第五章 三所綿問屋と繰綿延売買所
国訴を実行するきっかけとなった繰り綿延べ売買所の説明です。
少しややこしいのですが、このお話の要となる部分であり、今の世界の情勢とも共通する事なので、読んでみてください。
第五章 三所綿問屋と繰綿延売買所
大阪都構想の折、大阪市を大阪四郷にという話もあったそうだが、江戸時代の三郷は、中央区本町通りを境に南組と北組に分かれ、天満組は大阪天満宮中心の一帯を言う。
今の大阪市内よりは小さい。
町年寄が町人から選ばれ、東・西両奉行所から自治行政を任されていた。
封建社会では町人自治は極めて珍しい。
商い中心の経済活動によって、権力を握り栄えた。
『天下の台所』と言われる所以でもある。
日本全国を掌握した江戸幕府が、ある意味最後まで攻め治めあぐねた所……それが大坂である。
その為、幕府は河村瑞賢に東廻り・西廻り航路を開発させた。
東回り航路は太平洋側、西回り航路は日本海側を回る。
今の東京のようにすべての物流を江戸に集めさせ、商業の中心地たらんとするためだ。
何としても軍事だけでなく、経済も牛耳りたい。
そもそも、この日本という国は、古代より日本海側を中心にして発達してきている。
太平洋側の黒潮・親潮に対応出来る程の航海技術は、非常に高度で難しい。
日本の世界遺産も内陸部を除いて、圧倒的に日本海と瀬戸内海側に多い事でもわかるだろう。
対抗した大坂商人は、機動力のある小型の|北前船《きたまえぶね》などを開発して運賃を安くし、総合商社のようなシステムをつくった。
そうして西回り航路を主軸に、独自の貨幣銀貨の流通を盾にして、経済の中心としての地位を崩させなかった。
そうしたこの商都大坂三郷で、商いを営む綿商仲間を三郷綿仲間という。
大まかに問屋、仲買、小売りと加工の三組に分かれるが、このうちの問屋仲間が三所綿問屋として独立していった。
主に畿内と中国地方の綿を扱って手広く商った。
例えて言えば、大阪市内で綿専門商社を経営する大・中企業のようなもので、当然のこと法人税は膨大なものになり、地方税も入ってくる。
このような幕府のだいじな税収に当たるものを、|冥加金《みょうがきん》という。ざっと今の一千万は下らず納めたという。
現在の経済規模とは違うため比較できないが、一軒の店では負担が大きかったようだ。
仲間を作って巨額の金を集め、奉行所に冥加金を納めることで、融通をきかせてもらう。
これを株仲間という。
株は現代の株式とは違い、仲間に入る=商いの権利を得るライセンスのようなものと思えばいい。
この株は今の五千万から一億の値が掛かったという。
総株数つまり株仲間の数は決まっている。
代が途絶えるなど空きが出ると、この金額を支払って株を手に入れることができた。
めったになかったそうだが…。
口銭(会費)を株仲間に納め、先ほどの冥加金も幕府に納める以外……
奉行はじめ与力・同心にまで、中元歳暮に年始の挨拶・諸々の御祝儀など、それなりの付け届けは欠かさなかった。
要は、同業者から上の官僚まで、お互いに賄賂と利権に、ズブズブに浸かっていたという事だ。
つい最近まで、日本の社会も公然と行なわれていた。今は隠然と行われているようだから、どっちがましかわからないが…
高いお金を払って中央と結びついているのだから、当然自分たちの利益を拡大するための方策が実行出来る。
それが、繰綿延売買所の設立だった。
売り手買い手を集めて綿の上値を決め、両者から口銭という手数料を受け取る。
確かに価格高騰も避けられ、適正な価格に管理できるメリットはある。
その上この時期、綿取引の急速な増加と共に綿市場が過熱してきている。
もともと綿問屋は多くの綿を確保する為、主に中小の農民をターゲットに様々な仕掛けを掛けていた。
年貢を支払えない小農民に銀を貸しつけ、綿の収穫物を担保にする。
地方の小さい仲買人に、買い入れ資金を融通して、商品を集めるよう契約させる。
綿を仕入れる以前から、取引相手と先売りの約束を取り付けたりもする。
これが、綿の価格操作を狙った空相場へと変わっていった。
所謂、先物取引である。
現代では有名な所で、オランダならチューリップ、シカゴのオレンジ・食肉、インドの綿、日本なら小豆・金・米・ガソリン等々。
こう表現したら、何かとてつもない悪事のような印象になるが、こういったことは、今でも普通に行われている経済活動の一環だ。
私の子供のころ、店主が小豆相場に手を出して、駅前の大きな老舗が夜逃げしたなんて話も聞いたことがある。いや、例が悪い。
投資なのだから、当然メリット・デメリットはある。自己責任なのだから。
今なら相場関係者にも、リスクヘッジとして保険を掛けたり、大きな損失を被らないような、システム機能があるらしいが…
専門家じゃないので詳しいことは分からないが、江戸時代十七世紀末頃から日本の先物相場は始まっていたようだ。
ドラッカーもいない。モラル・ハザードも機能していない時代。
権力者の後ろ盾があれば、利潤優先で商品を買い占め、値段を吊り上げたり、下げたりの操作を行えた。
不作などで、金を借りた挙句に返済出来ない場合、土地や家財を担保に取り上げる。やりたい放題だったようだ。
勿論、こんな商売のやり方を続けていたら
いつかは信用も無くなり、家業も衰退していく。
当時の商ど達には、百も承知なわけだが…
こういう歴史に触れると、つくづく実感します。
いつの時代になっても人間の営みは変わらず、考えることも同じだなあと…。
第二次世界大戦後、世界の人口は爆発的に上がり、富や食料の取り合いが始まるのですね。