第20話 『何もするな』
タマが姿を消す少し前――
「あぶなっ?!」
とある宿屋に大きな音が響いた。
「ほぅ……」
呆然とした顔の将斗は、階段の真ん中で仰向けで倒れていた。
足を滑らせたのだ。
「痛ぇ……」
寝起きの頭では何が起きたか理解できないらしく、数秒固まったままでいた。
足を滑らせた際、本能的に伸びた右手が手すりを掴まなければ、この宿は事故物件になっていただろう。
だんだん状況を理解した将斗は、痛む背中をさすりながら体勢を直して再び階段を降りた。
将斗は2階の廊下を歩きながら、ふとタマのいる部屋の前で立ち止まる。
今の音で飛び起きて「なんの音にゃ!」と飛び出してくる猫耳美少女の姿を想像して耳を澄ませてみるのだが、部屋の中からこれといった音は聞こえなかった。
「……寝てるか」
「今の音は何?」
「うわっ?!」
後ろから声をかけられ、将斗は飛び上がった。
声の主には察しがついていた。この宿にこの可愛らしい声を出すのは彼女しかいない。全体的に白いあの子だ。
答え合わせをするように振り向くと、将斗の思った通りララがそこにいた。
「起こしちゃったか。階段で転んだだけだよ」
「気をつけて」
「えっ……?!」
将斗は驚愕の表情で彼女を見つめる。
ララは首を傾げた。
「何?」
「俺のこと心配してくれんの……!?」
「は?」
ララは感激のあまり泣きそうな将斗を見て、一瞬呆気に取られた後、大きめのため息をついた。
「……損した」
「損?! 損ってことはやっぱ心配してくれたのか?! 熟睡してたのにわざわざ俺のため飛び起きて――」
「ん゛ッ!!」
「ぐぉおっ?!」
将斗は頬に強烈な蹴りを受け、壁に向かって飛ばされた。
悶絶しながら見上げた廊下に、顔を赤くしたララが立っていた。
「いい蹴り……いや本当に……加減して。俺、実はMじゃないからさ。痛けりゃなんでもいいってやつじゃないから」
「おい」
悶絶する将斗の方に、ララはぺたぺたと裸足で歩いてくる。
しかしそんなオノマトペが似合わないくらいの剣幕で、彼女は冷たい目で見下ろしてきた。
何を言うかと思えば、両手を広げて、
「はやくたて。おんぶ」
「ここにきてツンデレは可愛いがすぎる」
「はやくしろ」
そう急かしてくる彼女を、将斗は嫌な顔一つせず背中に乗せてあげるのだった。
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背中に乗せるなり速攻で寝たララの寝息を感じつつ、将斗は朝食を取るため一階へ降りると、
「おはようござ……あれ?」
誰もいなかった。
基本朝食はダイアスが用意してくれる、そのはずだった。昨日もその通りだった。
しかし、食卓には何も並べていない。
将斗は自分が一番早くに起きた可能性を考えたが、そもそも早く起きたつもりはなく、むしろ昨日より遅い。
時間的にはもう用意されていて当然のはず。
「朝食は食える時は必ず食うっていうモットーを掲げてる俺はどうすれば……って、これは?」
不思議に思って近づいたテーブルの上には、ご飯の代わりに謎の文字が記された紙があった。
「……ララ、ちょっといいか?」
将斗は昨日この形の記号を本屋で散々目にしていた。
そう、この世界の文字だ。
となるとこれは置き手紙。
読むには後ろの彼女を頼る他ない。
「んん……」
「ごめんな、これ読めるか?」
嫌そうに目を擦る彼女に、メモを見せる。
彼女はそれを見て数秒間目を細めると、
「……あさめしは、そとでくってこい」
「えぇ……なんで? って寝てるし」
これ以上質問させる気はないようで、ララは言い終わった瞬間に眠り始めてしまった。
「外で食えって……そりゃまた急な……まあ金はあるんだけど」
キッチンが見えるカウンターの上に袋が置いてある。
竜次から受け取ったあの袋だ。
将斗が昨日、竜次が回収するだろうと思って置いていたのだが、そもそも竜次は帰ってこなかったため、置きっぱなしになっている。
将斗はそれを手に取ると、中身を確認。
昨日タマたちと散々豪遊したはずなのに、袋の中身はたいして減っていなかった。
「いただきます……っと」
流石の将斗でも人の金を二日続けて使いまくるほど腐っておらず、朝食代に必要そうな量だけ手に取ってポケットに入れると、
「タマ呼ぶか……」
そう呟いて、あの急な階段へ向かった。
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「おーいタマー?」
手の甲で何度も扉を叩く将斗。
しかし、いつまで経っても起きてくる気配がない。
なんだか不安になってきた将斗は、ドアノブに手を掛けた。
その時、とあるイメージが頭の中に流れる。そのイメージのせいでドアを押す手に力が入らない。
――大丈夫だ。そんなことは起こらん。起きたとしても事故。オーケー。事故だ。
一度大きく深呼吸をし、
「……失礼しまーす」
ゆっくり扉を押した。
将斗はとりあえず隙間から顔を押し込み、部屋の中を覗く。
窓から差し込む光が部屋を照らしているおかげで内部がよく見える。
この部屋は、将斗の泊まった部屋とたいして変わらない家具の配置をしていた。
部屋の奥、ベッドの上で布団が上下していた。
タマの姿が見えない。
どうやらタマは頭まで布団をかぶっているようだった。
「ああ布団かぶってるから聞こえなかったのか……にしても」
それを見て将斗は溜め込んでいた息を吐き出した。
「流石にエロハプニングは起きないか。よかった」
男が女子の部屋に行くとなんと女子は着替え中だった!そういう本を何度も読んでいるせいか、将斗は変に警戒していたのだ。
「あれ現実だと普通に犯罪なんだよな……」
ちょっとだけ期待していたこともあってか、愚痴のような事を呟きながら、将斗はベッドに向かった。
上下し続ける布団に手をかけ、いざタマを起こさんとして――
「っ――?!」
手を離し身を引いた。
将斗は息を荒くしながら、目を見開いて、今握った布団のその奥、そこに見覚えのある服を見ていた。
その服とは、洞窟内でタマが着ていた、スポブラに近い布面積を誇るあの服だ。そしてその隣にはあのホットパンツもあった。
そしてそれらはまるで脱ぎ捨てたかのように乱雑に置かれていた。
「……今、裸なのでは……?」
布団の下には裸のタマがいる。その想像が浮かんできてしまったのだ。
家の中で裸になるタイプの人間は少なくない。
抑圧された自分を、自分のテリトリー内で解放するのは間違ったことではない。
彼女もその一人である可能性はないとは言い切れない。
「くっ……」
将斗は迷った。
タマの布団を捲るか、否かを。
「くそッ……」
掴む手の先には男のロマンが待っている。
ただしロマンを得ても、代わりに彼女の信頼を失う。
手は布団を握るが、捲ることができない。
「どうするッ……」
まだ迷う。
これだけ叩いても返事がなかったのは不自然だ。
熱があるのかもしれない。
そもそも布団を捲った先にロマンが待っているという確証はない。
「捲るか……? それとも……」
将斗は女性経験が少ない。
大学デビューを失敗した上に、挽回しようにも元の世界には帰れない彼にこれ以上女性との交わりがあるとは考えづらい。
となると、裸を見るチャンスはここしかない。
――のかもしれない。
将斗は考えた。
ロマンを求める本能と、現実を見据える理性の狭間を揺らいでいた。
本来では見ることのできない領域に対する妄想が浮かび興奮しそうになりつつも、洞窟内で笑いあった彼女のとの思い出が何度もフラッシュバックし冷静さを取り戻す。
――ダメなことだとはわかっているけど。けど……!
ロマンがそこに待っている。
ならば――
――いやいやいやダメだろ
今、想像するそのロマンが現実となるのなら、それは価値あるものなのか。
大事なものを失ってまで得る価値は本当にあるのか。
脳内会議は止まらない。
答えはなかなか決まらず、「あー」とか「うー」とか言いながら、手を離しては何度も布団を掴み直す。
しかしやがて、その目に力が宿る。――
「良く考えろ俺。こんな機会に巡り会える男はこの世にどれだけいると思う?」
本能が言葉を紡ぎ、布団を捲ることを拒む理性を理詰めで追い込み始めた。
「俺みたいな日陰者で女性経験ゼロのやつは山ほどいる。そん中でこんなロマンに巡り会える奴がいるか? いないだろ」
将斗は両手で思いっきり布団を掴み、そして、
「これはチャンスだ。悪いな俺と同じくらいの日陰者たちよ。……俺はもっと上に行くよ」
「……いってきまーす……」
上下する布団を眺めながら音を立てないように扉を閉める。
結局、何もしなかった。
彼はヘタレだった。
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「タマゴサンドうめぇ〜」
「美味……」
朝日が昇ってからだいぶ時間が経ち、人々の動きが活発になってきた路上を窓越しに眺めながら、将斗は朝食を食べていた。
隣にはララがいて、将斗と同じタマゴサンドを食べている。
将斗は知らない街の知らない店に入れる度胸を持ち合わせていなかったため、今いるのは昨日も来たカメダ珈琲店。
元の世界の店と雰囲気が似ている分、入りやすいのはかなり助かったようで、将斗は今は亡き転生者たちに感謝した。
同じとはいえ、メニューを見ても商品名は読めなかったので、美味しそうなイラストが描かれたものを選んだだけであったが、どうやら当たりだったようだ。
「うまいか?」
「……うん」
「ならよかった」
口の端にソースを付けながら食べる姿は実に愛くるしい。
将斗は顔の向きを戻して、再びサンドイッチを頬張った。
濃厚な卵の甘味を堪能した後は、コーヒーを口にして未だ少し覚めきっていない頭に喝を入れる。
――って何を優雅にコーヒー飲んでんだ俺
コーヒーを置いて、少し物思いに耽る。
「ふぅ……」
「いらないの?」
「え、いらなくは……いいよお食べ」
「んむ」
将斗は皿にあったサンドイッチをララにあげた。
残していたわけではないが、将斗の手が止まっていたのを見てララは残していると勘違いしたのだろう。
自分の持つサンドイッチを直接彼女が食べているのを見ながら、将斗は再び考え始めた。
窓の外に仲良く談笑し合う男女が見えた。
「……」
一瞬だけ彼らに、ダンジョンを歩いていた自分たちが重なって見えた。
――気にしすぎだな……俺
将斗はここ二日間、ずっと頭の片隅で竜次とタマの仲を気にかけていた。
しかし、大したことは何もできていないためどこか無力さを感じていた。
――大体……タマはもう諦めるとか言っていたし、俺にどうこうできる問題じゃないか
そうは思いつつも、昨日の寂しげに笑うタマの顔を思い出し、やはり何かできないものかと諦めの悪い自分が生まれる。
しかし、やはりいい案は特に浮かんでこない。
「ハァ……」
ため息を一つ吐くと、再びコーヒーを――
「ようよう兄ちゃん! 朝っぱらからシケたツラしてんなぁ?! どうしたァ!?」
「えっ?! うっ……」
――酒臭ぇ……!
何者かに突然肩を組まれたと思えば、その者の口から酷いアルコールの臭いを至近距離で食らわされ、将斗は顔を顰めた。
あまりの臭いに酔わされそうになるのを堪えながら見ると、隣には手入れのされていない髭を生やした、小汚いオッサンがいた。
「ちょ、誰ですか。なんですか?」
見覚えのない男に肩を組まれている状況に気持ち悪さを覚えて、将斗
はすぐさま身を引いた。
「いやな? こんないい天気なのに暇なんだよ。だからとりあえず酒飲むだろ? そしたらシケたツラしてる兄ちゃんがいるだろ? なんか訳ありだな、こりゃもう聞くしかねぇよな。ってわけだ聞かせてくれよへへへ」
「答えになってない……」
発泡酒片手にニヤニヤし出すオッサン。
将斗はどうやら運悪く目をつけられたらしい。
――これが異世界のおじさんか……
異世界転生モノにはよく気さくに話しかけてくるおっさんがよく出てくる。
自分の世界と違ってこの世界の人間は人同士壁を作って生きていないからここまでの距離感が出せるのだろうかと、将斗は少し異世界要素を感じた。
しかしそんな嬉しくもない異世界要素に、将斗は嫌そうに目を細め、おじさんには適当に返事してさっさと帰ってもらおうと決めた。
「んでどうだ? 話してみたくなったろ」
「いや微塵も」
「あン? ……っあ、ああ! そうか! 酒だな! おい酒酒! そこのねぇちゃん。酒! あ? 俺じゃねぇよこいつだこいつ、早く持ってこい」
「あ、いや俺酒飲めないんで」
「はぁ? なんだ弱いのか?」
「いえ、ちょっと控えたほうがいいって言われてるんで」
「おいおいやらかしたクチか?! 何したんだ? 姉ちゃんの乳揉んじまったか、ってな? アッハッハハハハ!!」
「ハハ……」
将斗は絶句した。これはなんなのかと。
優雅にコーヒーを飲んでいたはずが、その時間が突如現れた酔っ払いによってぶち壊された。
しかも相手は完全に自分のペースで話していて、こちらが全然歓迎していないことに気づいていない。
朝っぱらからなぜ自分がこんな面倒な目に遭っているのかと、この場所を選んだ数分前の自分を呪ったが、その隙に、おじさんはどんどん詰め寄ってくる。
「んでどうだ。言ってみろよ。楽になるぜ〜?」
「いや、ほんと、いいんで。大丈夫なんで」
「わかってねぇなぁ。別に酒のつまみにしようって思ってるだけだぜ?」
「じゃあむしろ話さないほうがいいのでは?」
将斗は相手を怒らせない程度の塩対応を試みるが、相手の勢いは止まない。
オッサンは「チッチッ」と言いながら指を振って、
「違う違う。要は声に出せってことよ」
「はぁ……」
「あんな、どんなことも話せば楽になるもんなんだよ。今の兄ちゃんみてぇに一人で考えてるだけじゃ解決しねぇ。人を頼るんだよ。人になんで口がついてると思う? 人と話すためだぜ」
「飲み食いするためでは?」
「いんだよその辺は。助言をしてもらえって言ってんじゃねぇ。まだわかんねぇか。ただ単に口にしろって言ってんだ」
そう言って男は赤い顔をこちらに向けると、
「頭ん中でかき混ぜてるだけじゃ気付けねぇモンがある。そういうのを口にしてそんで手前の耳で聞く。したら大抵自分がおかしなこと言ってんじゃねぇっか?って気づくもんなんだよ」
「……あぁー」
「おっ? お前今一理あるとか思ったか? 一理飛んで百理くらいあると思ったか?」
「ぐ……」
――めんどくせぇ……
男の言い分は理解できないこともないが、言っている人間が酔っ払いというところに将斗は怪訝な顔をした。
「ほらほら、人生の先輩からの助言だぜ? 素直に聞いとけ?」
「いや……でも」
「どうせ俺は明日には忘れてっし、逆に気楽でいいぜぇ? ほらほらァ」
「はぁ……」
将斗がふと隣を見ると、ララは机に突っ伏して寝ていた。
我関せずと言わんばかりの熟睡。
将斗は連れ帰るついでに逃げようかと考えたが、
――いや、さっさと話せば帰ってくれるだろうし……ララが寝てる間だけ付き合ってやるか
将斗一人では男の言う通り何も浮かばかった。だから悩んでいたのだ。
そこにこんな助言を受ければ試してみたくもなる。
――でも、酔っ払いの助言を鵜呑みにするというのはなんかな……
このまま聞き入れるのはなんだか悔しいので、将斗は酔っ払いのたわ言に付き合ってあげるという体で話し始めた。
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「――なるほどなるほど」
「どうですか? そんな感じで今悩んでるんですけど」
「ふん……」
将斗は竜次と出会ってから一連の出来事を全て話した。
といっても何かあってはいけないので、個人の名前や、行った場所については伏せておきながらだったが。
「そうだな……」
話を聞き終えた男は、何か考え始めていた。
酒を飲みながらではあったが、話している最中は割り込んだりせず真剣に聞いていた。
今も真面目な顔して思考しているあたり、意外とこの人生の先輩から素晴らしい解決策が提示されるんじゃないかと、将斗は期待した。
「兄ちゃんはどうにかしてやりたいと思ってるわけだ」
「そうなんですよ」
「俺からの助言はそうだな……」
男は引き締めた顔で将斗の方を見て、
「何もするな、だ」
そう言って歯を剥き出しにして笑った。
「ハァァ……ララほら起きろ、行くぞー」
将斗は大きめのため息をつくと、帰る支度を始めた。
いい案が出てくるどころか案にすらなっていないその回答に呆れたのだ。
同時に、悩みを酔っ払いの道楽に使われたことに悔しさを覚えていた。
「ちょっと待て、別に俺は適当言ったんじゃないんだぜ? お前の話を聞いた上で、お前は何もしないのが正しいと思ったんだよ」
「……どういうことですか」
立ち上がりかけていた体を戻して、席に座り直す。
男がこういうのならここで帰るのは早計だ。
ちゃんと理由を聞いて、その内容から判断するのも遅くはない。
――適当だったら、マジですぐ帰るからな……
そう心に決め、男の方を見る。
すると男は将斗が話を聞く姿勢になったのを待っていたのか、口を開いた。
「兄ちゃんはそいつらと……えっと、三日? 四日? どっちでもいいが。まあ、最近出会ったばっかだって言ってたよな」
「はい」
「でも兄ちゃん以外の3人は3年くらい一緒にいるわけだ」
「そうですね」
「質問なんだけどよ……そういう喧嘩は初めてじゃないんじゃないか? 今までにも結構あったんじゃないか」
「え? うーん、どうだろう」
くるとは思っていなかった質問に一瞬固まるが、限りのある自分の持つ情報を探って答えを探し始めた。
「獣人の子は今まで我慢してたって言ってたから、多分初めてだと思うんですけど」
「多分ねぇ……。ちなみにその子ってしょっちゅう無茶なことをしてるんじゃないか? その男の役に立ちたいからってさ」
「それは……ない、と思います」
謎の質問にタマの行動を思い返してみるが、竜次たちが戦っている間は将斗とともにコーヒーを飲んで待っていた。主との戦いではむしろ戦わないようにしていた。無茶をしたのは、古城の時の一回きりだ。
しかも古城の一件の発端は、彼女が主との戦いの時の将斗に影響されたことにある。彼女はそんなことを言っていたはずだ。
つまり、最初から無茶をするような子ではなかったはずなのだ。
「思います、ねぇ……」
「なんですか?」
男の含みのある呟きが引っかかるので、将斗は思わず聞いた。
「他意はねぇよ。普通だなって思っただけだ」
「普通?」
「出会って数日の間柄ならそんなもんだろう。多分この子はこう。こうだと思う。そんな曖昧な情報しか持てねぇ。今のお前みたいにな」
お前はまだそいつらと打ち解けていない。そんなふうに言われた気がして、将斗は言い返そうとしたが、実際のところ、まだ彼らについて知り得ない部分は多い。
黙っている将斗に、男は話を続けた。
「だが、お前以外の3人は何年も一緒にいる。当然のことだが、そいつらは互いにわかり合ってる部分が多いはずだ。お前とは比べ物にならんくらいに。それはわかるよな?」
「……はい」
「んで……そいつらは三年くらい一緒つったか? だとすれば、大抵相手の言いたいことも自然とわかってくるもんなんだよ。ただ、わかるけど認められない、だとか、素直になれないだとかで衝突することがある。今回の喧嘩はまさにそれだ」
「ちょうどいいのがいるぜ。あんな感じだ」と男が酒を飲みながら窓の外を指さす。
二人の初老の男女が道の端で何やら言い合っている。夫婦だろうか。男性の方はめんどくさそうにしていて、女性の方は怒鳴っているようだ。
女性の方が息を荒くしながら歩き出した。男性はため息をついた後女性の後を追いかけ、近づくと女性の手荷物に手を伸ばした。女性は男性の方を見ずにその荷物を男性に渡していた。
確かにわかり合っている。それに実際さっき衝突していた。
窓の外の老夫婦を見たおかげで、男の言ったことがかなり腑に落ちた。
「でも、いつの間にか仲直りしてる。きっかけがありきの仲直りもあるし、ないこともある。でもいつかは元に戻る。そんなもんだ」
老夫婦はもう見えないが、彼らが笑い合いながら歩く姿がなんとなく浮かんだ。
男が言いたいのは、竜次達も同じように分かり合っているからいつか仲直りするだろう。ということらしい。
「まぁ、現状はアレだな。喧嘩した二人とも、自分の中で気持ちを整理してる時間なんだよ」
「……だからこそ、なんとかしてやりたいって思うのはダメなんですか?」
「いやーやめとけ。そんな時にお前が、仲直りさせよう!ってあたふたしてたらどうだ? 向こうも『あ、早く仲直りしないと』って焦っちまう。でも片方は焦って仲直りしようとしてても、もう片方は別行動中だから焦ってんのなんか知りもしない」
「あたふたはしてないんですけど」
「どうだかな。本人たちにはバレると思うがな……。で、続けるが、そしたら次は『私はこんなに仲直りしようとしてるのになんなの?!』って別の理由で亀裂が生まれるぜ。最悪、修復できないくらいの亀裂になることもあり得る」
「う……」
「しかも、兄ちゃんの意見が獣人の嬢ちゃん寄りなのが一番ダメだな」
「え?」
将斗は驚いて顔を上げた。
獣人の嬢ちゃん寄り。つまり将斗の意見はタマ側の意見になっていて、竜次に寄り添えていないと言いたいらしい。
しかし、将斗は平等に接しているつもりだった。どちらにも偏っているつもりなど――
「仲介ってのは平等でなくちゃならない。なんか話聞いてると男の方が悪いーって言ってるように聞こえたぜ」
「嘘だ。そんなこと」
「思ってなくても、言葉で出てたよ。他人の俺がそう聞こえたって言ってんだから素直に受け入れとけ」
「……はい」
自分でも気づいていないうちに、将斗はタマと一緒にいる時間が長かったせいか、彼女が正しいとどこかで思い始めていたのかもしれない。
思えば、彼女の笑顔を取り戻したいとばかり思い込んでいるばかりだったが、その途中で竜次のことを考えたことは一度でもあっただろうか。
「だから今の兄ちゃんには仲介役には向いてねぇ。……男の方の意見を聞いてみてからならまだいいかもしれねぇが、別行動中でそれは叶わねぇだろうな」
「……俺にできることは、もうないって事ですか」
「ああ、基本的には――」
肩を落として問う将斗に、男は、
『兄ちゃんは、何もするな』
そう言って立ち上がった。
「ま、あまり気を落とすなよ。元気だ元気。心配かけたと思わせたら負けだと思えよ? 結構気まずいぜ〜?」
「は、はい……」
「元気だって言ってんだろ? あまり深く考えるな。何かしようって姿勢は大事だからいいと思うぜ。だがちょっと気を張りすぎだ。肩の力抜いてけ抜いてけ」
男は将斗の肩を揉んでくる。
相変わらずアルコール臭がひどいが、何故だか気分が少し晴れていくように感じた。
将斗は、この2日間ずっとタマと竜次の事ばかり考えていた。同時に何もできない自分への悔しさを感じていた。
話したところで結局は何もできないままなのは変わりないが。話せば楽になるという、男の言っていたことはどうやら正しかったようで、どことなく胸のあたりが軽い。
「さて」
男は肩から手を離すと、
「じゃあ、俺はもう行くわ、用あるしな」
「あ、ありがとうございます。色々話聞いてもらって、助言もらってって、助かりました。異世界おじさん」
「……は?」
振り返った男は虚を突かれたように驚いていた。
「うおおあああごめんなさい! 勝手に心の中でそう呼んでて……」
「あ、ああ。ビビったなんだそんなことか」
男はふうと息を吐いてから、ニカッと笑うと、
「じゃ、また会おうぜ兄ちゃん」
「はい、ありがとうございました」
手を振って、店を出ていく男を見送った。
男は窓の外の人波の中に入っていくと、見えなくなった。
「……何もするな、か。まあ、ちょっと張り切りすぎてたとこもあるしな」
将斗は軽くなった肩を回した後、食器を一箇所にまとめて帰る準備をした。
ララは熟睡しているようで何度揺らしても起きなかった。
彼女の手にはサンドイッチが握られていた。
「食ってる間に寝るとか……恐ろしい子ッ」
残すのは良くないので、寝ている彼女の代わりに自分の口に放り込む。
時間が経っていたせいかパサパサしていた。
最後に将斗は忘れ物がないことを確認し、ララを背に乗せると会計をして店を後にした。
「ふんふふーん……」
下手な鼻歌を歌いつつ歩くその姿は、どこか足取りが軽い。
異世界おじさんとの交流は将斗にとって、いい機会だったようだ。
「――ん?」
そうやって気分晴れやかに宿に戻る途中、将斗はふと立ち止まり、
「……何もしないんじゃ……スキル奪う方進展しなくね……?」
別問題が浮上して、再び頭を悩ませることとなった。
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「呑気に飯食ってんじゃなかった!」
丸まった毛布が横たわるベッドの前で、将斗は頭を抱えた。
カフェから帰ってきた後、タマの部屋に向かうとベッドの上でまだ布団が上下しているのを発見した。将斗は、流石に寝過ぎではないかと思い、布団をめくった。
そして今に至る。
「なんでこんな手の込んだことを」
丸められた毛布は目の前で上下運動を繰り返していた。
開いてみると、謎の機械が一定のリズムで膨らみ、萎みを繰り返していた。
タマの発明品だろうが、今までの発明と違い、なんの機械なのかまるでわからない。
この状況では、ベッドの中にいると見せかけるためだけに作ったような機械だ。
外観は配線剥き出しで、あまりいい見てくれのものではない。ネジも途中で止まっていて奥まで入っていない。
急いで作ったのが良くわかる。
「なんでだ……なんでこんなことする必要ある……?」
将斗は額に拳を軽く当てながら考える。
即座に走り出してしまいそうな気分だが、グッと堪えて、冷静に考える。
「竜次との仲直り関連だったら、俺が手を出しちゃいけない。プレゼント選んでるとかだったら邪魔だよな……?」
異世界おじさんのアドバイスはちゃんと覚えている。何もしない。それが将斗にできることだ。
だが、古城の時のような無茶をしている場合は話は別として捉えるべきだろう。彼女の身に危険が迫っているのは流石に見過ごせない。
「でも、そのくらいだったらここまでする必要ない……よな」
プレゼントを買いたいならそう言えばいい。恥ずかしくて言えないとしてもこんな逃げるようなことをする必要性を感じない。
第一、今日彼女は将斗と再び街を回る約束をしていた。
プレゼントを選ぶくらいならその間にもできる。そうではなく一人でじっくり考えたいのなら、約束をキャンセルしたいと言いに来ればいいはずだ。
「まさか俺が約束キャンセルされたくらいで挫けるやつに見えてたか……? つうか――」
将斗は部屋を見回しながら、
「本屋の時のアレに近いっちゃ近いな……」
置かれたままの彼女のデカいリュックを見つけた。
昨日本屋の外で何かを見つけたタマは、リュックと将斗を置いて走り出していった。
リュックと将斗を置いていくという部分がどこかあの時と被っているように思える。
だいたいあの時何をしに行ったのか教えてもらっていない。
「とすると、本屋……だな」
そう呟きながら将斗はリュックを手に取ってみると――
「軽っ?!」
リュックが片手で持てるくらいの重さになっていた。
昨日持った時は両手を使っても引きずってしまうほどの重さだったはずだ。
中を開くと、昨日と比べて密度が下がっているように見える。
彼女はこの中から何かを持って出て行ったようだ。
「部屋に置いてってるわけでもないし、あの変な機械だけじゃあの重さにならない。やっぱ持ち出しが正解か?」
良くない状況になっている。そんな気がしてきて焦る。
彼女が何をしているかさえ把握できれば、安心できるのだが。
「竜次に相談……って連絡手段ねぇじゃん。じゃあ……あっ?!」
頼れる相手なら一番近くにいた。
「ララ! 起きてくれ!」
背中の少女に呼びかける。
「ララ! おーい!」
しかし、起きない。
「おーいララ! 結構ヤバいかもしれないし、ヤバくないかもしれないんだけど。と、とりあえず何言ってるかわからんだろうけど、一旦起きて……」
結構揺らしているのに起きる気配はない。
愛らしい寝顔のままだ。
ただし今だけは起きて欲しかった。
「今まで起きてくれたじゃんか……なんでこんな時に限って……いやいい。起きないなら……」
ララは起きない。とすると匂いで辿るというあの方法が使えない。
頼れる相手がいないとなると、今将斗にできる行動は一つ。
「本屋だな」
タマが怪しい行動をしたあの本屋。あの付近を調べることだ。