第19話 飛来する炎塊/359話 当然の優勢
――空から、数十、数百の燃え盛る火球が落ちてきていた。
流星群のようなそれらは全て、ファング王国内目掛けて落下してきていた。
燃え盛る炎塊の群れが黒い夜空を赤く染める。
「……どうすんだよこれ……グレン?」
将斗はあまりの光景に愕然とし、グレンの方を見た。
彼は拳を握り締め、数多の火球によって橙色に彩られた天の奥、睨みつけていた。
そして――
「レヴィッ!!」
近くにいる将斗を震えさせるほど、大きな声で仲間の魔女の名を呼んだ。
『わかってる!!!』
――返事が聞こえた瞬間、空が歪んだ。
よく見るとそれは、突如現れた薄い膜によって光が屈折することで起きていた。
それはレヴィの『魔法障壁』だった。
障壁は王国全体の空を覆っていて、落ちてきた隕石はそれに当たるなり、消えていく――はずだった。
『嘘?! 消えない……っ』
魔法越しに彼女の驚愕の声が聞こえた。
二つ目に落ちてきた隕石は障壁に当たってもサイズが小さくなるだけで、完全には消滅せずに、通り抜けそのまま落下し
――そしてそのまま王国内に着弾した。
瞬間、耳を塞ぎたくなるくらいの轟音が鳴り響く。
王国内を反響し、響き渡るその音が、小さくなってもなおその威力が大きいということを知らしめてくる。
『……グレン! 全体を守るのは無理! この範囲で魔法障壁を展開すると効果が薄くなる! 守り切れない! 国のどこか一部は諦めないと無理!』
魔法越しに聞こえるレヴィの声には悔しさがこもっていた。
魔法の完全無効化ができるはずだったその魔法は、広げた範囲が広い程効果が薄れることが今、判明したのだった。
規模を縮小させるしかないと将斗が思ったその時、彼の視界に何かが映った。
「は……?」
将斗は目を疑い、辺りを見回して、そして青ざめた。
「嘘だろ……?」
「どうした?」
グレンが怒りを宿した目のまま将斗の方を向いた。
「あれ……」
将斗の指差した先、立ち並ぶ建物、その窓に人が立っていた。
どの建物の窓にもそれはいて、老若男女問わず立っている。
そして全員空を見上げていた。
まるで、広場の民衆と同じように、誰一人逃げようとせずにそこにいた。
将斗は声を絞り出して言う。
「屋内の人間も、洗脳魔法の対象になってるだろ……これ」
城の前の広場にはかなりの数の人が立っている。
ただ、流石に将斗は全国民がそこにいるとは思っていない。
操られた一部の人間がそこにいるのだと思っていた。
しかし、この現状を見るに、広場にいない人間も操られていることがわかる。
「つまり……彼は、全国民を巻き添えに……っ!? 彼はッ……どこまでっ!!」
グレンが空を見上げる。
その目ははるか上空を飛んでいる男を睨みつけていた。
そして、やがてグレンは魔法越しにレヴィに話しかけた。
「レヴィ、魔法の規模を縮小しろ……」
『……じゃあ、障壁がない場所にいる人たちはどうするの……? もしかして……』
レヴィと同様に将斗もグレンの発言に驚く。
規模を縮小するということは、一部を諦めるということ。
……すなわちその一部にいる人々は諦めるということになる。
しかし、グレンはまだ言葉を続けた。
「いや、諦めない。僕が、障壁のない部分を引き受ける」
グレンが黒剣を握り締めた。
「それならどうだ?」
『で、でも、じきにアンタは浮遊が使えなくなるでしょ? まさか屋根伝いに走り回るつもり?』
「そうだ」
『正気?! あいつは隕石を無限に落としてくるわ。体力が尽きるのが先よ!』
「それでも! 国民を守り抜くのが王の使命だ! 誰一人の命も諦めるわけにはいかない!」
将斗はその声から、民衆の上に立つ者のとしての責任感や覚悟を感じた。
「……わかった。私たちの隠れ家の森は流石に諦めましょう。アンタは国の東側をよろしく。そこの分がないだけでも十分障壁の効果が出せる」
「ああ、わかった。俺がそこに着くまでは待っててくれ」
「グレン!」
将斗が、駆けだそうとしたグレンを呼び止めた。
「俺は何をすれば……?」
「君は……ここにいるといい」
ここにいるといい。
それは戦いに参加するなという意味と捉え、将斗は驚いた。
「え……いやまだ俺は……っ?!」
まだ動ける、とそう言って、手を伸ばし、そして立ち上がろうとした瞬間、将斗は気づいた。
膝に力が入らない。
手も今までの震えとは比べ物にならないくらい震えていた。
視界を奪われた状態での落下は、将斗を動けなくなるまで恐怖させたのだった。
血が巡ってないかのように、神経が通っていないかのように、将斗の体はもう言うことを聞かない。
将斗がそういう状態にあることをグレンは見抜いていたのだった。
「そんな……待ってくれまだ俺」
『グレン早く!』
歪んだ空間に火球が当たるたびに消えていく。
しかし一部、消えきれずに通り抜け国に落ちる。
数回の爆発音が聞こえた。
国の数ヶ所で火の手が上がっているのが見える。
そこに大量の水が飛んでいき、一気に消した。
その水は魔法障壁を展開しながらレヴィが放った魔法だった。
しかし火が点く度に消火するのを繰り返すわけにはいかない。
ここでグレンを呼び止めていては被害が拡大する。
将斗は伸ばした手を降ろした。
「いや、いい……行ってくれ」
将斗がそう言うと、グレンは何も言わずに走っていった。
将斗はただ一人、頭上で火球が消える様子を眺めていた
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数分が経った。
将斗は未だ動けずにいた。
空では多くの火球が消されていくのが見える。
それでもなお、降り注ぐ火球の数は減っているようには見えない。
視線を降ろした奥の方ではグレンが屋根伝いに駆け回り火球を斬る姿が見えた。
彼は浮遊がもう使えないらしく、斬った火球の威力を受け止める方法がない。それにより、斬るたびに彼の体が下方向に吹き飛ばされる。
屋根や壁に脚をかけてその威力を受け止めているが、そのたびに漏れてくる彼の息遣いが、レヴィの魔法越しに将斗に届いていた。
レヴィの魔法は無限ではない。
グレンの体力も無限ではない。
限界のある守りで無限の攻撃を受けているこの状況はあまりにも不利で、将斗たちが追い詰められているのは明らかだった。
「………くそっ」
何もできずにただ見ている将斗は、どれだけ動こうとしても一向に動こうとしない自分の脚を叩いた。
しかし、腕にも力が入りづらく、痛みは生まれなかった。
唯一あるのはグレンたちを見続けようとして立ち膝の姿勢をとっていたせいで起きた膝の痛みだけだった。
――なんで動かねぇんだ。死ぬ思いなら何回もしただろ。それの中の一つだろうが。なんの違いがあるんだよ。もう終わってんだぞ。いつまで怖がってんだよ。
将斗は心の中で、自分にそう言い聞かせる。
しかし、脚は動かない。
立ち上がることができない。
――でも……動けてどうする。グレンみたいに走り回って火球斬るか? 結局それじゃいつか力尽きて……
将斗は力を無くしたかのように腕を降ろした。
このまま何もできずにいた方が楽だというかのように。
必死に考えていた。勝つ方法を。
しかしどれだけ考えても、雄矢に勝つ方法は見つからなかった。
彼はただ足掻いて勝てる相手ではない、と思った。
先の空中戦。将斗が光球を受けずに、目を塞ぐなどして堪えていればまだチャンスがあったかもしれなかった。
しかしそれは過ぎた話。
もうそんなチャンスのある状況をここから作ることはできなかった。
将斗は奥歯をかみしめた。
――その時、建物が破壊される音が聞こえた。
そして同時に――
『ぐぁぁっ!!』
グレンの叫び声が、魔法越しに聞こえた。
将斗はグレンの方を向いた。
見るとその方向にある建物の一つに、何かが衝突してできた穴が開いていた。
その中から赤髪を振り乱した青年が飛び出てきて、付近に落ちてきていた火球を斬った。
そのまま青年の体は火球の勢いによって飛ばされ、近くの建物に叩きつけられる。
そんな彼の腕や額から、血が流れているのが、一瞬見えた。
将斗はそれを見て息が詰まった。
どうしようもないこの状況で、傷つこうとめ未だ諦めない王の姿を見て、何も感じないわけがなかった。
――あぶねぇ……なんで落ち込んでんだ俺。なんで諦めようとしてんだ俺。バカかよ……まだ、あんなになって戦ってるやつがいんのに諦めんのか? 少しでも動け。牢屋で諦めないって言ったのは誰だ? 俺だろうがよ!
今グレンを動かしているのは何か、将斗にはわからない。
しかし、牢屋で彼を動くよう焚きつけたのは将斗だった。
自分から大口を叩いておいて、その自分が動かないわけにはいかないと将斗は自信を奮い立たせる。
そして、どうにか立ち上がろうと、震える脚に力を込めた。
――動け動け動け動け動け動け!!!!
しかし、その脚は上がらない。
何度も動けと念じるが、死に怖がった身体は言うことを聞かない。
――………………だったら
将斗は空中で二回指を振る。
現れたステータスウィンドウの表示される青いゲージ――魔力の残量を見た。
魔力の残量……四分の一。
浮遊を使えば、強制的に『動く』ことができる。
それを踏まえ将斗は必死に考えた。
グレンとレヴィが動けないこの状況で、隕石が止まらないこの状況で、自分ができることは何かと。
何かできるはずだと。
無力な自分ができる範囲で、この状況を変えられる方法を考えて、考えて考えて、その果てで一つの策を思いつき、将斗は顔を上げた。
「レヴィ? 聞こえるか?」
『何!』
火球から国を守るのに必死なのか、レヴィの声は荒いものだった。
長々と話せば障壁の展開の妨げになるだろうと、将斗は結論から述べた。
「俺今から、ユウヤのとこに行ってくる」
『は?! 何言ってんの。無茶すぎる! 落ちてきても助けられないわよ!』
「その辺は気をつける、絶対。ちゃんと魔力の残量も把握してるし大丈夫だ」
『大丈夫って……そもそも何するつもりなの? 何かしなきゃって気持ちで、ただ行くだけなら本当にやめて』
「違う、目的はちゃんとある。隕石の供給を止めさせる」
『どうやって……』
「俺はあいつのスキルを奪える。そんな俺という存在をあいつが無視できるわけない」
『つまり……囮になるってこと? そんなの』
「グレンはどう思う?」
否定的なレヴィの言葉の途中で将斗はグレンに問いかけた。
『無茶だ』
「……知ってる、だけど、この状況を打開できるのはこれくらいしかないだろ」
『……』
「使えるものは使っとけ。王様」
かの王の信条を将斗が使うと、グレンは少しの間沈黙した。
そして――
『……落ちてきたら僕が必ず助ける……だから、頼んだぞ』
将斗は笑った。
まだまだ力になれることが嬉しかったからだ。
「任せろ!」
将斗は大きく返事をして、一気に空へ飛び立った。
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「落ちたりしないでよ……」
レヴィは魔法障壁を操りながら、隕石をうまく避けつつ上昇していく将斗を眺めていた。
「……」
眺めながら彼女は、腑に落ちないという顔をしていた。
彼女が今考えているのは、将斗の、今と、これまでの行動についてだ。
――どうして、将斗はあんなになっても戦おうとするの?
レヴィは将斗の戦う理由が分からなかった。
牢屋で言っていたのは、仲間にしてくれたことへの恩返し。
彼女はそこがどうしてもしっくりこなかった。
――本当にそれだけなのかな……
将斗にはもっと他に戦う理由があるんじゃないかとレヴィは思っていた。
『神様の命令だから』だとか、『鈴木雄矢が許せないという純粋な正義感があるから』だとかそういうものではない、別の何かがあると。
――魔力操作も器用。交換による視界の切り替えにも対応できる……本当に雄矢と同じ世界出身?…………やめやめ、私の悪いところだわ。気になるとすぐにこうなる……
レヴィの探求心が将斗と言う存在に惹かれ始めていた。
大した力もないのに、理不尽な存在に抗おうとする彼に。
しかし、今はそれどころではない。
魔力障壁を展開するのには緻密な魔力操作が必須であり、それは一歩も動けなくなるくらいの集中力を要する。
将斗ついて考えるのは今はやめておかなければならない。
――それでもやっぱり気になるのよね……特に、あの時……
あの時。
レヴィが過去の話をしている時だ。
その中でも、ユウヤがアリスを手に掛けた辺りを話していた時のこと。
――グレンは他人の気持ちがわかる良い人って捉えていたけど……
その時のことをレヴィは何度も思い返していた。
あの時――話の中でアリスの命が終わりを迎えた時、将斗はそれまで覇気のなかった瞳を鋭くさせ殺意と憎悪の混じったものへと変貌させていた。
あの話の中に彼はいなかった。
彼の知っている人間もいなかったはず。
しかしあれは、とても自分と関係ない他人の話を聞いている人間ができる表情ではなかった。
ただ殺意と憎悪だけでなく、哀愁の様なものもレヴィは感じ取っていた。
だからこそ、彼女には彼が理解できない。
――あれは……一体何なの?
そう心の中で問いかけ見つめた背中は、何も答えない。
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鈴木雄矢は天高く手を挙げ、その手から人間大、もしくはそれ以上の大きさの火球を連発していた。
空気を焼く低い音を響かせて火球は次々と天に昇っていく。
そして落下してきた火球が王国に落ちる様を、雄矢は笑って眺めている。
その様子を将斗は雄矢と同じ高さに浮いて見ていた。
将斗が地上から浮遊を使い上昇してきた際、雄矢は将斗を一瞬見たが何もしてこなかった。
今もまだ何もしてこないが、急に魔法を放ってくる可能性を考え、将斗は迂闊に近づけない。
「……よう、腰抜け。さっきは落ちて死んだと思ったが生きてたんだな?」
将斗が雄矢の気を引くための台詞を考えていると、彼の方から話しかけてきた。
若干の距離があるため、声を張っている。
そんな彼の目は将斗を見ていなかった。
ずっと下を見ている。
そのまま雄矢は話し続けた。
「お前が落ちてくれたおかげで有利な盤面になったわ。礼でもしてやろうか? アハハッ」
そう言いながら、下卑た笑いを浮かべている。
やはりその間も将斗には目もくれない。
「礼?……じゃあその隕石を止めてくれよ」
「バカかお前。何素直に受け取ってんだよ」
雄矢は嘲るように笑った。
彼が笑うたびに、将斗は胸の奥で怒りに似た感情が生まれる。
「……だったらせめて関係ない人々を巻き込むのをやめ――」
「いーやーだーねー!」
言い切る前に雄矢は首だけを回して、将斗の方を見てきた。
見開いたままの、正気でないようなその目に見つめられ、将斗は不快感を覚えた。
「あいつらを巻き込めば元王子もレヴィも必死になるだろ? だけど必死になったところで俺には勝てない。その果てで痛感させてやるのさ。俺の力は次元が違うってな」
火球をその手から放ちながら、雄矢は語り続ける。
「……スカッッ!とすんだよなぁ、ああいう人のことを舐めてるやつらが必死になってるところを見るとさ」
つまり国民を巻き込んでいるのは、たった二人を絶望させるためだけ。
そんなもののために人の命を使う雄矢に、将斗は憤りが湧いた。
「お前……人の命を何だと思ってんだ。罪悪感とか、そういうのはないのかよ」
「罪悪感? そうだなぁ……ないわ」
雄矢は言葉を濁すこともなく、そう言った。
淡々と。
将斗の瞼がピクリと動く。
今雄矢に抱いた不快感によってほんの少し思考を乱され、将斗は次の言葉を探すのに時間がかかった。
あくまで、ここでは彼を倒すのではなく、囮として彼の気を引くこと。
増え続ける隕石の供給を止めつつ、まだ天を目指し飛んでいる隕石が落ちきるまでの時間を稼ぐことが理想だった。
そのためには、できる限り魔力を温存することが望ましい。
だからこそ、ここで怒って冷静さを失うのは良くない。
かといって逆に雄矢を怒らせるのも良くはない
将斗は慎重に言葉を探し続けた。
しかし、先に発言したのは雄矢だった。
彼の次の言葉は、将斗を怒らせるのには十分だった。
「だって俺、転生者だし」
「………は?」