表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/58

第五章 三所綿問屋と繰綿延売買所

国訴を実行するきっかけとなった繰り綿延べ売買所の説明です。

少しややこしいのですが、このお話の要となる部分であり、今の世界の情勢とも共通する事なので、読んでみてください。

 第五章 三所綿問屋と繰綿延売買所

 大阪都構想の折、大阪市を大阪四郷にという話もあったそうだが、江戸時代の()()は、中央区本町通りを境に南組と北組に分かれ、天満組は大阪天満宮中心の一帯を言う。

 今の大阪市内よりは小さい。


 ()()()()が町人から選ばれ、東・西両奉行所から自治行政を任されていた。

 封建社会では町人自治は極めて珍しい。

 商い中心の経済活動によって、権力を握り栄えた。

()()()()()』と言われる所以でもある。


 日本全国を掌握した江戸幕府が、ある意味最後まで攻め治めあぐねた所……それが大坂である。


 その為、幕府は河村瑞賢(かわむらずいけん)()()()()西()()()()()を開発させた。

 東回り航路は太平洋側、西回り航路は日本海側を回る。

 今の東京のようにすべての物流を江戸に集めさせ、商業の中心地たらんとするためだ。

 何としても軍事だけでなく、経済も牛耳(ぎゅうじ)りたい。


 そもそも、この日本という国は、古代より日本海側を中心にして発達してきている。

 太平洋側の黒潮・親潮に対応出来る程の航海技術は、非常に高度で難しい。

 日本の世界遺産も内陸部を除いて、圧倒的に日本海と瀬戸内海側に多い事でもわかるだろう。


 対抗した大坂商人は、機動力のある小型の|()()()《きたまえぶね》などを開発して運賃を安くし、総合商社のようなシステムをつくった。

 そうして西回り航路を主軸に、独自の貨幣銀貨の流通を盾にして、経済の中心としての地位を崩させなかった。


 そうしたこの商都大坂三郷で、商いを営む綿商仲間を()()綿()()()という。

 大まかに()()()()()()()()()の三組に分かれるが、このうちの問屋仲間が()()綿()()()として独立していった。

 主に畿内と中国地方の綿を扱って手広く商った。


 例えて言えば、大阪市内で綿専門商社を経営する大・中企業のようなもので、当然のこと法人税は膨大なものになり、地方税も入ってくる。


 このような幕府のだいじな税収に当たるものを、|()()()《みょうがきん》という。ざっと今の一千万は下らず納めたという。


 現在の経済規模とは違うため比較できないが、一軒の店では負担が大きかったようだ。

 仲間を作って巨額の金を集め、奉行所に冥加金を納めることで、融通をきかせてもらう。


 これを()()()という。


 株は現代の株式とは違い、仲間に入る=商いの権利を得るライセンスのようなものと思えばいい。

 この株は今の五千万から一億の値が掛かったという。


 総株数つまり株仲間の数は決まっている。

 代が途絶えるなど空きが出ると、この金額を支払って株を手に入れることができた。

 めったになかったそうだが…。


 口銭(会費)を株仲間に納め、先ほどの冥加金も幕府に納める以外……

 奉行はじめ与力・同心にまで、中元歳暮に年始の挨拶・諸々の御祝儀など、それなりの付け届けは欠かさなかった。


 要は、同業者から上の官僚まで、お互いに賄賂と利権に、ズブズブに浸かっていたという事だ。

 つい最近まで、日本の社会も()()と行なわれていた。今は()()と行われているようだから、どっちがましかわからないが…


 高いお金を払って中央と結びついているのだから、当然自分たちの利益を拡大するための方策が実行出来る。


 それが、()綿()()()()()の設立だった。

 売り手買い手を集めて綿の上値を決め、両者から口銭という手数料を受け取る。

 確かに価格高騰も避けられ、適正な価格に管理できるメリットはある。

 その上この時期、綿取引の急速な増加と共に綿市場が過熱してきている。


 もともと綿問屋は多くの綿を確保する為、主に中小の農民をターゲットに様々な仕掛けを掛けていた。

 年貢を支払えない小農民に銀を貸しつけ、綿の収穫物を担保にする。

 地方の小さい仲買人に、買い入れ資金を融通して、商品を集めるよう契約させる。

 綿を仕入れる以前から、取引相手と先売りの約束を取り付けたりもする。


 これが、綿の()()()()()()()()()()()へと変わっていった。

 所謂、()()()()である。

 現代では有名な所で、オランダならチューリップ、シカゴのオレンジ・食肉、インドの綿、日本なら小豆・金・米・ガソリン等々。

 こう表現したら、何かとてつもない悪事のような印象になるが、こういったことは、今でも普通に行われている経済活動の一環だ。


 私の子供のころ、店主が小豆相場に手を出して、駅前の大きな老舗が夜逃げしたなんて話も聞いたことがある。いや、例が悪い。

 投資なのだから、当然メリット・デメリットはある。自己責任なのだから。


 今なら相場関係者にも、リスクヘッジとして保険を掛けたり、大きな損失を被らないような、システム機能があるらしいが…

 専門家じゃないので詳しいことは分からないが、江戸時代十七世紀末頃から日本の先物相場は始まっていたようだ。


 ドラッカーもいない。モラル・ハザードも機能していない時代。


 権力者の後ろ盾があれば、利潤優先で商品を買い占め、値段を吊り上げたり、下げたりの操作を行えた。

 不作などで、金を借りた挙句に返済出来ない場合、土地や家財を担保に取り上げる。やりたい放題だったようだ。


 勿論、こんな商売のやり方を続けていたら

 いつかは信用も無くなり、家業も衰退していく。

 当時の商ど(あきんど)達には、百も承知なわけだが…


こういう歴史に触れると、つくづく実感します。

いつの時代になっても人間の営みは変わらず、考えることも同じだなあと…。

第二次世界大戦後、世界の人口は爆発的に上がり、富や食料の取り合いが始まるのですね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ