一つの終わり
何もない荒野に女が立っている。
身動き一つせず、彼女はただ目の前の光景を見続けていた。
「は……ははは。そうか……あははははははっ! これがっ! これが君の選択か!」
女の視線の先には二人の男。
一人は膝をつき相手を見て嗤っていた。
狂笑する男は肩から血が出ているのを抑えながら、向かい合う相手を心から畏怖し、嫌悪しているかのような目で見ていた。
だがその目は同時に、感動ともいえる輝きも有していた。
「あぁ……素晴らしいよ。君を追い詰めた甲斐があった」
高らかに賞賛しているかのような口調で、男は乾いた拍手を贈る。
やがて男はフラフラと立ち上がると、何かを呟く。
すると一瞬の輝きとともに男の傷が癒え、染み付いて広がっていたはずの血の跡も綺麗さっぱりと無くなった。
「ふぅ。しかし、一人の感情で世界を終わらせてみせるか……アハッ……なんて人間らしいんだ」
男が向かい合った存在は何も言わなかった。
それはただそこに居続けていた。
「本当に想定外だったよ。そんな想いの力に、語り継がれる英雄も即席の転生者も敵わないとは。挙句、このボクにまで届くなんてね……いいものを見させてもらったよ。この現象については考察しがいがある。当分は退屈しなさそうだ」
そう言って男は立ち上がると
「もう聞こえてはいないんだろうがね」
男の目の前の存在は何も言わない。
――そもそも、その全身を黒一色に塗りつぶされたその存在が意思疎通の図れる存在なのかは定かではないのだが。
黒一色。この存在をそう表現する以外どうすればいいのだろうか。
全てが黒に染まっていて、わかるのは人型であることくらいか。人であったとしても、そこにあるべき口や目や鼻などの部分が何も見当たらない。
もはやその形さえおぼろげで、たまたま人の形をしているかのように見えているだけなのかもしれない。
――違う。彼は人間よ……
黒い存在を知るこの女は、すぐさま己の考えを否定した。
しかしそうは思いつつも、記憶の中の彼と、目の前にいる存在とを一致させることができない。
なぜなら、
――だけど、彼がこんなことを選ぶはずがない
そう思ってしまったのだ。
だから彼とあの存在は全くの別物。
それは真実か、それとも彼女の願望か。
何にせよ、どうしても女は彼とあの存在を重ね合わせることができなかった。
「さて」
その言葉とともに鳴り響いていた渇いた拍手がやがてその速度を落としていく、
「また会う時があれば、こちらも本気で応対してあげよう。だがまあまずは、人間の器でそれを耐えられるかどうかにかかっているけどね」
拍手をやめた男はそう言ったのち一瞬にして消えた。
姿形は、もはやどこにもない。
「……」
男が消えても、黒い存在は何も言わなかった。
しかし一瞬頭のように見える部分が、首を持ち上げるかのように動く。
そして、その腕であろう部分をゆっくりと持ち上げ始めた。
黒き存在はやがて体の前で両手の側面同士を合わせると、まるで何かを掬うかのように構えた。
――するとその両手の上に小さな光の球が現れる。
本当に小さな消えてしまいそうな球だ。
初めはその程度だった。
だが次第にその球は徐々に大きくなり始めていた。
やがてそれがソフトボールくらいの大きさになった時、彼は上下からその手で挟み込んで押し潰した。
「……ぁ」
そこで女は彼が何をしているのか理解した。
そしてすぐさま彼女は何かを唱えた。
「……」
黒い存在は何も言わないままだ。
静寂の中黒い存在を中心に風が発生する。
その風はますます威力を増し、退治していた女の髪を強く靡かせる。
すると黒い存在は掌を開いた。
少しずつ。
少しずつ。
そうして手の間に隙間が生まれた。
それと同時に――
「……見捨てたりしませんから。だから……今はどうか……」
女は俯きそう言うと、その姿が笑っていた男と同じように跡形もなく消え去った。
一人残された黒い存在はその手を一気に開いた。
――閃光が迸る。
手の中で凝縮されていた球体のエネルギーが爆発し始め、急速に拡大し、全てを飲み込んでいく。
その物質が何なのかは誰にも分からない。未知の物質か。それともただの光なのか。
世界が白く染まっていく。
やがて、光が薄れていくと、あたりは漆黒に染まった。
そこに光はない。
大地もない。
音もしない。
匂いもない。
何もない。
何も。
だから黒い。
暗い。
世界は瞬く間にその在り方を変えてしまった。
何もない、無が支配する空間へと変化した。
ここにはもう何もない。
この世界は崩壊を迎えたのだ。
たった1人の人間によって――