第9話 何もしない/ep.1516 捜索
「どこだ!」
魔物が壁から這い出てくる中、男は1人叫び、駆け抜ける。
「どこなんだ!」
魔物など今は関係ない。構っている暇など男にはなかった。
――だが無視をしようにも、的確に進行方向を塞ぎ、邪魔をしてくる
「邪魔をっ」
男は飛び立ち、魔物のうち一体を狙い
「するな!!!」
その拳で撃ち抜いた。
岩壁に激突して破裂した死体を尻目にそのまま走り抜ける。
白峰竜次はそのまま次々現れる魔物を片っ端から叩き潰しながら、走り続けていた。
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「あ……」
黒煙の立ち込める壁。
ドラゴンから放たれた熱線の威力は凄まじいものだったと、深い亀裂が走る壁が物語る。
何が起きたのか。
理解できなくて、声がでない。
……いや、本当はわかっている。何が起きたのか、そして今どうなっているのか、すぐに想像できる。
ただし、それを認めたくなくて、将斗はその煙が晴れた時の風景を考えようとしなかった。
その時、手を握られていることを思い出して、ふとタマの方を見た。
「…………」
彼女は口を開けて、目を見開いて、煙の立ち込める壁を見続けていた。
「――っ?!」
そして彼女のその目が、再度見開かれるのを将斗は見逃さなかった。
――直後大聖堂が揺れた。
同時に爆発に似た大きな音がした。
音が鳴ったのは熱線が着弾したあの壁の方からだ。
今もまだ煙立ち込めていたあの壁の方向。
見上げると、ドラゴンがその壁に拳をめり込ませていた。
深々と。
それが引き抜かれた時、白い塊がこぼれ落ちた。
塊ではない。人の形をしている。
小さな。
「ぁ……」
白くて。
髪の長い。
少女が目を閉じて力なく落下する。
「ラ――!」
将斗が彼女の名を叫ぶのと同じタイミングで、再びドラゴンの漆黒の拳が壁を撃ち抜いた。
もう力尽きていたはずの少女に降り注いだ暴力に、将斗は声が出なかった。
しかもそれは、一回だけではなかった。
休むことなくドラゴンは拳を引き抜くともう片方の拳を壁に叩きつけた。
そして、それを繰り返し始めた。
ララが先ほど見せた蓮撃とは比べ物にならないスピードと威力で、ドラゴンは両方の拳を交互に放つ。
壁が耐えきれずにヒビを拡大させていく。
一撃入るごとに壁が、床が揺れ動く。
やがて、それを見ていた将斗の震えた手が隣の猫耳少女の肩を叩いていた。
「……なぁ、ララはもう……逃げてるんだよな? そう、だ、よな。どっか、別のさ、端っこんとこで……休んでるんだよな」
「……」
将斗は息をするのを忘れて、掠れた声でタマに聞いた。
彼女は何も言わなかった。
彼女もまた、唖然として、その光景を眺めていた。
将斗は目の前の光景を信じたくなかった。
昨日まで背中にいたあの小さな少女が、こんな仕打ちを受けているはずないと。
戦うこともできずに立っているだけの、こんな自分のために、彼女がそんな目に遭っているわけないと。
彼女はもう逃げて、休んでいて、ドラゴンは何もない壁を叩き続けているだけなのだと。
そう思い込みたかった。
「ああぁっ……」
しかし、将斗の目は、最悪のタイミングであの蓮撃の一コマを切り取った。
それはほんの一瞬だった。
でも見えてしまった。
こんなことなら見なければよかったと、将斗は目を見開いたまま思った。
――体のあちこちを赤く染めた小さな少女が、拳を受け、壁にぶつかって跳ね返る。
跳ね返った体をまた壁に押し潰していく。
そんな瞬間が見えてしまったのだ。
「やめろ……」
殴打が止まらない。
それを見て、何かが湧き上がってきた。
「やめろよ……」
殴打は止まらない。
頭が熱くなる。拳は握られ、足に力がこもる。
「やめろ……!」
止まらない。
「やめろおおおおお!」
叫び、将斗は駆け出した。しかし、その腕が引かれる。
「将斗!」
「っ離せ! ララが死んじまう!」
「行ってどうするの!」
タマが悲痛げな顔で、腕を握り続けていた。
異世界の人間だからか、その力は少女であっても強く、将斗の力では振り解けない。
「私たちの力じゃどうにもならない! 私たちみたいなのは後ろで隠れて待ってなきゃダメなの!」
「でも……あんなの見てられないだろ!」
「じゃあ将斗に何ができるの?! 変なスキルしか持ってないくせに! 私たちが行ったところで無駄死にするだけだよ!」
「だから待ってろってか? んなのできねぇ!」
将斗は思い切り腕を振って、タマの手を外した。
「俺は、何もしないことがどれだけ無駄かを知ってんだよ。ここで突っ立ってララを失ったら俺は……きっと……また後悔する」
ふいに『あの子』の顔が浮かぶ。
今まで、何もしなかった。してこなかった。する気がなかった。
そのせいで、出会うべきだったあの子とは出会えず。挙句の果てに死なせてしまった。
それを知った時、胸に生じたあの痛みは嘘ではない。夢ではない。
「俺が死ぬことより、他の誰かが死ぬことの方が辛くて耐えられない。特に知った仲とかだったら、もっと辛い」
「将斗……」
彼女の手が緩むのを将斗は見逃さなかった。
「私だってララを失いたくない! でも」
「タマは残っててくれていい」
将斗はもう片方の手で、自身の腕を掴むタマの手をゆっくり彼女の元へ返した。
「ただ俺は俺に納得したいだけだ」
ポケットに無造作に入れていたエアガンを引き抜いて、握りしめる。
プラスチックのような軽い素材でできているはずのそれは、なぜだか将斗に重みを感じさせてくる。
「……怖くないの」
「こえぇよ」
当たり前だろ、という顔でタマに告げた。
「でも何もしないでいる俺は死んだ方がマシだからさ」
その言葉によるタマの反応を見ないで、将斗は瓦礫の外へ飛び出した。
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将斗は瓦礫から飛び出すと走ってドラゴンに近づいていった。
こちらに気づいていないのか、無視しているのか、ララへの殴打は止んでおらず、耳を塞ぎたくなる音が響き続けている。
「どうせ叫んでも聞こえねぇだろ」
将斗は走って、ドラゴンを横から見える場所まで辿り着き、見上げる。
「だったら俺にできるのはこれくらいだ」
銃を構え、狙いを定める。
狙うは当然――
「目ん玉しかねぇな」
猫耳の仲間にゴミとまで言われたスキルを信じて、引き金を引いた。
パァン――壁を砕き続ける音に比べれば、小さく、反響すらしない音が鳴る。
将斗は銃の反動で生じた肩の痛みをさすって癒しながら、ドラゴンの反応を待った。
「……やっぱ使えるなこのスキル」
遥か上にある大きな目が一回瞬きをしたかと思うと、その瞳を将斗の方へ向けてきた。
その瞳の奥にある黒と目があった時、身震いがした。
殺気というものを初めて味わったのかもしれない。
「こいよ、トカゲ」
殴打が止まる。
体の大きさを考えれば、将斗の言葉は届いていないはず。
しかし偶然か、ドラゴンはゆっくりと将斗の方に体を向けてきた。
そして――
『――――――――――――ッッッッッ!!』
黒龍は拳を握りしめ天高く吼えた。
ビリビリと肌が震えて、痛むほどの声量。
その声から感じ取れる感情は怒りそのもの。
何度も息を吸い直して何回も吼えている。
弱者に水を刺されたのがそれほどプライドに触ったか。
そんなことを考え、顔をしかめながら、将斗はとある方向を見た。
――ララは……無事だといいけど
視界の端の、壁の穴に幼女が横たわっているのが見える。
無事なのかはここからでは判断できない。
だがあれだけの殴打を受けながらも、人の形を保てているのはさすがは魔人と言わざるを得ない。
将斗は彼女のためにも気張らねばと、ドラゴンを睨みつけて
「さあ、選手交――」
代。までは言えなかった。
――黒い鎧を纏った大きな拳が目の前まできていたのだ。
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「今のは……?」
竜次は足を止め、あたりを見回した。
息を抑えて、探った。
しかし、何もない。
「っ……どうする」
何もないことがわかった今、体は前に進もうとしている。
しかし、何かが足を引っ張ってうまく進まない。
「くっ……」
引っ張っているのは自身の心。
彼自身の心が進むことを拒んでいた。
何かが彼の心に引っかかりを残しているのだ。
「……どこなんだよ」
彼が握りしめたトランシーバーはまだ何も言わない。
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――なんだ
ゆっくり目を開けた将斗は、目の前にあり続ける拳に違和感を抱いた。
振り下ろされたところは見ていた上に、拳による風圧も受けた。
予想された結末は押しつぶされる自分。
しかし、将斗を叩き潰す前に止まってしまっていた。
「俺が、時を止めた……わけないよな」
呟いて、そのまま止まっていた。
逃げることも考えたが、あまりにも不自然すぎる。
「罠……? いや魔物が罠とかそんな思考回路お持ちか?」
訝しげに拳を眺める将斗。
するとドラゴンの拳が震えていることに気づいた。
その震えが大きくなるにつれて、拳が解かれていく。
すると急にその手が上に移動していった。
かと思うと
「おおおおおおいなんだ!? なんだ!?」
突如ドラゴンが仰向けに倒れたのだった。
その衝撃は凄まじく、体が浮くいたような気さえした。
倒れたドラゴンは、ビクビクと痙攣を繰り返し、なおかつ両手で喉の辺りを掻きむしっていた。
口の端から大量の涎を垂らし、目がこれ以上ないくらいに見開かれ血走っていた。
時折「カッ」や「グゥッ」という風なうめき声が発せられている。
その姿はまるで死ぬ寸前といった具合だ。
「一体何が……」
さっきまで暴力が形を為していたような存在が今や見る影もない。
足をばたつかせ、必死にもがいている。
惨めで、弱々しく、まるで飢えているかのような――
「飢え……?」
飢えている。
将斗は妙にそれが今のドラゴンの姿を表すのにしっくりくるように感じた。
なぜ急に飢え出したのか。
将斗には思い当たる節が一つあった。
その答えを確かめようと上を見上げる。
――赤く目を輝かせ、ドラゴンを見下ろす少女の姿がそこにあった。
他でもなく、暴食の魔人ことララが、ドラゴンによって壁に開けられた穴に立っていた。
服は至る所が破け落ち。何箇所かは赤く染まっていた。
痛々しくも見えるが、よく見ると傷はないようで至って無事。
彼女は二本足でしっかりと立っていた。
その彼女の目は比喩でなく、本当に赤く輝いている。
どういう原理でなのかは置いておいて、今は彼女のなんらかの力でドラゴンを追い詰めていると考えて間違いはないはずだ。
一方、ドラゴンはというと、もはや虫の息といった具合で、すでに喉を掻きむしっていた手が力なく地面に落ち、倒れていた。
まさかの大逆転でララが勝利を収めつつある。
将斗は安心する反面、懸念事項が浮かぶ。
――力使ったら消えちゃうんじゃなかったか
タマが言っていた、ララは力を使いきったら消えるという話。あれが引っかかっていて手放しに喜ぶことができなかった。
ドラゴンを追い詰めているその目は、明らかに彼女の『力』のはずだからだ。
「……そんなになってまで助けてくれるとか、おんぶのお返しにしちゃお釣りが来るレベルだろ」
身を削って自分を守ってくれている。
自分のことを無価値同然と思っている将斗からすればやめて欲しい、と言いたくなってしまう。しかし、ここでそれを否定するよりは、受け入れて感謝した方が良いと思って、将斗はそう呟いたのだ。
そして、なんだったら無限に背負ってやろうと思い、将斗は壁の穴に立っているララを早速迎え入れようと
「ララー!」
将斗は、感謝を伝えるために、彼女の名を呼んだ。
――その彼女が将斗の方を見るのと、伸びてきた黒い槍に貫かれ壁に叩きつけられたことはほぼ同時だった。
「は……?」
一瞬将斗はあっけに取られ動けなくなっていた。
突然現れた極太の黒い槍がララを巻き込んで壁に深々と突き立っている。
どこから伸びて来たのか、それを追っていくと、それがドラゴンの尻尾だということがわかった。
「ララ……?」
尻尾はゆっくり動くと、元来た方向へ戻っていく。
それが引き抜かれ終わった時、白い少女がゆらりと奥から出てくるのが見えた。
生きている。それは間違いない。
だが、その歩き方、雰囲気に生気がない。
ふらふらと、揺れている。
このままでは、彼女は真っ逆さまに落ちてしまう。そう見えた。
「っ!」
将斗は何も考えず、ただ穴の真下がけて走り出した。
運動しておけばよかったと、すぐに痛み出す肺を恨めしく思いながら、将斗は必死に走った。
『――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!」
視界が歪むほどの大音量が響き渡る。
これはまた、ドラゴンの咆哮だ。
将斗に撃たれた時とは比べられないほどの声量で叫び出したのだ。
大聖堂が震える。
将斗はその中で必死に意識を保ちながら走り続けた。
たった一人で自分を守ってくれた少女を救わねばならないからだ。
あと数十メートル。
「……クソッ!」
しかし、将斗は苦い思いを言葉に乗せて吐き捨てる。
地面が揺れている。
一定のリズムで。
――将斗はドラゴンが近づいてきているように思えた。
この振動は地面を踏み鳴らした時の音のはずだ。
その振動のせいか、ララはついにその体を崩し、落下を始めた。
「ララ!!」
助けなきゃ。その一心で将斗は走った。
しかし助ける方法は思いついていなかった。
彼女をキャッチしたところでどうするのだろうか。自分が無駄な怪我をするだけではないのか。
彼女にはドラゴンの連撃を耐える肉体がある。もしくは、即座に傷が治る力がある。
だから危険を冒してまで助けに行く必要はない。
だけど、そうじゃない。
そういうことではない。
ケルベロスの咆哮の際、彼女は苦悶の表情を見せていた。彼女にも苦痛を感じることがあるのだ。
将斗は落下死を体験したことがある。
あの苦しみを今彼女が受けようとしているのだ。
自分を守ってくれた彼女が。
これ以上苦しませるわけにはいかない、と将斗は足を前へ前へ進め――
「あああああああああああっ!!!」
積み重なった瓦礫の上から跳躍した。
手を目一杯に広げ、落下してくる少女を迎え入れる。
「がっ………!!」
腕が触れた温もりを離すまいと、すぐに引き寄せる。
何度も背中で感じた重みが手の中にあった。
跳躍した場所と彼女の落下地点と合致したのは奇跡に近い。
――マズい
しかし、落下のエネルギーは消えない。
彼女の身体を抱えたことで将斗は彼女ごと地面に引き寄せられる。
将斗は咄嗟に彼女をきつく抱きしめ、身体を振って、その身を地面とララの間に入り込ませた。
彼女だけでもなんとか助かって欲しい。そういう思いで。
目を閉じ――
「え?」
閉じる前に視界が急速に回転を始めた。
落下によるものというよりは、人為的な回転の仕方。
体重移動による回転。
将斗は一瞬の間に起きるそれを理解できなかった。
勝手に身体が動いてそれを実現していた。
――なんだこれ
考える間もなく、地面はもう目の前。
「ぐっ……んっ! っつつ!」
体が地面に何度も衝突する。
ドラゴンによって破壊され積み上がった壁の瓦礫が坂になってくれたおかげで激突は免れた。
だがそれに加えて、うまいこと回転して衝撃を逃しているのは将斗の身体だ。
勝手に動く身体が衝撃を和らげる助けをしていた。
やがて将斗たちは、その転がる速度を緩めていき、止まった。
「っくはぁ。すげぇ、生きてる」
坂を転がり落ち、衝撃を逃した将斗の体は、あちこちが擦りむいてしまっているが、致命傷となりうる傷は一つもなかった。
「運良すぎる。凄ぇ俺。どうよ今の……って寝てるし」
ララは将斗の腕の中で寝息を立てていた。
血が流れているが、安らかな寝顔をしていた。
あれだけの落下をしておきながら、そしてそれを受け止めながら、2人とも無事とはやはり運がいい。
――スキルの『受け身』ってやつが発動してたのか
意思に反した体重移動だったために、将斗はそう考察した。
その思考を地面の揺れが停止させる。
ドラゴンがすぐそこに。
「え?」
来ていなかった。
奴は先程倒れた場所で立ち上がって叫んでいるだけで、一歩も動いていない。
しかし、大聖堂は振動している。
何度も、何度も、大きな衝撃が与えられている音がする。
――この揺れは一体。
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タマは一部始終を瓦礫の影から心配そうに見つめていた。
ララを抱えて動く将斗を見て、無事だと分かると胸を撫で下ろした。
その反面、ドラゴンがまた動き始めている。このままでは将斗たちが危ない。
なにかしようとリュックに手を伸ばす。
しかし、途中で止まった。
―― 俺は、何もしないことがどれだけ無駄かを知ってんだよ
そう言って出て行く将斗の姿が、タマの頭をよぎる。
「私だって……わかってるにゃ。でも……」
呟いて、目線を足元に落とし、伸ばした手も下げた。
――お前は何もするな
かつて、彼女は竜次にそう言われた。
その言葉をどういう意図で言ったのか、あの時聞けなかったせいで、今ではわからない。
それでも彼女は、何か意味があると信じてその言葉に従い続けていた。
「あっ……」
ドラゴンが動き出しそうだ。
将斗はララを確認しているのか気づいていない。
瓦礫に触れている手に力が入る。
「ララ、将斗……気づいてよ」
彼女は助けに行くか迷った。
身体は前のめりになっているが、竜次の言葉が重みになって、最初の一歩が踏み出せなかった。
――お前は何もするな
「……あんなこと言うなら、なんとかしてよ竜次」
体勢を戻して、そう呟いた。
『待ってろ』
「えっ?」
竜次の声がして、タマは下げていた耳を立てた。
その声がしたのはリュックの中。
タマはあることに気付いて、リュックを漁った。
――中から、何回も音割れする音を響かせるトランシーバーが出てきた。
「この音……そういえばさっきから」
タマは周囲を見回した。
大聖堂の揺れはタマも気付いていた。
ドラゴンが立ってから動いていないのに何故鳴り続けているのか。ようやく理解した。
「この音、竜次が――」
その瞬間、頭上からガラスが砕け散る音が響く。
見上げるとそこには――
「竜次!」
タマは思わず叫んだ。
眼帯を外した、白峰竜次がステンドグラスの破片とともに舞い降りてきていた。
その目は怒りに満ちていて、足下のドラゴンを睨んでいた。