第2話 白峰竜次/ep.1511 プラスワン
先に言います。2章終わるまで見逃してください。
――生きて
「うわあぁあああぁっ!!」
将斗は情けない叫び声をあげて、右手側へ飛び退いた。
すぐ横を巨大な顎が通り過ぎていく。
将斗が立っていた地面がその顎に沿って粗く削り取られていた。
「し、死ぬとこだった。神回避。最高」
震えた声で恐怖を払うようにたわ言を吐く。
ケルベロスが吠えた時、指の一本も動せない感覚が将斗を襲っていたが、寸前で回避が間に合った。もしかしたら今頃ミンチになっていた可能性だってある。そうならなかったのは他ならぬ、『あの子』のおかげなのかもしれないと将斗は思った。
見上げるとケルベロスの真ん中の頭が顎を何度も噛み合わせていた。ゴリゴリと岩を砕く音がする。
まるで何かを探しているかのように、砕いた岩を口の端から器用にこぼしている。
何を探しているかなんてわかりきっていた。
「今のうちに逃げ……無理か」
将斗が逃げようとすると、左右の頭の目が逃がすまいと捉えてくる。
真ん中の頭も口の中に将斗がいないことにようやく気づいたのか唸り声を上げ始める。
そして再度、真ん中の大顎が大きく開き迫ってきた。
「――――っ!!!」
再度飛び退いて回避。
また地面だけを削って大顎が通り過ぎる。
硬い地面に体のあちこちがぶつかり鈍い痛みが生じる。手のひらからは血が出ている。
咄嗟に受け身など取れるはずもない。
――体が重すぎる。なんだこれ
違う。今の回避は受け身が取れる前提での跳躍だった。
できると思ってやったのだ。
原因は他ならぬ『超強化』が無くなったためだ。三日間、超人的な肉体を与えられたために将斗の脳は実際の自分の体の能力を誤認していたのだ。
だが無いものねだりをしても仕方がない。
「逃げるしかないよな!」
将斗は痛みを堪えて一目散に反対側へ走り出した。
「「「――――!!!!」」」
咆哮を上げ、洞窟全体を震わせながら黒い巨体が将斗の後ろから迫ってくる。
「――くっ!!」
岩の窪みに足を取られそうになる。足場が悪い。
もし足を捻ればその時点で負けは確定する。
細心の注意を払いつつ、全力で駆け抜ける。
「はっ、はぁっ! はぁっ!」
肺が悲鳴を上げている。息苦しい。
走るのはこんなにも辛いことなのかと将斗は絶望しかけるが
――俺が運動しなさすぎたツケをこんなところで払わせんな犬畜生!
悪いのは過去の自分だと認め、ひたすら足を前へ前へ進める。
息も絶え絶えだが、後ろの様子を見ようと将斗は振り返る。
ケルベロスはまだ将斗に追いついていなかった。
――っ!? こいつ
将斗は目を見開いた。
そう、ケルベロスはその巨大な足を持ちながら、まだ追いつかないのだ。
――遊んでやがる!
明らかに緩い足取り。
だが巨体を支えるその足を大股に開くことで距離を稼いで、将斗を追ってきていた。
犬の顔の形によるものか口角が上がって見えたことで、必死に逃げる小動物を見て嘲笑っていると将斗に思わせた。
だからと言って止まるわけにはいかず、将斗は走り続けるしかない。
――走ってるだけじゃ無理だ。どうやって逃げ切る。考えろ。考え……そうだスキルを、ランダムで良いスキルを!
思いついた途端にステータスウィンドウを出すために指を振ろうとした。その時――
ズンと地響きを立てて将斗の前に何かが現れた。
将斗はそれに唖然とし、立ち止まった。
見上げるほど大きいそれは六つの赤い目で上から将斗を見下ろしていた。
「二匹目……」
ケルベロスだ。
振り返っても、ケルベロス。
何度見返しても変わらない。
瞬間移動だとか高速移動ではなく、二匹目が現れたのだ。
「マジかよ……」
ボタボタと地面に涎を垂らしながら前後からケルベロスがにじり寄って来る。
将斗は何度も前後を見返して、策を練る。
だが打開策がまるで浮かばない。
「どうすんだよマジで……」
震えながら呟く。
巨獣の接近は止まらない。
「――ッ」
片側のケルベロスは唸りながら頭を少し後ろに引いた。
次の行動を悟って将斗は構えた。
案の定ケルベロスがその口を開いて迫ってきた。
将斗はそれに合わせて回避行動をとる。
はずだった。
――速い?!
二匹目のそれは一匹目のそれより遥かに速い。
避けることは絶対に不可能の速さ。
急激にスローになる視界。
死の直前、どうにか生きる術を探そうと脳が活発になっているのだ。
だがそれは、逃れようのない現実を突きつけて来るだけだった。
簡単に削り取られていく岩石と同じように、将斗もあれに削り取られ噛み砕かれる。その未来が見えてしまう。
絶望が視界を埋め尽くしていた。
――え……?
その視界の中に突如白い物体が現れる。
――女の子……?
その白い物体は少女だった。
白い服に白い髪の白い肌の少女。ただしその目は赤い。白だけの体に唯一の赤、その部分に目が惹かれる。
すると突然彼女は高速に回転したかと思うと、その勢いを全てその裸足に乗せ、ケルベロスの頭をぶち抜いた。
あの巨体は軽々と壁に叩きつけられ崩れ落ちる。
衝撃で壁に亀裂が走り抜け、叩きつけられた衝撃で天井から無数の岩が落ちてくる。
その一つに潰されそうになり、将斗は頭を抱えてしゃがみこんだ。
だがその岩も少女がその脚で粉砕した。
唖然とする将斗の目の前に少女が着地する。
「……大丈夫?」
そう言って少女が将斗の顔を覗き込んでくる。赤い目がじっと将斗を捉えている。
近づいたことで分かったが、少女の服装は白い布切れを適当に体に巻きつけているだけだった。
手足は細く、とてもじゃないがケルベロスを壁に叩きつける者の体には見えない。
「だ、大丈夫だけど……」
将斗は何が何だかわからず、言葉を詰まらせた。
「おーーーーい!」
その時、少女が現れたその奥から誰かが走って来ていた。
人数は二人。
片方は白髪に眼帯をしている長身の男。黒いロングコートを羽織っている。
もう一人は――
「なん……だと……?!」
将斗はあからさまなくらい驚いた。
近づくにつれ女性だとわかった。
だが性別なんてどうでもいい。
驚く理由は別のところにある。
――頭から耳が生えていたのだ。猫のような耳が。
「ララってば! 迷子になるから勝手に離れたらダメって教えたはずにゃ!」
「ごめん……」
語尾には「にゃ」ときた。
これはもうアレしかない。
「猫耳美少女だ……!」
獣人。猫や犬やらが人間の姿をした存在で、そういうキャラは異世界モノでは珍しくない。
将斗はせっかくの異世界だから会ってみたいとは思っていたがまさかこんな殺伐とした場所で出会うとは思っていなかったため、驚きを隠せない。
オレンジ色の目に、茶色の髪の毛。大きなリュックを背負っていて、たまに八重歯がチラリと見える。
――かわいい
純粋にそう思う将斗。彼女を一目見た瞬間から将斗の中で興味が湧いて止まらない。
まず早速その頭の耳がどうなっているのかと、本来人間の耳がある部分はどうなっているのかを聞こうとして身を乗り出す。
だがその将斗の胸ぐらを眼帯の男が掴んできた。
緑色の右目が将斗を睨みつけてくる。
「その格好……まさか日本人か?」
「えっ?!」
日本という言葉を言われるとは思っていなかったため、将斗は呆気に取られた。
将斗はその時、男の頬に謎の模様がついていることに気づいた。
――模様……? それに、日本?
混乱する将斗に、男が次の言葉を語ろうとした時、洞窟を震わせる咆哮がまたもや響く。
ケルベロスはもう一体いるのだ。
「リュージ、どうする? もう一体いるんだけどにゃ……」
猫耳美少女が目の前の男を呼んだ。
将斗はその名前に目を丸くした。
男はというよ、ため息をついて黒いコートから片腕を出した。
それを見て将斗は息を飲んだ。
腕が真っ赤に染まっていたのだ。
ただしよく見ると、それは本物の腕ではないことだとわかる。
色々な配線が繋がっているのだ。それに肌の質感も人間のそれではない。金属のような何かだ。
要するにあれは義手だ。
「『高速詠唱』」
男がそう呟いた。
その瞬間男の言葉が早送りになったかのように加速しだす。
何かをひたすら唱えているが全く聞き取れない。
数秒後、男は唱えるのをやめたかと思うと、目にも止まらぬ速さで跳躍した。
見上げると既に天井に到達した彼が立っていて
「憤怒の腕」
そう男が叫ぶ。
瞬間、将斗は何かが彼の右腕に集まっていくのを感じた。
男の右腕が赤く輝き出す。
そして男は天井を蹴りケルベロスへ一直線で迫った。
口を開けて待つケルベロス。
男はその鼻目掛けて、雄叫びを上げながら右腕の拳を叩き込んだ。
――するとケルベロスが爆発した。
吹き飛ばされそうな衝撃に、将斗は地面にしがみつく。
肉片が飛び散り、血生臭さをあたりに広める。
あの巨獣の姿は跡形もない。
大地はひび割れ、一面が赤く染まり、あの一撃の威力をもの語る。
男が歩いて戻ってくる。その肩は上下に大きく震えていて、目は血走っていてまるで怒りに燃えているように見えた。
しかし、男は近くまで来ると
「怠惰の心」
と唱えた。
すると彼の息づかいが穏やかになっていった。
何が起きたかわからないでいる将斗はただそこに留まっていた。
男に猫耳美少女が走って近づく
「さすがリュージにゃ」
「バカ猫。抱きつくんじゃねぇ」
猫耳美少女に抱きつかれると、男はそれを嫌がり払い除けた。
そのやりとりを見ながら、将斗は冷や汗をかいていた。
というのも、男の頬には謎の模様があり、そして『リュージ』と呼ばれている。
その特徴と名前、思い当たるのは神の話に出たあの男。
そう、この男はあの白峰竜次なのではないかと思ったのだ。
スキルを奪う対象の、あの男だ。
そして同時に将斗はケルベロスの残骸を見て
――こんなのに勝てるわけない
そう思うのだった。
――雄矢の時みたいに間違っててくれ
そうやって半笑いで絶望しかけている将斗を、白い少女が横からじっと見つめていた。




