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讃岐の林田  作者: 林田力
菅公
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阿衡の紛議

ある日のこと、ある男が訪ねてきた。

「あなたは?」

「俺は、讃岐国府の役人です」

「そうですか……、それで、私に何の用でしょうか?」

「実は、あなたのことが気に入らないんです」

「なっ!?」

「讃岐守として、よく働いてくれました。しかし、もう必要ないのです。だから、辞めてもらいます」

「ふざけるんじゃねぇ!あんた、自分が何を言ってるか、わかってんのか?」

「もちろん、わかっているさ。お前は邪魔なんだよ! 俺達の出世の妨げになりやがった。だから、消えてもらう」

「てめぇ」

道真は激怒した。


道真が雨乞いの儀式をした仁和四年(八八八年)に都では阿衡の紛議が起きる。当時は藤原基経がキングメーカーになっていた。光孝天皇が後継ぎを定めないまま崩御すると、基経は臣籍降下していた源定省を皇族に復帰させ、宇多天皇とした。宇多天皇は基経のお陰で天皇になれたものであり、基経を関白に任命する。

ところが、宇多天皇が橘広相に命じて書かせた詔勅が問題であった。詔勅には「宜しく阿衡の任を以て卿の任とせよ」と書かれていた。この阿衡の表現が問題になった。文章博士の藤原佐世が「阿衡は位貴くも、職掌なし」と指摘した。「阿衡は名誉職で実権がない」との主張である。これを聞いた基経は一切の政務を放棄した。基経のボイコットによって朝廷は大混乱する。藤原北家の協力なしに朝廷は成り立たないと印象付けた。

宇多天皇は基経に職務復帰を促したものの、基経は応じなかった。宇多天皇は落胆した。宇多天皇は困って橘広相を免職にした。それでも、基経の怒りは収まらず、橘広相を流刑にすることを要求した。

讃岐国から阿衡の紛議を聞いた道真は事態を収拾させようとした。道真は基経に橘広相を罰しないようとの意見書を提出した。そこで「これ以上の対立は藤原氏にとってもよくない」と述べた。基経は元々、道真の文才を評価しており、過去には代筆を道真に依頼したこともあった。基経は道真の意見書を読み、矛を収めた。これによって道真は宇多天皇の信任を得た。


「讃岐国復興にあたって、何かご要望はありませんか?」

道真は宇多天皇に尋ねた。

「特にないよ。道真に任せれば安心だから。それよりもそろそろ戻って来て欲しいかな」

宇多天皇は藤原氏に対抗するブレーンとして登用するつもりだった。宇多天皇の手紙を読んで道真は感動した。

「こんな私をそこまで評価してくれるとは……」

道真は涙ぐんでしまった。

「よし、今すぐ戻ろう。そして、帝のために尽くそう」

道真は本来ならば任地で行う引き継ぎを行わず京都に戻った。讃岐国の人々は道真を惜しんだ。

「あの人は本当に良い人だ。できればずっと讃岐国にいて欲しかった。しかし、無理強いはできない。残念だが、仕方がない。でも、いつかまた戻ってきて欲しいな」

道真は林田湊から船に乗り込んだ。

「さようなら、讃岐の国よ」

こうして、道真は讃岐国から去った。


「ふーっ」

道真は船の中でため息をつく。

「これで良かったのか。私は讃岐守として、できる限りのことをしてきたつもりだけど、今の讃岐国が栄えているのは私の力ではないよなあ」

道真は謙虚にそう思っていた。

「私が都に戻った後どうなるか……」

このような不安も抱えていた。

「まあいいや。今は京へ急ごう」

船は瀬戸内海を進み、やがて難波津に到着した。道真は陸路で京へ向かった。



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