冤罪
陰謀は道真の見えないところで進められたが、道真は肌感覚で危険を感じた。そこで道真は家柄が低いこと、学問に専心したいことから、右大臣を辞任したいと申し出ていた。ところが辞任は許されなかった。宇多上皇にとって道真を失うことは国家の損失である。
「なぜ私を辞めさせてくれないんだろう? 」
道真は悩んだが答えは出なかった。
「今やそちは右大臣になってしまった。もう、この国に必要な存在なのだ。だから、そちを手放すことはできぬ」
「えっ! どういうことです!? 私は辞任を申し出ましたよね」
「ああ、そうだね。でも、君がいなければこの国はダメになってしまうんだよ」
「そんな……」
「じゃあ、そういうことだからよろしく頼むよ」
「待ってください」
「そこで、道真に頼みがある。どうか、この国の平和のために尽くしてほしい。そして、いずれは太政大臣になってほしい」
「はい、わかりました」
「道真ならきっとできるはずだ」
「必ずやり遂げます」
「期待しているぞ!」
「はい!」
「上皇、これからどうなさりたいですか?」
「とりあえず、出家したいかなあ」
「わかりました。では、準備いたします」
「ありがとう」
宇多上皇は出家し、法皇となった。仏教への傾倒を深めた上皇は政治への関与が減り、道真へのバックアップも減った。これは時平の陰謀を進めやすくした。
時平と異なり、道真は時平を嫌っていたわけではなかった。道真は道真なりに時平を支えていたつもりなのだ。道真は時平の屋敷を訪問した。
「おお、道真殿ではないか」
左大臣時平が出迎えた。
「時平様、お久しぶりでございます。ところで、葬儀について何かご存知でしょうか?」
「知ってるも何も、そろそろ始まる頃だよ」
「そうなんですか……って、えっ?」
道真は耳を疑った。
「どうしたのだ?」
「いえ、何でもありません」
「そうか。まあ、とにかくこちらへ来なさい」
時平は道真を案内した。
「これは……」
道真は絶句した。そこには棺があった。
「これはどういうことでしょうか?」
「何がだい?」
時平は惚けた。
「とぼけないでください。これはいったい何なんですか?」
「何のことかさっぱりわかんないけど?」
時平はとぼけ続けた。
「ふざけている場合じゃないでしょう!」
道真は激怒した。
「まあまあ、落ち着きたまえ」
時平はあくまで冷静だった。
「これが落ち着いていられますか?」
「ところで、最近、どうだい?」
「何のことでしょうか」
「とぼけるでない。大宰府のことだよ」
「大宰府がどうしたのですか」
「まあいいか。そのうちわかることだし」
時平は意味深長なことを口にした。
時平は遂に昌泰の変を実行する。
「左大臣、どうして戻ってきたのだ?」
醍醐天皇が尋ねた。
「実は……、右大臣が謀反を起こしたとの知らせが入りまして……」
「何だって!」
醍醐天皇の顔色が変わった。
「右大臣は娘を嫁がせていた斉世親王を皇位に就けようと企んでいます」
時平は醍醐天皇に讒言した。
「ところで、あの者の処遇だが……」
「はっ、いかがいたしましょう?」
「道真は謀反を起こした。これは大逆罪にあたる行為だ。追放するしかあるまい」
「承知いたしました」
「とはいえ、道真がいなくても問題ないか?」
醍醐天皇は不安だった。
「はい、心配は要りません」
時平は自信満々に答えた。
「道真は宇多上皇と親しかったはずだ。宇多上皇が道真を庇ったりしないだろうか?」
「そんなことはあり得ません。道真は宇多上皇にとって目の上のたんこぶです。宇多上皇は道真を疎ましく思っているはず。宇多上皇はきっと、喜んで協力してくれるでしょう」
「そうか……」
醍醐天皇も納得したようであった。こうして道真は冤罪で大宰府に左遷されてしまう。