幼いころより京の呉服屋に奉公に出されて…

 そこの主人が梅岩先生に心酔しはって、熱心に支援したお一人でした。

 その縁で、丁稚(でっち)のワテも夜学(やがく)に通わしてくれはったんですわ。

 三郎様も心学舎にお通いなされてはったんですか?」

 嘉助は揉み手(もみて)しそうな勢いで、うれしそうに尋ねた。


「気色悪い。下手なべんちゃら使うな。普通にしゃべらんかい!」

 気持ち悪そうに三郎が二の腕をさする。

「ワシは懐徳堂(かいとくどう)や」

 懐徳堂とは、後に幕府公認となる町人用の儒学教育学問所である。

 今でいう大手有名私学のようなものだろう。


「まあ、出身言うてもな、なんや固い風が性に合わん。

 そしたら、近くで心学教えてる私塾があってな。道話(どうわ)目当てにしょっちゅう潜り込んどったんや」

 懐かしそうに、思い返している。

「ほんまに!ワテも月一の道話が楽しみでしてん。

 その時だけは休みもろうて、昼に聞きに行ってましてん。

 誠に話が上手で、面白おましたなあ」


 心学舎とは、石田梅岩を祖とする心学の認可された塾である。

 そこでは定期的に、()()()()によって()()という()()が行われていた。

 身近な例を使って面白おかしく説いたため、()()()()()の一つとされている。

 さぞ三郎や嘉助ら子供たちの心をとらえたことだろう。

 京都の三舎から始まり、大坂では玄一堂や明誠舎などが有名となっている。

 日本全国に百八十以上の塾があり隆盛を極めたという。


「ふむ、お前の一連の動きも得心がいったわい。

 心学の教えに心酔して、一丁前に賢しらぶって、こいつを引き込んだな。

 どうせ、庄屋のあほボンたたきつけて、うまいこと動かしたろ思て来たんやろがい」


「ギクッ!」

 アッ、アホ!何声に出してんねや!

 幸吉の奇声に、嘉助は思わず冷や汗をかいた。


「お前らちょうどええ二人組やが、ワシから言わしたら、どっちもどっちや。

 嘉助、ワシを動かすにはお前では役不足じゃ。お主は頭でっかちで謙虚が足らん。まあ、せいぜい()()()程度いうとこやな。

 幸吉はアホやけど、その分真っ直ぐや。アホな分、人から警戒はされん」


「アホアホてほめてんのか、けなしてんのか。どっちやわからんやんけ」

 幸吉は、ここは怒るべきか喜ぶべきかよく分からないものの、にやにやが止まらない。

 一方の嘉助は、三郎の思いの外の鋭さに、肝が冷えると同時に頼もしさも感じていた。


 これはとんでもない拾い物かもしれん!

 ワテの腹の黒さも、幸吉の簡単に人の懐に入れる人の良さを、一目で見破る鋭さ。

 ただの放蕩者やない。ワテらがついていくに足るお方や。

 嘉助は直ぐに腹を決めた。


神輿(みこし)にかつごうやなんて…とんでもおまへん。ワテらの猿知恵では、思いもつきまへん。

 ご不快に思わせたんやったら、誠に申し訳ございまへん」

 嘉助は後ろに飛んで、平身低頭して土下座をした。

 それを見てビックリした幸吉も、ドンと後ろにすっ飛んで嘉助に並ぶ。


「そやけど、決して自分の利や勝手で来たわけやおまへん。

 ワテは、祖父のころより、この古市のいや河内の地で商いさせてもらい、なんとか日々生かせてもろてきました。

 この地が人が好きなんだす。それは幸吉はんもおんなじ思いだす」

 隣で幸吉も、ブンブンと抜けそうなほど首を振っている。


「大坂の綿商仲間のやってることは、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と同じだす」

 『儲けしか目に無い人達は、目先の欲に駆られて後から出る損害のことは考えておらず、結局は自らの行いで首を絞めることになってしまう』と云う意味である。


「そんなら、ほっといてもいずれは自滅するんとちゃうんか」

 三郎は投げやりに答えた。

「それでは…三郎はんは、古市の皆にそれまで耐え忍べ言いまんのか!」

 いつしか、嘉助は泣いていた。幸吉も鼻をすすっている。

「それではワテは、何の為に生きてまんのや。そんなん、生きてるとは言わへん!」

 唾を飛ばし鼻水が垂れても、文句を止めることはできなかった。


「みんなが仕合せやなかったら、ご飯もおいしないし、お紺ちゃんにも笑うてもらわれへん。

 お天道様の下で、堂々と歩きたい!」

 もはや、駄々っ子である。


 三郎は首の後ろをかきながら、

「あ〜分かった!いけず(いじわる)言うてすまん!

 ワシ泣かれんのがいっちゃん苦手なんや。 もうええ年した男が泣くな!

 お前のええ子はお紺ちゃんいうんか?その顔見たら引くぞ」


「ほっといてください。お紺ちゃん知らんくせに。

 そないに気の小さい子やあらへん。よう気の付く優しいええ子なんや」

 嘉助は憮然としながら、(たもと)でにやけた顔をぬぐっている。


「なにをどさくさまぎれに惚気とんじゃ。

 ああもう!取り敢えず、お前らの本気はよう分かった。

 ワシも今はやることがある。落ち着いたら呼ぶさかい、これからの事を打ち合わせに来い」


「えっ!ほなら、この話受けてくれはるんですか!」

 嘉助も幸吉も自分たちの目論見は失敗したと思い込み、すっかり諦め気分になっていた。 

 なので、突然光明が差したように喜んでいる。


「ぬか喜びすな。お前らじゃ失敗するのは目に見えてる。

 まず目の前の敵、いや壁や。お前らの親父含めた年寄連中のことや。

 一筋縄ではいかんぞ。ある意味、大坂の連中を相手するより厄介やろな」


「そ、そんなん。か、覚悟の上やんけ。」

 幸吉の顔色が青くなり、少し声も体も震えている。


「まあ、お前の反応が普通やろな。

 年寄連中も、何もせんとただ手をこまねいてたわけやないぞ。

 早うに抗議の文書は奉行に出しとる。 とは言え、そこまでや。

 これ以上手だてが無いから、毎夜集まるしかないんや。 

 お前らがなんぼがんばっても、それだけではあかん言うのはそういう事や。

 これからは、ワシの手足になって、しっかり働いてもらうぞ。

 もう()()()()()()の連中も動いてるのや。

 この古市は、十分遅れを取っとる。 おちおちしとられんぞ」


「三郎はん。全部知ってはったんか」

 嘉助は呆然としながら囁く。


「うぬぼれるんな嘉助。ワシはこの古市で、代々続く大庄屋じゃ。

 この世で一番古市のことを分かって考えてるんは、このワシじゃ!」

「も、もちろんわかってます。若江郡の動きを知ったはるのに、驚きましたんや」


「今の有り様を憂いているんは、お前らだけやない。

 ワシら庄屋の跡取りや寺、神社の跡取りも気持ちは同じじゃ。

 唯、遊びまわっとるわけやない。お互いの内情は普段から、よう通じおうとる。

 若江の動きぐらい、重々知っとるわい。真っ先に動くんなら、あそこからやろがい」


「なんで若江から動くんや?あっこには、強面(こわもて)がよおけおって、血の気が多いのけ?」

 また捨吉が、ボケをかましている。



この後は一度、この地域がなぜ綿作に邁進していったのかを、語ります。

江戸時代の人々は川との闘いと、共存だった事がよ~く分かります。



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