青を贈る
赤間日和は悩んでいた。
日和を害した人と神とは無事に縁切り出来た。縁切刀の効果で、相手の姿も思い出せず、何をされたのかも曖昧な為、精神的なダメージも無い。
平和な日々が戻ってきたというのに、日和は昼間から自宅のべッドの上に寝転がり、纏まらない思考に唸り続けている。
この場に碧真がいたら、「無駄に騒ぐな暇人」と貶してくるだろう。日和は胸の前に組んでいた腕をほどき、両手を頭上に放り投げる。
「何を贈ればいいかわからーん!」
迷惑を掛けたお詫びと助けてくれたお礼に、碧真へ何か贈り物をしたいと考えた。
以前よりは碧真の事を知っていると言えるが、何を贈ったら喜ぶかは皆目見当もつかない。
丈と壮太郎に相談したが、「実用的な物は受け取るだろうが、何が欲しいかまではわからない」「ピヨ子ちゃんの手作りの卵焼きとか喜ぶんじゃない?」と言われて、結局は「碧真に直接聞いた方がいいのではないか?」という話に落ち着いた。
(確かに、本人に聞いた方がいいんだろうけど……)
日和は想像力を働かせ、頭の中に碧真の姿を思い浮かべる。『プレゼントしたいんだけど、何がいい?』と聞いてみると、脳内碧真は鼻で笑った後、『低収入の癖に、人に金使う余裕があるのか? 将来路頭に迷わないように、今から貯めとけば?』とイラッとする返答をした。
(うわー、殴りたい。往復ビンタでベチベチした後に、鳩尾に右ストレートを叩き込みたい。想像の中だから殴っていいよね。って、ちょ、脳内碧真君が反撃して来た! 想像の中でくらい殴らせてよ!!)
間抜けな脳内茶番を終えて、日和は大きな溜め息を吐く。
(そもそも男の人に贈り物をした経験なんて、お土産のお菓子くらいしかないもんなー。誰か、男の人が喜ぶ物が分かる人は……)
「あ! そうだ! 景ちゃんに相談しよう!」
親友である景子は社交的で、男女関係なく友達がいる。年下の彼氏がいた事もあるので、碧真くらいの年齢の男性が何が好きなのか分かるかもしれない。
日和はアドバイスを求めて景子にメッセージを送る。仕事の休憩時間だったのか、すぐに返信が来た。
「”高価すぎる物、手作りや捨てにくい物はNG。彼女がいる人なら、彼女と一緒に食べられるお菓子など形に残らない物がいい。彼氏が他の女性から贈り物を貰う事を嫌がる人がいるから注意ね!”……か」
(そっか。経験ないから考えた事なかったけど、そういう配慮は大事だよね。ん? 今更だけど、碧真君は彼女いないって事でいいんだよね? 隠し彼女とかいたりしないよね?)
碧真の恋愛事情については聞いた事がないのでわからない。
碧真は綺麗な顔立ちをしているので、不機嫌な雰囲気を出していなければ、近寄っていく人は多そうだ。
(碧真君に彼女かぁ……)
ほのぼのとした気持ちで、碧真に彼女がいたらと想像する。
日和の脳内に、石像の魔物の頭を踏みつけてドSな笑みを浮かべる碧真の姿が浮かんだ。日和はスンと真顔になる。
(……うん。いないな)
顔が良くても、性格に問題がある。恋愛出来たとしても、長続きはしないだろう。
(彼女いないと仮定して、何か使えそうな物を贈るか)
命懸けで守ってもらった事に見合う物は渡せないだろうが、良い物を贈りたい。
その後も悩み続けたが、結局決まらないまま数日が経ち、碧真と水族館へ行く日となった。
水族館を回ってお土産を買った後、碧真の車に乗り込む。
碧真と水族館を回るのは、正直とても楽しかった。日和はサメのぬいぐるみを抱きしめて満足の笑みを浮かべる。
(今日の事は、すごく良い思い出になったなぁ。碧真君にとっても、良い思い出になってくれてると良いんだけど……)
水族館がいつぶりなのかと聞いた時、碧真は嫌な思い出があったのか悲しそうな顔をしていた。碧真の過去の記憶を日和がどうこうする事は出来ないが、今日の事が少しでも良い記憶になってくれたら嬉しい。
この後どうするかという話になり、夕食を食べる前にショッピングモールに寄る事が決まった。
車内で壮太郎の誕生日の話をしている最中に、日和はピンと閃く。
(そうだ! 壮太郎さんの誕生日プレゼントについて相談する振りをして、碧真君の欲しい物を聞き出そう!!)
ナイスアイディアだと自画自賛した作戦だったが、碧真は「何を貰っても嬉しくない」と答え、日和はあっさりと撃沈した。
ショッピングモールに到着して車から降りる。冷たい風が吹き抜け、碧真が寒そうに首を竦めた。
碧真はコート以外の防寒具を身につけていない。日和は自分が身に着けているマフラーを見て、再び閃く。
(そうだ! マフラーをプレゼントしよう!!)
マフラーなら実用的だ。万が一気に入らなくても、膝掛けなど他の用途にも使える上、捨てる時も面倒ではなくて良いだろう。
(そうと決まれば、碧真君に気づかれないようにプレゼントを買いに行こう! そんで、別れ際に押し付けちゃえばいい!)
贈る物が決まった日和は一人意気込む。碧真に「いらない」と断られないように、別行動をして秘密裏に買わなければならない。
駐車場を抜けてショッピングモールの館内に入った所で、日和は繋いでいた手を離してもらおうと、碧真に声を掛ける。
「碧真君。私、ちょっと色々見てくるから、ここから別行動しよう」
「は? 別行動する必要はないだろう?」
「え? でも、私と碧真君じゃ、見たい物が違うだろうし」
「俺は買う物が無い。迷われて、館内中を探す羽目になるのは面倒だ」
「待ち合わせ場所を決めたら大丈夫だから!」
「ここ、初めて来た場所だろう? 待ち合わせ場所を決めたとして、館内図を正確に読み取れるのか?」
方向音痴の日和は返す言葉を失って目を泳がせる。碧真は溜め息を吐いた。
「行きたい店を言えよ。仕方ないから付き合ってやる」
碧真にとっては優しさなのだろう。何回も行った事があるショッピングモールでさえも迷って無駄に歩き回る羽目になる日和にとっては有り難い事だが、今は全く嬉しくない。
納得させられる断り文句も思い浮かばず、碧真と一緒に店を回る事になった。
三十分後。
ジリジリと失われていく時間に、日和はヤキモキしていた。
(どうしよう。碧真君、本当に全然離れないんだけど!?)
日和が碧真から離れようとしても、手を繋いでいるせいですぐに気づかれてしまう。小さい子供の母親でも、ここまでピッタリとくっついていないだろう。どれだけ信用がないのかと、日和は地味にショックを受けた。
(あ、良さそうなお店!)
二階の通路沿いにあった雰囲気の良さそうなメンズファッション店。マネキンが来ている服が格好良く、品があった。年齢層も二十代から三十代向けで丁度良さそうだ。
「碧真君。壮太郎さんへのプレゼントを探すから、ちょっと寄っていい?」
壮太郎へのプレゼントは数日前に購入済みで家に置いているが、都合が良いので言い訳に使わせて貰う事にする。チラリと店を見た碧真は眉を寄せた。
「壮太郎さんに服関係の物を贈るのはやめとけ。あの人、日和じゃ到底買えない値段の服を着てるし、素材やデザインも拘ってるから、贈っても微妙な顔をされるだけだ」
碧真は日和の手を引いて先へ進む。
日和が立ち寄りたいと言った本屋に連れて行ってくれようとしているが、このままでは折角見つけた店から離れてしまう。
(ここで足止めしないと!)
日和は通路に置かれているソファを見つけて指を差す。
「碧真君。疲れてない? 私、大体もう場所を覚えたし。そこのソファで休憩してていいよ!」
「……車を停めた駐車場に近い館内入口が、どの方角にあるか答えられるか?」
「え? えっと…………………あ、あっち!」
日和が真剣に考えて出した答えに、碧真は呆れ顔で溜め息を吐いた。
「全然違う。休憩する必要はないから行くぞ」
(な、何一つ上手くいかないぃぃっ!!)
碧真に手を引かれ、日和は泣きたい気持ちでトボトボと歩く。
少し進んだところで、碧真のコートのポケットから携帯が振動する音が聞こえた。携帯を取り出して画面を確認した碧真は、日和の手を離す。
「電話だ。少し長くなるかもしれないから、さっきのソファにでも座って大人しく待ってろ」
予想外の天の助けに、日和はパアッと笑みを浮かべた。
「うん! ゆっくりどうぞ!! 三十分以上掛かっても良いからね!」
日和は両手を振って、碧真を見送る。人が多い通りから静かな場所へ移動して行った碧真の姿が見えなくなった後、日和は早足で目当てのメンズファッション店へ向かった。
店の端の方にあるコーナーには、無地や柄物、色や編み方が異なる数種類のマフラーやストールが置かれていた。
(どれが良いかな?)
碧真といえば黒というイメージがあるが、出来れば選びたくない。
碧真が黒い服ばかり着る理由が、”血が目立たないから”だと知った時、日和は悲しい気持ちになった。
怪我をする事や血を流す事は、碧真にとっては日常的な事。日和では耐えられないような痛みを、碧真は諦めと共に受け入れて生きてきたのだろう。
(血の汚れが目立つ色なら、怪我しないように気をつけてくれるかもしれない)
黒以外で選ぼうと決めて、どれが碧真に似合うか考える。
(……やばい。なんか、わかんなくなってきちゃった)
自分の服を選ぶ事も面倒に感じるタイプの日和では、人へ贈る服飾品を選ぶのはハードルが高い。碧真が戻る前に買い物を済ませたいという焦りもあって、余計に思考が働かなかった。
「いらっしゃいませ。何か御用がありましたら、お声かけくださいね」
困っている日和に、感じの良い女性店員が声を掛けてくれた。天の助けとばかりに、日和は女性店員に話しかける。
「あの、贈り物でマフラーを探してるんですけど」
アドバイスが欲しい日和の思いを察したのか、女性店員がにこやかに笑みを浮かべて頷いた。
「贈り物ですね。どなたにプレゼントされるご予定ですか?」
「陰険鬼畜眼鏡野郎です」
「……え?」
「あ! すみません。つい反射で……。会社の同僚です」
咄嗟に口から出た言葉を誤魔化す。女性店員は戸惑いながらも聞き流してくれた。
「同僚の方は、普段はどのような服を着ていらっしゃる事が多いですか?」
「黒ばっかりですね。いついかなる時も全身黒づくめです」
「……シックなモノクロファッションがお好きなら、暗めのグレーや深緑などを選ぶと落ち着いた印象になります。赤や柄物なんかも華やかさがプラスされるのでオススメですよ」
(派手な色や柄物は普通に嫌がりそう。グレーは確かに似合いそうだけど……)
黒と灰色の組み合わせは、碧真の過去の夢の世界を連想してしまい、選ぶのを躊躇う。
檻のような黒い格子窓と空を覆い尽くす灰色の雲は、心が重たくなる景色だった。
日和は別の場所へ目を向ける。少し離れた棚にもマフラーが置かれていた。鮮やかな紺碧色に目を奪われ、日和は吸い寄せられるように近づく。
シンプルな無地のマフラー。手に持ってみると、ふわりと柔らかな触り心地がした。
(これ、いいかも)
タグを確認する。カシミヤ100%なので一万円は超えるが、予算内に収まる。何より、これ以上にピッタリだと思える贈り物は見つけられないだろう。
プレゼントを買い終えた日和は急いで元の場所に戻る。
ちょうど電話を終えて戻ってくる途中だった碧真と合流出来た。碧真は日和が手にしている紙袋をチラリと見たが、壮太郎へのプレゼントだと思っているのか、特に何も触れなかった。
プレゼントを購入出来た事で気持ちが楽になり、残りの時間は心底楽しんで碧真と一緒にショッピングモールを回った。
「今日はありがとね」
食事後、碧真の車でマンションまで送ってもらった日和はお礼を言う。
車から降りる前に、碧真に背を向けて紙袋からマフラーを取り出す。日和はクルリと向き直り、碧真の首にそっとマフラーを掛けた。
「今日と、この前のお礼。碧真君にプレゼント」
鮮やかな紺碧色のマフラー。外が暗い為よく見えないが、きっと似合っているだろう。
マフラーを見て固まる碧真。気まずさや照れを感じた日和は慌てて口を開いた。
「気に入らなかったら、捨てていいから! じゃ、おやすみなさい!」
日和は車のドアを開け、足早に碧真の前から去る。マンションのエントランスを抜けてエレベーターに乗った瞬間、どっと緊張が抜けた。
(無事に渡せてよかった。できれば、気に入ってくれるといいんだけど……)
***
数日後、碧真と一緒に昼食を食べに行く約束をした日が来た。
マンションまで迎えに来てくれた碧真を見て、日和は目を見開く。
碧真の首元には、日和が贈った紺碧色のマフラーが巻かれていた。日和はパアッと笑みを浮かべる。
「嬉しい。マフラー使ってくれてるんだ」
「寒いからな」
「そっか……。ありがとう」
はにかむ日和を見て、碧真は怪訝そうな顔をする。
「何で贈った側が礼を言うんだよ」
「嬉しいからだよ! でも、本当によかった。よく似合ってる」
いつも黒ばかりなので珍しさはあるが、予想以上に似合っていた。日和は碧真の目を真っ直ぐに見つめる。
「……汚さないように。大事にしてね」
──どうか、怪我しないで。自分を大事にして。
祈りと想いを詰め込んだ言葉の意味に気づかずに、碧真は溜め息を吐く。
「日和じゃあるまいし。そんなヘマはしない」
「へ? どういう意味?」
「この前、ペットボトルの茶を飲もうとして服に零してただろう?」
「あ、あれは距離感を見誤っただけ! 滅多にしないからね!」
「嘘つけよ。絶対に何回もやってるだろう」
「確かに、やっちゃってるけど! 本当に偶にだから! ペットボトルの形状に慣れてないだけだし!」
「いつの時代の人間だよ」
碧真の中の日和のイメージは相変わらず鈍臭いようだ。実際に恥ずかしい所をバッチリ見られているので、ぐうの音も出ない。
食事をする店に着いて車を降りる。
雪が降る予報も出ているせいか、空気が氷のように冷たく、風も強い。碧真をチラリと見ると、この前ほどは寒くなさそうに見えた。
「マフラー、あったかい?」
「まあな」
「それは良かった」
満足そうに笑う日和を見て、碧真は躊躇いがちに口を開く。
「……なんでマフラーだったんだ?」
「え? なんでって、この前会った時に首元が寒そうだったから」
「……まあ、そうだよな」
碧真は溜め息まじりに呟く。少し気分が沈んだ様子の碧真を見て、日和はハッとした。
「もしかして、気に入らなかった?」
気に入ってもらえたのだと思って浮かれていたが、貰った事への礼儀として一度だけ身に着けようという考えだったのかもしれない。
「ごめんね。押しつけちゃって。嫌だったよね」
初めから日和の自己満足だったので、捨てられたり嫌がられる覚悟はしていた。しかし、一度浮かれてしまった事で気持ちの落差が大きい。笑って誤魔化そうとしたが、ショックが顔に出てしまった。
「別に、そうは言ってないだろ」
碧真は顰めっ面のまま視線を彷徨わせる。何か言いかけて口を閉じた後、碧真は日和に背を向けた。
「気に入らなかったら着けてない」
碧真なりの精一杯の言葉だったのだろう。
日和の胸にジワジワと温かい気持ちが込み上げ、幸せが溢れ出すように口元に笑みが浮かぶ。
大切なあなたに青を贈ろう。
血を流す事も当たり前じゃなくなって、あなたがこれ以上傷つかないように。悲しい場所ではなく、自分が好きな場所で生きられるように、祈りを込めて。
平和の象徴であり、広くて自由な空の色を──。
明日は、碧真視点の番外編『灰になる』を投稿します。