第六章 古市三郎なるもの その二
いよいよ三郎との対面です。
この凹凸コンビでは、果たして三郎に対抗して自分たちの主張ができるでしょうか?
二人は奮発して池田の酒を手土産に、緊張しながら一軒家程の大きな門をくぐった。
すると、下男らしき老人が現れ、
「ああ!そっちちゃいまんがな。裏口に回っておくれや。」と、叱られる。
むっとした幸吉は、それでも小声で、
「なんや、物乞いや御用聞きちゃうぞ!
しっつれい(失礼)なやっちゃで。何様やねん。どこぞの殿さんかい!」
鼻息荒く聞こえないように憤慨している。
「フフフ、アテら程度の若造では、この扱いは当り前ですわ。会うてくれはるだけ、まだましかもしれまへん。」
これは、思っていた以上にやりにくそうだと、二人は腹をくくって褌を締めなおす。
それでも裏の広縁でなく裏座敷に通され、一応白湯も供された。池田の酒が効いたようだ。
暫くすると奥から、お不動さんのような顔で気難しそうな大男がぬっと現れる。
板を踏む足音も気配も感じさせず、二人とも全く気付かなかった。
商売柄、人の気配に敏感な嘉助は、心臓がバクバクとしてくる。
ワテとしたことが…これはちと見誤ったやもしれんな。一筋縄ではいかん御仁のようやで。
この話をもっていくにしても、もっと工夫がいったようやと、背中に冷や汗が流れてきた。
三郎には、相手に気おくれを覚えさせるほどの威圧感があった。
大男と思ったのも、本人から感じる圧迫感だろう。
幸吉はと言えば、既に蛇に睨まれた蛙状態になっている。金玉も縮みあがっていそうだ。
ともすれば逃げ出したい気持ちを奮い立たせ、嘉助は挨拶もそこそこに、早速要件に入った。
とても、回りくどい前書きや口上を許す雰囲気ではない。ここはあきんどの勘を働かせ、空気を読む。
「お初にお目にかかります。本日はわざわざお目文字頂き、ありがとう存じます。
失礼は承知の上で、前口上は省かせてもらいます。
アテはここ古市で木綿を扱う嘉助と申す商どだす。こちらに控えますのが、村役も務める万吉が息子で幸吉と申します。
今日参りましたんは、先ごろ騒がしてる繰綿延売買所の増店と若江郡の件だす」
「ほう、突然来て何事や思たら、えらい話持ってきよったもんやな。
なんの話か、聞かせてもらおか。ああ、余計な美辞麗句はいらん」
「今度、延売買所の会所が二か所増えて、全部で三か所になります。(実質は四か所)
これでは、この河州だけやのうて摂州・泉州に至るまで、大坂三所実綿問屋に買い留め(買占め)られ、値段も踏み下げ(引き下げ)られ、こちらが自由に売り捌くこともできまへん。
このままやったら、弱い小百姓からつぶされてしまう。
この古市村を治める立場の庄屋はんが、手をこまねいててもええんだすか」
「ふん、確かに早晩その通りになるやろな。そやけど、それがどうした。
まあ、お前ら在方の商ど(在郷商人)は商売が手狭になって困るやろうな。
そやが、小百姓は小作か下人になって、ワシらか捨吉のような高持(中級以上の土地持ち)に雇てもろたら、食い扶持には困らんやろ」
「アテは自分の利の為だけに、幸吉はんまで巻き込んで、こないな文句言うてるわけやありまへん。
百姓にとって己が土地は、ご先祖様から引き継いだ、命よりも大事な物や。
たとえ生活が成り立っても、百姓の誇りを失のうてしまうて、こないに悲しいことありますやろか。
食べて息するだけが、生活言うんとちゃいまっせ。毎日の幸せ感じて、初めて生きてる言うんちゃいまっか。
綿も一緒や。売り手の仕合せ、買い手の仕合せ、作った者の仕合せ…みんなの仕合せなくして、人の道と言えまっか!」
嘉助はいつの間にやら我を忘れ、大声で三郎に噛み付いていた。
しもた!ワテとしたことが悪い癖や。熱なりすぎた!これでは喧嘩売りに来たようなもんや!
隣の幸吉を見やれば、あんぐり口を開け、魂が抜けたようになっている。
嘉助は我に返って、一気に血の気が引いていくのを感じた。
やはり、歯も立ちませんでした。
ただし三郎のほうも、けんもほろろに追い出す風はありません。
少し、ふたりを試すようにも見え、この先の展開が見えてきます。