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讃岐の林田  作者: 林田力
菅公
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寛平の治

京に戻った道真は、宇多天皇の御前に出た。

「この度は帝の招きに応じて参上しました」

「おお、そちが菅原道真か。噂は聞いているぞ」

「恐縮です」

「なかなかの働きぶりだと聞いている。これからも励むがよい」

「ありがたき幸せ」

宇多天皇は道真と酒を飲み交わした。道真と会うことができ、宇多天皇は嬉しかった。宇多天皇と道真の仲の良さを見て、人々は驚いた。宇多天皇は道真を信頼していたし、道真も宇多上皇を敬愛していた。


宇多天皇の治世を寛平の治と呼ぶ。道真は寛平三年(八九一年)に蔵人頭になる。宇多天皇は道真を高く評価した。

「道真は学者としての才能がある。それに、あの頭の回転の速さは尋常ではない。あれほど優秀な人間は見たことがない」

宇多天皇は道真の有能さを高く評価するとともに、道真の人柄についても高く評価していた。

「道真は真面目過ぎるところが玉に瑕だが、そこが可愛いところでもある」

宇多天皇は道真のことが好きだった。

「道真がいれば安心して死ねる。道真ならばきっと私の期待に応えてくれるだろう」


宇多天皇は天皇直属の軍事力として滝口の武士を創設した。内裏の清涼殿の北東にあった小さな滝付近を拠点としたため、滝口と言う。五位や六位の位を持つ武勇と弓矢に秀でた者を採用した。


道真は寛平六年(八九四年)に遣唐使に任命された。

「道真よ。そちに頼みたいことがあるのだ」

「何でしょうか?」

「私が……ですか」

「そうだ。そちにしか頼めないことだ。道真よ。唐へ行ってまいりなさい。朕の期待に応えてくれることを祈っているぞ」

「私のような無能者が唐に行けるとは思えませんが……」

「そんなことはない。そちならできる。朕が保証する」

「恐れ入ります」

道真は遣唐使の廃止を提案した。その理由は以下の通りである。

第一に民間貿易が発展しており、遣唐使を送らなくても唐の文化を吸収できる。

第二に遣唐使の遭難や沈没の危険がある。

第三に唐は戦乱で国力が衰退している。

第四に遣唐使派遣に莫大な費用がかかり、財政を圧迫している。

道真は讃岐守に任命された時も嫌がった。京から離れることを嫌う点で一貫している。京に住み続けたいと思っている。SDGs; Sustainable Development GoalsのGoal 11「住み続けられるまちづくりを」の精神を持っていた。

遣唐使の正式な廃止決定はなされず、道真は遣唐大使のままであった。この点は決定できない公務員組織の駄目なところが出ている。とはいえ、遣唐使が送られることはなくかった。以後は唐の模倣ではなく、日本独自の文化である国風文化が発達した。道真は勅撰和歌集の編纂を企画しており、漢詩から和歌へのトレンドの変化も見据えていた。

しかし、遣唐使の廃止を江戸時代の鎖国のように考えることは正しくない。民間の貿易は活発に行われていた。数年に一度の遣唐使よりも民間貿易船の方が海外文化の流入にインパクトがある。民間貿易船は公的なものではないため、遣唐使と異なり、役所の文書には記録されないため、歴史学者の目に留まりにくく、取り上げられにくい。


道真が宇多天皇に面会した時のことである。宇多天皇は道真に会うなり、いきなり抱きついた。

「朕はこの日が来ることを待ち望んでいたぞ! よく来てくれたなあ!!」

宇多天皇は感涙していた。

「そちが来てからというもの、朕の人生は変わった! 毎日が楽しくて仕方がない!!そちのおかげで朕の人生は大きく変化した! 感謝しているぞ!」

宇多天皇の言葉を聞いて道真は感動して涙を流した。

「朕が退位したら、そちが後を継いでくれ。頼むよ」

「お戯れをおっしゃらないでください」

「いや、本気だよ。道真よ。そちが天皇になればよいではないか」

「おそれ多いことでございます」

「朕が推薦すれば、誰も反対する者はいないであろう」

宇多天皇は冗談めかしていたが、目は真剣だった。宇多上皇は道真のことを非常に可愛がっていた。

「道真さえいれば、この国は安泰だ。道真こそが日本の最高権力者に相応しい人間なのだ」

宇多上皇はそう信じていた。宇多上皇は道真のことが大好きだったのだ。


宇多天皇は寛平九年(八九七年)に皇太子敦仁親王に皇位を譲り、宇多上皇となった。敦仁親王は醍醐天皇になった。宇多上皇は譲位してからも道真らのブレーンを側近として権力を握った。院政の先駆的な存在である。醍醐天皇の治世は宇多上皇が望んだ通りに平穏に過ぎていった。


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