第4話 ちょろくない異世界
「チョロいな……異世界」
走り疲れた彼は座りながら、ちょうどいい高さの台に肘をついて遠くを見ていた。
スキルを使えたことで将斗は多少ハイになっている。
そのせいで今自分がどれだけカッコつけているのか客観的に見れていない。
「ここが例のファング王国だよな。たしか、着いたとこから一番近い国がそれです〜って言ってたしな」
眺める先には城壁でぐるっと一周囲まれた、中世という時代を想起させる建物たちが所狭しと並んでいるのが見えた。
将斗はその城壁の上にいた。
この城壁、人が乗ることを前提に建てられていないのか、上には膝下くらいの高さの四角い石が並んでいる。
立っていたら危ないが、肘掛けにはちょうどいい。
将斗は両肘を寝かせてその上に顎を置いた。
「はぁぁ、めっちゃ探索してぇ……期限付きじゃなければ端から端まで見て回るってのに」
もしゲームだったのなら、彼は今言った通り端から端まで走り回って、村人と会話して、フラグを建てて、アチーブメントやらトロフィーを解放している頃だ。
現実で人との会話が下手な癖に、一体どこからその自信と言葉が出るのか。
これもまたスキルハイの影響かもしれない。
「つうかまじでたけぇなこの壁。進撃じゃねぇんだからさ」
将斗がここに来たのは数分前。
物は試しにと彼はこの城壁を垂直に駆け登ったのだった。
つま先を窪みにあてがい踏み抜く。それの繰り返し。
たったそれだけだったが、彼はそうして数十メートルはあるであろうこの壁を、手を使わず足だけで登った。
『超強化』により平衡感覚やらその他何もかもが強化された結果によるものらしい。
「うわ〜こんなスキルあるならもう余裕だろ。何が無限の魔力だよ。こっそり忍び込んで、後ろから近づいてスキル奪って、後はこの脚で逃げれば勝ちだろ? 負ける気がしねぇ」
逃げ前提の作戦を立てるその顔は自信に満ちている。
そうして将斗は座っている場所と、ちょうど反対側にある建物を眺めた。
某夢の国で見るような、かなり大きな城がそこに建っていた。
将斗は指を鳴らしその城を指さす。
「例の鈴木……いや、王様は上の方にいるだろうな。だから今の俺の身体能力で、まず壁を蹴って上の方にある、あそこの窓から侵入。んでもって、この握力で天井にでも張り付いて潜み、夜こっそり王様に近づけばオーケー……うん、やっぱ余裕だわ」
適当に作戦を確認すると伸びをして寝転がった。
その顔はやはり自信ありげで、
「俺、策士かもしれんな……あ、そうか。俺が選ばれたのはこういう策士的な部分があるからなのか。いやー神様見る目あるぅー!」
グーサインを空に向けて放った。
将斗は気づいていないが、彼は念願の異世界に来れたおかげで、より一層ハイになっている。
独り言も止まらない。
「ま、早速サクッと終わらせちゃいますか……――ん?」
将斗は隣に何かの気配を感じた。
顔をそちらに向けると――青年が立っていた。
細身で将斗と同じくらいの背で、服装は草色のボロイ布を巻き付けている。
物乞い。ホームレス。一瞬だけそのイメージがよぎるが、風邪で布が揺れ、その顔が見えた時、将斗は自然と身を引いた。
彼は整った綺麗な顔立ちをしていた。
「ぁ……」
喉から息が漏れた。
理由は、その男の瞳が黒。そして、髪が黒色だったことにある。
――28番目の世界を説明しているときに、神様はこう言っていた。
「鈴木雄矢は貴方と同じ日本人なので、もし探すってなったときは金髪や茶髪が多いファング王国ではあまり見ない、黒色の髪と黒い瞳を持っているので見つけやすいかと思いますよ」と。
つまり今、彼の目の前にいるのは、あの鈴木雄矢本人ということになる。
「し……」
「し?」
黒髪の男は首を傾げた。
「失礼しましたっ!!!」
その瞬間、将斗は肘をかけていた石を思いっきり掴んで後方へ振りぬいた。
その勢いで彼の体は城壁の内部へ吹き飛び、落下を始めた。
将斗の選択は逃走だった。
鈴木雄矢が無限の魔力で何をしてくるのかは知らない。だいたい魔法で何ができるのかも知らない。
だが、『王と王女の殺害』をした時点でまともな人間ではないことだけはわかっていた。
そんな人間と準備もなしに相対するべきではないと本能で感じ取ったのだった。
落下する将斗。
落ちたら死ぬ高さだ。当然、体は強張る。
しかし『超強化』のある自分がそんなことでは死なない、と必死に言い聞かせて体を動かし着地の体勢を取る。
そして、空中で回転し、足を下に向けた後、建物の屋根に着地した。
両足にかかる重み。
しかし、痛みは感じない。やはり問題なく着地できたようだった。
むしろ屋根の方がダメージを受けたらしく、ミシッと嫌な音がしたが、将斗は心の中で家主に謝って駆けだした。
――走れ走れ走れ!! 何されるかわからねぇ!!
将斗は屋根伝いに必死に走った。
その速度は、先程草原を走り抜けた時の比ではない。
風そのものになったかのように将斗は駆け抜ける。
――やばいやばいやばい! 転生して数秒でゲームオーバーはマジで終わってる! 一回立て直そう! てか立て直すしかねぇ!
走る速度はぐんぐん上がる。
草原で試しに走った成果が出ている。
どこに向かえばいいかわからない将斗は、とりあえず踏める場所に足を踏み込んで、前に進むしかない。
――どこだよここ! ってか、どこに行く! 流石にいつまでも走ってられねぇ!
焦る将斗。
その背中がピリピリと痛み出す。
痒みに似た感覚――
鈴木雄矢が無限の魔力を持つということは、それなりの魔法を使ってくるということだと、将斗は解釈していた。
ただそれなりの魔法を将斗は知らない。だが、魔王とやらを倒しているのだ。少なくとも生半可な威力ではないはずだ。
だから、後ろからそんな強力な魔法を打たれる可能性を考えられずにはいられない。
背中に銃口を突き付けられているような恐怖の中、将斗はさっきの場所から距離を離していく
「いい速さだ、悪くないね」
「……は?!」
その声のする方向を見て、目を疑った。
将斗の隣を、雄矢が同じ速度で走っていた。
常人ならざるスピードで駆けることにさえ目を瞑れば、二人は仲良く走っているようにしか見えない。
「ねぇ! 落ち着いて少し話さないかい?!」
雄矢が大声で語りかけてくる。
焦る将斗は雄矢が怒っているように感じた。
――やばい
最悪の状況に思えた。
将斗の中ではチートスキルであったはずの『超強化』が実はそうでもなかったという事実が判明したからだ。
なぜなら今『超強化』で出せる全力で走っている。息切れするほどに全力で。しかし、雄矢は涼しい顔でピッタリ並走してきていた。
――無理! もうこれ以上は速度を上げられない。どうすんだよ。屋根から降りて道を走るか?! いや人邪魔! じゃあ左右に曲がってどうにか撒くか?! 無理だ! 俺がこのスピードに慣れてないから器用に曲がったりできない!
将斗は危険人物との高速の並走で混乱していた。
考えることが多すぎた。逃げるのも大事だが、屋根から落ちないことにも気を配らなければならない。
ここがどこだとか考えても埒が明かないため、他の事柄をすべてかなぐり捨てて、逃げ切ること一点に集中し策を練る。
しかし、何も浮かばない。
将斗は今まで一般人だったのだから、走りながら打開策を見つけるなどというファンタジーめいた行いは難易度が高すぎた。
しかし、そんな将斗の視界にあるモノが映った。
町の端にある森だ。
樹齢数百年はあるだろうという太い木々が立ち並んで、その森を形成していた。
将斗は妙にそこに惹かれた。
あそこならまだ何とかなるんじゃないかと思ったのだ。
安心するには不十分で、実行するには勇気のいる策だが、将斗はそれを採用し森に一直線に向かった。
急な進行方向の変更をしたからか、雄矢が対応に遅れ、距離が少し離れた。
――こんくらいで距離開くんなら森の中でならもっと離せるだろ!? 行ける!
安心し、そろそろ森に侵入できるという直前。
「んなっ?!」
建物と森の間に、大きな川が現れた。
少なくとも25メートルプールよりも大きい。
将斗の目がそれを捉えたのは、川直前の建物の屋根の一番端に、足を踏み込んだ瞬間だった。
建物に隠れていた上、将斗は木の方ばかり見ていたから気付くのが遅れた。
さらにそこから先にもう屋根はなく、今踏み込んでいる足が最後の一歩だった。
このままでは落ちる。
――跳べ
だが将斗は一瞬で奇跡的に『跳ぶ』という選択肢を思いつき、今まさに離れようとしている足のつま先に力を集中させ、爆発させる。
屋根を破壊し、彼の体は川の向こう目掛けてぶっ飛んだ。
「ギッッッリギリセーフだ! あいつは?」
空中で将斗が振り向く――雄矢は川の存在に気づいて急停止。
一旦建物から降りて、川と建物の間の幅を利用し助走をつけて川を飛び越えようとしていた。
だがその間も将斗の体は前へ進んでいる。
数秒だが、差をつけることができた。
将斗はそのまま飛んでいき森へ。
目の前に現れた1メートル以上はある木の幹を蹴り飛ばし、壁キックの要領で森の中へ進んだ。
――行ける! 逃げ切れる!
いいスピードで進んでいる。
気を抜けば木と正面衝突だが、将斗はひとまず安心した。
しかし、もっと距離を離して追いつかれないようにするため、少し方向を変更しようとしたとき、それは起きた。
「は……?」
将斗はまだ木の枝や幹を踏み抜いて進んでいる。
「曲がれない……?!」
方向転換ができなくなっていた。
どれだけ体重を移動させても、体は一直線に森の奥へ向かっていく。
方向転換がなぜかできない。
謎の現象に一旦止まろうとする将斗だが――
――止まれもしない?!
その体が止まることはなかった。
足が勝手に動いていた。
「なんだよこれ、何がどうなって……うわっ!」
木が突然無くなり視界が開ける。
そこは森の中にあるとしても自然にできたとは思えない円状の空間があった。
唯一、真ん中に木だけでできた建物――ログハウスが円の中心部に存在していた。
「って着地できねえ――ぐふっ!」
体の自由は効かず、それでいて足場もなくなった彼の体はまっすぐに地面に向かっていき、顎から地面に着地した。
超強化のおかげか死にはしなかった。
意識もはっきりしている。
しかし、必死に起き上がって逃げようとするも、やはり体の自由が利かない。
そんな将斗の後ろから足音がした。
きっと雄矢のものだろう。一歩ずつ音が聞こえるたびに、将斗の恐怖が増していく。
さらに前からも、もう一人誰かの足音がした。
だが顔を動かせない将斗には、それがだれか確認することができなかった。
「客人にこれはどうなんだい? レヴィ?」
「は? あんたが考え無しに追っかけてて埒が明かないから手を貸してあげたんでしょうが!」
将斗の前から女の怒号が聞こえた。
と思うと、その女の声の主が近づいてきて、将斗の近くでしゃがみこんだ。
「ごめんねーお兄さん。手荒な真似して」
すると、将斗の意識とは関係なく、体が勝手に動き、地面から起き上がった。
起き上がったおかげで、将斗は目の前の人物を観察することができるようになった。
雄矢と同じくらい、整った顔立ちをしている。
その目は黄色。紫のロングドレスを纏っていた。
彼女は品定めでもするかのように将斗をまじまじと見つめてくる。
自由を奪われた状態でのそれは恐怖でしかなく。
将斗は
――終わった
それくらいしか考えることができなかった。
「さあ、こっちだよ。お兄さん」
彼女がそう言って指を振る。
すると将斗の体が勝手に歩き出し、ログハウスへと向かう。
彼は調子に乗っていた自分を思い出していた。
――……何がチョロいだ
そのまま、彼は何もできず、体を操られログハウスの中へ連れ込まれた。
どうして操られているのかさえ知ることもできないまま。
転生開始から1時間も経たずの出来事である。
1時間で彼が何かを為すことはなかった。
ただ、学べたことはある。
――『異世界はチョロくない』