第六章 古市三郎なるもの その一
混乱する村内の様子が見られます。
それでも何とかしようとポンコツ二人組は、ついに三郎を引っ張り出そうと画策します。
どうするのでしょう。
第六章 古市三郎なるもの
嘉助は、ここのところ三日と空けず、若者小屋に通っている。
捨吉に頼まれ、繰綿延売買所と関連した諸々を教えるためだ。
今では、綿問屋から株仲間に至るまで、綿の取引の仕組みと金銭勘定も含めて、詳しく教えるようになった。
意外なことに皆、居眠りもせずに真面目に聞いてくれている。
最初は聞く耳も持たず、ちょっと前の幸吉と同じでふてくされた態度だった。
が、若者組にも地頭が良い者は、何人かいる。自分たちの生活が掛かっているこの問題には、並々ならぬ関心を持っていたようだ。
その連中を中心に、紙と矢立まで持ち込んで書き込みはじめ、嘉助に度々質問までしてくるようになった。
この河内だけは、豊かな土地柄もあって、桃山時代にはすでに綿の生産がかなり進んでいた。
ここの連中にとって綿作りは、先祖代々の家業であり思い入れも深い。
毎日のように仲間内でじゃれあい、娘らにちょっかいをかけることしか考えていない、呑気なガキのままではいられない。
若者特有の、未来をどうにかしようという闘争本能のまま、この事態を理解しているようだった。
いつの間にか、石門心学の教えまで、分かりやすい例を交えて話すようになっている。
訳の分からぬまま巻き込まれている繰り綿延べ売買所の横暴。
これに対抗していくためにはどうすればいいか。答えを導いてくれる師に飢えていたのだろう。
まだまだ大人扱いはされず、大事な話には加えてもらえない。
かといって、家業を継いでいく責任だけ、親たちは口うるさく言いつのってくる。
日和見で中途半端な村の長老たちに、不満が溜まっていった若者組は、一触即発の状態へとなっていった。
平常時なら、これも若者の血の気の多さだ、と済まされていただろう。
いずれ嫁取りを早めれば落ち着くだろうと、親たちは自分の経験に照らし合わせ、笑い飛ばしたろう。
だが非常時には、親たちのこの態度は逆効果となる。
爆発寸前の火山のように、静かに若者組の怒りのエネルギーが、蓄積されていた。
今日も嘉助と幸吉は、お福の店で密談を重ねている。
いつの間にか盆行事も済み、季節は秋の始まりを感じさせている。綿の収穫まで、もういく日もない。
綿の収穫だが、白い綿の実……通称コットンボールは、七月から咲き始め、咲き終わった四・五十日後の、九月から十一月頃まで出来る。
これを綿がふくと言った。ちなみにコットンボールは綿の花のことだ。
主に九月から十月には、綿毛をすぐに収穫していく。
これを綿を摘むと言い、摘んだ綿には種が入っていて、実綿と言った。
実綿から種を取り出す作業を綿繰りと言い、分離した綿毛を繰綿と言う。これが綿織物の原材料である。
種は、次の種苗分を取り置き、残りから油を搾り取って、その搾りかすがまた綿の肥料となる。
綿の木は乾かすとかまどの燃料となり、綿は捨てるところのない最優良農産物なのである。
さてこの綿作農家の跡取りたちなのだが、
「このままやったら、若い衆の誰かが先走りしてまうど」
幸吉は若者組のリーダーを務めるだけあって、仲間内の空気をよく読んでいる。
「そうでんなあ。そろそろワテらを率いていく、強い後ろ盾が欲しいところでんな」
「後ろ盾て、ワイらの言うことを聞いてくれて、そこそこ偉い都合のええ人間なんて……居てるけ?」
「かねてから話し合うてきたように、誰かが血を見る争い事にはしまへん。
年寄りを代表に牢屋入って、犠牲になってもらうのも無しや。
そのためにも、大坂の仲買仲間とお上に立ち向かえるだけの、強い財力と格式が必要だす。
しかも、ワテらの思うように動いてもらえる、おやけ(素封家)のボンボンがよろしい」
「おま、今えらい悪い顔してるで。そやけどそんな都合のええ奴、この在所におるんかいな?」
「都合のええ人が、この古市村にいてはりまっせ。しかも村一番の大庄屋の遊び人!」
「おおッ、悪たれ三郎かい!」
「しいッ、声が大きい。あんたもたいがいえげつないなあ。そないホンマの事、口に出してよう言いまへんわ」
その日二人遅くまで、古市三郎をどう引っ張り出すか、あーだこーだと作戦を練ったが、この二人の地頭では、ここまでで…なんのアイデアも思いつかない。
取り敢えず、まずは正攻法で三郎と繋ぎをつける、ということでこの晩の会合は終わった。
善は急げだ。こうゆうことは間を置くと、気後れしてしまう。
放蕩者の悪たれとはいえ、相手は大庄屋の一人息子である。
知り合いだという寺の跡取りに、渡りをつけてもらうこととなった。
それからは、訪問の日取りもあっという間に決まった。
二人は手土産に池田の酒を奮発し、一軒の家程に大きな門を、緊張しながらくぐった。
すると、下男らしき老人が現れ、
「ああ!そっちちゃいまんがな。裏口に回っておくれや」と、叱られる。
むっとした幸吉はそれでも小声で、
「なんや、物乞いや御用聞きちゃうぞ!しっつれい(失礼)なやっちゃで。何様ちゅうねん。どこぞの殿さんけ!」
聞こえないように鼻息荒く憤慨している。
「フフフ、アテら程度の若造では、この扱いは当り前ですわ。会うてくれはるだけ、まだましかもしれまへん。」
これは…思っていた以上にやりにくそうだと、二人は褌を締めなおして腹をくくった。
それでも裏の広縁でなく裏座敷に通され、一応白湯も供される。池田の酒が効いたようだ。
暫くすると奥から、お不動さんのような顔の気難し気な大男がぬっと現れる。
板を踏む足音も気配も感じさせず、二人とも全く気付かなかった。
商売柄、人の気配に敏感な嘉助は、心臓がバクバクとしてくる。
ワテとしたことが…これはちと見誤ったやもしれん、一筋縄ではいかん御仁のようで、この話をもっていくにしても、もっと工夫がいったかもしれんと、背中に冷や汗が流れてきた。
やはりこの二人では、三郎には歯が立ちません。軽くいなされ、これ以後は手下として、粉骨砕身走り回ります。
*素封家 =土地持ち財産家。