第四章 嘉助と幸吉 その三
嘉助と幸吉の密談が始まります。
ここで、当時の女性の相続の話もでてきます。
当時は今と違い、過酷な土地の争奪戦などが繰り広げられます。
嘉助は、場の空気を換えるように居ずまいを正し、
「幸吉はん。実はあんさんに大事な相談事がありますねん。改めて、どこかで会えまへんやろか」と、訊ねた。
急に雰囲気の変わった嘉助に幸吉は、
「なんや、収穫もまだやのに、取引の話はせえへんど」と、警戒する。
「商いの話と違います。ワテもあんさんもこの古市の村にも係る、大事な話を二人だけでしたいんですわ。なるたけ早いうちに、落ち着いたとこで、二人だけで… 決して、私利私欲に走って、あんさんをだまそうやなんて、微塵も考えてしまへん。
日にちも時間もそちらに合わしますよってに」
嘉助は態度を改め、少し下手に出ながら頼み込む。
「なんや、ここでは言えへんことかい」
「人の目のない落ち着いたとこで、あんさんとゆっくり差しで話ししたいんですわ。お願いしますわ」
嘉助の腰の低い様に気をよくした幸吉は、
「なんや分からんが、明日には水肥も終わるやろ。その後やったら、時間も少しは空くよってに、会うちゃろうやないけ。」
「そうだすか。」
嘉助はほっとした様子で
「善は急げや。明後日の昼、お福さんの所の二階間借りときまっさかい、昼餉はなんでもよろしいか?」と、聞いてきた。
「お福の店は知っとるが、そんな突然借りるて、都合つくのけ?」
「もともとワテが、行き返りの飯処にと、お福はんにはじめてもろた店だす。少々の融通は聞いてもらえますのや。」
「おんし(お主)の口利きかいな!道理で後家が思い切って飯屋始めたなあと、思とったわ」
「街道の四ツ辻にちょうどええ古家がありましてな。亭主亡くした後家やと、田畑の相続は中々認めてもらえまへん。 困り果ててはったんで、声かけたんですわ。
ワテも、毎度手弁当持って来んで済むしな。一服できて、取引の場所にも使える。一石二鳥ですわ」
「つくづくお前はやり手やのう。くえんやっちゃで」
「幸吉さんにそないに褒めてもろたら、なんやこそばいわ」
と、にやつく嘉助に、
「ほめとらんわ!」
幸吉の吠え声が響いた。
何十年もたってから、借りた元金を払うから、担保の沽券を返して欲しい、と言って訴訟を起こし、田畑を取り返そうとする強者も少なからずあったという。
逆に言えば、貢租の担い手であることが百姓の最大の強みでもある。
今でこそ、こういったゴリ押しのような理屈は通らないだろう。が、当時は本気でねじ込んでくる百姓もあったらしい。
但し夫が亡くなってすでに舅もおらず、後継ぎがまだ幼いか女子なら、後家はこの特別待遇の対象にはならない方が多い。
今の感覚からは逆のような気もするが、残された家族の生活など知ったことではないとばかり、親戚が田畑を狙って介入してくることも多かった。
当時、女性の地位はほとんど守られていない。
二日後の汗ばむように暑い昼時、嘉助と幸吉は、街道の四つ辻にあるお福の飯屋の二階で、顔を突き合わせていた。
待たされることを覚悟していた嘉助は、意外にも時間に律儀な幸吉に感心した。
「案外普段の様子と違ごうて、幸吉はんは真面目でんな」
「ワイを馬鹿にしとんけ!一旦交わした約束を守らんのは大嫌いじゃ」
「商いで言うたら、人様の時間も大事な商品ですさかいな。さすが、幸吉はんはワテが見込んだお人や」
「世辞言うても、なんも出えへんぞ。早よ要件を言わんけ。ワイもさほど暇やないで」
気に沿わない、ふてくされた風で、幸吉がブー垂れている。
「ほなお言葉通り前置きは置いといて、早速ですが。
ここ数年、|三所綿問屋《さんじょわたどんや》が次から次へと|繰綿延売買《くりわたのべばいばい》所を増やそうとしてる事は、幸吉はんもよう知ってますやろ」
「おう!知らいでか!おかげで、綿買いたたかれて、皆えらい大迷惑や」
「これからは、増々あんさんらの大事な綿が、丸ごと三所綿問屋にええように仕切られまっせ。
綿の実が穫れるものやら穫れへんものやらわからんうちに、知らんところで綿の取引先も量も決められる。綿の値も勘定すらも終わってる。
この河内の綿は河内の百姓の物や。そんなんで、物の道理が通りまっか」
嘉助はつい熱くなり、大声を出して身体を前に倒して、幸吉に迫っていた。
幸吉は、嘉助の勢いに押されながら、
「ちょ、ちょっと待ってくれ!そないにいっぺんにまくしたてられても…何のことかさっぱりやがな。
そもそも三所綿問屋てなにもんや?」
嘉助がいくら熱くなろうが、大声を上げてまくしたてようが、幸吉はなにもわかっていないという事実にかわりはない。
ここからかいなと嘉助は頭を抱えたくなった。が、気を取り直し、
「知ってはりますやろ。三所綿問屋が今ある繰綿延べ売買所に加えて、平野郷と内本町に新たな増会所を作るように願い出た事。」
「お、おう!それぐらい知っとるわい。馬鹿にすな。くりわたの・のべばいばいしょいう所で、のべばいばい言うもんしてけつかる奴らのことやな?」
「この前も言いましたな。『くりわたのべばいばいしょ』…言いますねん。大坂のお奉行に銭の匂いかがせて、仲間内だけで都合がええように、綿の取引を仕切ろうとする場所のことですわ」
嘉助は、投げ捨てるように吐き捨てた。
「な!お上に向かって何てこと言うねん!ワレ、手にお縄が回るど!」
幸吉は真っ青になって、あたりを見回しながら、嘉助の口に手をあてるふりをする。
「大丈夫だす。お福はんは口固いよって。でないとこの商売はでけしまへん」
嘉助は白湯でのどを湿らせながら、落ち着いたものだ。
「そ、そやけど…」
それでもまだ、幸吉はおどおど周りを見回して、嘉助と会う約束をしたことを後悔し始めた。
「なんや、いつもの威勢はどないしたんやろなあ。やあこ(赤子)がごんた(悪態)言うてただけかいな」
たちまち、幸吉の顔色が変わる。
「なんや。喧嘩売っとんけワレ!いてこますぞ。表出んかい!」
幸吉はドスを効かせて片袖をまくり上げ、威嚇しつつ喧嘩の体制を取る。
「あんたとやりおうて、物事がようなるんやったら、なんぼでもこの顔貸しまっせ。けどな、生憎と今そんなことやってる暇は、ありまへんのや」
「なんやと!」
「暇はない!言いましたんや。もう既に、若江郡(今の八尾、東大阪)はじめ渋川郡や志紀郡村々が、これに抗議せんと動き始めてる。この古市かて、おちおち日和見決め込んでる場合やあれへんのや」
肝が凍えそうに低い嘉助の声色に、幸吉は一気に頭が冷えていく。
近頃の父親の様子はどうだったか?
そういえば、夜遅くまで度々出かけるようになったいる。
何か大変なことが起こっているのではないかと、薄々不安を感じてはいた。
今も、水肥の算段など農事のことは、幸吉に丸投げで出かけている。
まさか御上に訴え出る程の大事になっていようとは…思ってもいなかった。
忙しい農作業の合間を縫って、常会ではない臨時の寄合を毎夜のように開いている。という事は、なにかこういった大事が起こっている事を意味している。
親の言うなりに、のほほんと毎日の農作業をこなし、若者組の仲間とじゃれ合う日々。
幸吉は本能で、のんきな子供時代が終わりつつあることを悟った。
「わかった。確かにワイも若者組の連中も、おまはん(お前)から見たら、なあんも知らん赤子みたいなもんやろ。お前のあいの時でええ(空いた時)。これからは若者小屋に来て、ワイらに今の話詳しく教えたってくれ。おとん(父)だけに、矢面立たして知らんぷり決め込んでる場合やない!」
「なんもあんさんらがあほや、言うたつもりはこれっぽっちもありまへんで。物を知らなすぎやとは言いましたけど…」
「言うてる意味はおんなじやんけ!まあ、ええ。ほんまのことやしな。ほんで、やってくれるんけ?」
「願ってもない。こちらから、押しかけよう思てたぐらいや。ワテはいつからでも構いまへんで。」
「ほな、早速やが細い段取りしよか…」
この先、何十年と続くことになる嘉助・幸吉二人の共同作業がはじまった。
次回は河内木綿のことと、問題点を解説します。
綿は人気ナンバーワンの商品で、商人も農民も仁義なき縄張りの取り合いに突入していきます。