第6話/0話 前日
将斗が訪れた日の三年前の話。
世界は『魔王』の復活による大打撃を受けていた。
その頃、世界で最も力を持っていたのはファング王国。
彼らは抵抗を見せたが、無尽蔵に現れる魔物たちの襲撃により、徐々に領地を追われていった。
「国王様! 同盟関係を結ぶ予定だったクラウス王国が魔王軍に攻め入られ、詳細はつかめておりませんが……事実上崩壊したとのことです――」
「まさか隣国のクラウス王国までもが……。待て、あの地方には軍を配備していたはずだがそれはどうなっている――」
「――ですがどの軍も長期に及ぶ戦闘によって精神的にも肉体的にも疲弊が見え始めており、ここから新たに兵を回すとなると――」
「国王! ダグラ平野での、魔王軍との大規模戦闘において、あのカントル国への増援要請が受理され――」
王座の間では、魔王軍との戦争に関する報告がひっきりなしに続いていた。
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「やはり、我々の、人間だけの力だけではもたない……か……」
度重なる報告への対応を終え、一段落ついた王はこめかみを押さえていた。
彼の名はスカーレッド・ファング。
業火を思わせる赤く逆立ったその髪と、一睨みでドラゴンすら震え上がらせるとまで言われていたその目。
今や劣勢の続く魔王軍との戦いで精神的に疲弊しきったせいか、覇気を感じないものになっていた。
しかし、王は疲れているのは自分だけではないと自分を奮い立たせ、姿勢をただす。
それでも不安が残っているのか、椅子の肘掛けを握る手には力が入って震えていた。
「……やはり、これを使うか……」
王はそばに置かれている巻物を手に取り、開こうとした。
ちょうどその時、一人の青年が玉座の間の扉を叩いた。
「父上! 失礼します!」
凛とした声で入室する青年。
その青年は王子。グレン・ファング。スカーレッドの息子だ。
王と同じ赤色の髪に鮮やかな紫色の瞳を持つ彼は、王の前に来ると片膝をついた。
ファング王国ではこの片膝をつく姿勢が最も相手に敬意を払っているという仕草になる。
グレン王子はこの時まで、魔王軍の不穏な動きが噂されていた地方へ調査に向かっていた。
彼の帰りが予定より遅かったため心配していた王だったが、五体満足での帰還に王は胸を撫でおろした。
しかし、そんな息子の無事を喜ぶ王とは逆に、グレンの顔は暗いものだった。
「父上、魔王軍は予想通り、軍を固めておりました。その数は前回の侵攻と比べ、倍以上はあるかと……それ以上の調査は不可能でした」
「……そうか。ご苦労だった」
王は深いため息をついた。
幾度にもわたる戦闘により、兵力が低下しているのは事実。協力してくれる国々も、この状況下では他の国に回す軍など残っていない。
手は尽くしている。しかし、それ以上に魔王軍の侵攻が凄まじい。
兵士たちの士気にも影響が出始めてくる頃だ。
これ以上できることはない。
――ただ一点を除いては。
王は手に持つ巻物を見て、少し考えた後、そばにいた従者たちへこう伝えた。
「外してくれるか? グレンと話がある」
グレンは王の言葉と佇まいを見て背筋を正した。
王の目には先ほどまでとはうってかわって覚悟が宿っていた。
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従者たちが退室し、王とグレン王子は部屋に二人きりになるが、先ほどの報告と芳しくない戦況のせいか重い雰囲気になってしまい、互いに話を切り出せずにいた。
「父さん、何か用があるんじゃないですか?」
「……ああ、悪い。いかんな、いざ伝えるとなると、我が息子に対してでも緊張してしまう」
「何でも言って下さい……僕は父さんの力になりたいんです」
「ありがとうグレン……ならば、話そう」
そう言って王は持っていた巻物をグレンに見せた。
少々古びていて、ところどころ朽ちたせいで欠けていた。
「これが何か知っているか?」
「存じ上げません。それは一体? やけに古びた巻物ですが」
「この巻物にはな、勇者降臨の儀の方法が記されている。この儀式についてはお前も聞いたことがあるだろう」
「勇者……降臨の儀? 幼いころによく聞かせてくれた、お伽話に出てくるあの儀式のことですか」
「そうだ」
淡々と告げる王に、グレンは信じられないと言った風に目を見開いた。
「何を急に……まさか?! その儀式を行うとでも? 父さん、どこの誰にそそのかされたかは知りませんが、馬鹿なことはやめたほうがいい! そんなもの、できるはずがない!」
「あのお伽話は実話だ。そして、この巻物は我ら王家に代々伝えられたものなんだ」
「そんな、信じられない」
「この巻物は解読してみたことがある。これには最初にこう記されていた。『魔王の封印は千年後に破かれる。その時再び勇者の力が必要となるどろう。初代王として後世のためにこれを残す。』とな」
書いてあることを読み上げられようとも、グレンには信じられなかった。
勇者降臨の儀はお伽話で聞き、存在を知った。だからこそ信じられない。
お伽話は所詮お伽話。現実ではありえない。
グレンは誰かが王をたぶらかしている、そう思った。
劣勢が続くこの状況下で、甘い言葉で誘惑した何者かがいると。
誰の仕業かとグレン王子が考え込んでいた時、王の手から巻物が消えた。
「グレンくーん。とりあえずやってみない? 眉唾物だし」
するとグレンの後ろで、王の手に会ったはずの巻物を読みながら女性が歩いていた。
「レヴィ殿。いくら王国最強と言われる君でも、無断で王の間に入るのはいかがなものだろうか。しかも魔法まで使って。ここはあなたの新作魔法を試すところではないんですが?」
「あれ? 驚かすつもりで出てきたんだけど、おかしいな……」
グレンはその女性を睨みつけた。
魔法使いレヴィ。ファング王国において最強の魔法使いと言われている存在。
実力は折り紙付きな上、魔法の探求に力を注いでおり、本来五属性しかない魔法とはまた別に、防御魔法など属性の存在しない魔法を作り出すなど、偉業を数多く残している。
ただし礼儀というものが一切なく、気品もなく騒がしい。
グレンはそんな彼女を嫌っていた。
「グレン、許してやれ。今回は彼女の力を借りようと思って呼んだのだ」
「……は?!」
グレンは目を丸くした。
「正気ですか?! この前など、彼女は王命で招集をかけたのにも関わらず『戦争嫌いだから行きません』などとふざけたことを言って力を貸してくれなかったではないですか!」
そして彼女が来ない代わりに、グレンがその地に赴いて戦ったのは言うまでもない。
「いや~、戦争はめんどいから嫌いなんだけど、勇者降臨の儀なんてもう気になって気になってしょうがないじゃない?」
「っ……父上、彼女は面白半分で協力してるだけです。兵士たちが必死になって戦っているのに、こんなことを…………まさかとは思うが、君が王をたぶらかそうとしているのか?」
グレン王子はレヴィを睨みながらそう言う。
彼女は一瞬キョトンとした顔を見せると、そんな視線など何ともないと、軽くウインクして返してみせる。
一層王子の睨みが鋭くなった。
「違うぞグレン。この勇者降臨の儀を行うことから、彼女へ協力を要請するまですべて私の考えで行っている」
「そんな……」
「グレン、よく聞け。この戦いは、人類ができる限りのことすべてをやらなければ勝てないと私は考えている」
王は玉座から立ち上がり、拳を握り締める。
その目は力強く。真っすぐ前だけを見据えていた。
「俺は王として国民の生活を。未来を。命を守る義務がある。そのうえで使えるものはすべて使う。それが俺の王道だ。だから、この儀式は必ず行う」
「父上……」
グレンは王を羨望のまなざしで見つめていた。
父であり、王である彼は、グレンにとっての憧れだった。
「なに、とてつもない化け物が現れたとしても俺が飼いならしてコキ使って見せるぐらいの気概は見せてやるさ」
王はそう言ってグレンに笑いかけた。
グレンは驚いていた。
王の口調はごく稀に変わる。その時はいつだって、本気の時だった。
不安は少しだけ和らいだ。
「わかり……ました」
そう言うとグレンは少し考え込みレヴィの方を向いた。
「ならばレヴィ」
「なあに?」
「失敗は許さない。父上の顔に泥を塗らせるわけにはいかない。やるからには必ず成功させるんだ。仮にも王国最強の魔法使いならば」
「王国最強はみんなが勝手に言ってるだけでしょ~」
真面目に話すグレンに対し、適当にあしらうレヴィ。
そんな態度をされたグレンは――
「……フフッ。もしかして自信がないのですか? あきれたことだ」
わかりやすいジェスチャーを混ぜながら嘲るように笑った。
レヴィは眉をほんの少しピクリとさせた。
「は? ……アハハハッ! まさか?」
そんなグレンに対してレヴィは大げさに胸を張りつつ、不遜に笑った。
「勇者なんて生ぬるい。それこそこんなくだらない戦いなんか一瞬で終わらせるくらいの化け物出してやるわよ」
「勇者で十分なんですが、それはそれは……。ハハハ、期待しています」
殴り合うかというくらい近づいて、レヴィとグレン王子は笑いあう。
……笑い合うが、二人の目は一切笑っていなかった。