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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

浮き世の寝覚め

作者: 小城

 今は東照大権現と言われています家康公が、まだ、駿府に住んでいた頃。大坂の土地で、豊国大明神と言われた豊臣秀吉の遺児が謀反を起こしたときがありました。それを知った家康公は日の本中の軍兵を集めて、遺児秀頼が籠もる大坂の城へ攻め込みました。これは、そのときのお話しにございます。

 慶長二十年の夏、堀を埋められて、裸城となった大坂城を捨てて、後藤又兵衛、真田幸村は国分、道明寺へ。木村重成、長宗我部盛親らは八尾、若江へ出陣していきました。将たちは皆、今日、明日が命日であると知っていました。

「待て。幸村。」

「どうなされた。」

「兵たちがついてこない。」

「靄の中ではぐれましたか。」

馬を駆けて大和方面の徳川方の別働隊へと向かっていた幸村と又兵衛でありましたが、途中、立ちのぼる靄の中へ入り、それを抜けたところから周りの兵たちの姿が見えなくなりました。おかしなことに、前を進んでいた兵も後ろをついてきていた兵の姿も見えず、いるのは幸村と又兵衛の二人のみでした。

「我等二人のみはぐれましたか。」

「儂らは真っ直ぐ走っていただけであろう。」

「いかがなされましょう。又兵衛殿。」

「少し待つか。」

馬を木に止めて又兵衛は小便をし始めます。幸村は馬上のまま、辺りの様子をうかがっておりました。

「幸村。少しここで待っていろ。」

又兵衛はそういうと、一人林の奥へ入って行きます。幸村も馬を下り、手綱を木に止めておきました。幸村は又兵衛の入って行った後を追いかけました。

「幸村。軍兵よ。」

木蔭に隠れて、前方をうかがっていた又兵衛の視界には、三人の兵士が歩いています。

「どこの者でしょうか。」

「儂らの兵ではないな。」

そういうと又兵衛は草を分けて兵士たちの前に姿を現しました。

「これこれ。そこの者は、どこの家中の者か。儂は後藤又兵衛なるぞ。徳川の者ならば討ち取って手柄としてみよ。」

「武田方の者か。儂は松平伊忠家中、舟渡藤兵衛。」

兵士たちは槍を構えました。

「(武田?)」

幸村は不審に思いながらも、又兵衛の助太刀に向かいました。始めに、槍で一人の足軽の脇を突き、もう一人の相手をします。又兵衛は舟渡藤兵衛と槍を合わせています。

「徳川の若侍にしてはなかなかやりおる。主の名をもう一度申してみよ。」

「三河深溝松平伊忠よ。」

又兵衛と藤兵衛の打ち合いは数十合に及びました。幸村の方は、今しがた、もう一人の足軽の胴を薙ぎ払い決着はつきました。

「加勢致しましょうか。」

「いらぬ。」

手の者二人が討ち取られたことを知った藤兵衛は、焦りから槍の柄を持つ手が滑り、手元が狂ってしまいました。又兵衛の槍が藤兵衛の喉を通し、藤兵衛は絶命しました。

「この者たち、我等のことを武田と申しておりましたが。」

「城方に武田などという者おったかの。」

「譜代の松平家の者にしては、身なりが質素な気がします。」

「ふむ。」

又兵衛も幸村もただごとではない様子に気がつき始めました。とりあえず、二人は馬のあるところまで戻ることにしました。

 

一方、八尾、若江方面を進んでいた長宗我部盛親と木村重成も同じように靄を抜けたあと、兵たちとはぐれてしまっていました。

「道に迷ってしまいましたな。」

「ふむ。」

重成はそう言うが、盛親は早くに異変に気づいていました。

「寒くないか。」

「そう言われれば。」

夏とは思えない肌寒さです。二人はとりあえず馬を進めることにしました。


「幸村。あれを見ろ。」

途中から山道が険しくなり、又兵衛と幸村は馬を捨てて歩いていました。二人とも、もはやここが、もといた大坂の地ではないと思っていました。

「あの旗印は武田菱?信玄公の家紋ですよ。」

「あの砦を守っているのは武田の者か?」

又兵衛、幸村の頭上には山に沿って砦が築城されて、武田の旗印が風になびいていました。

「おかしなことになったな。」

大坂で徳川家の者を相手に出陣していたところ武田家の者に出会ってしまった。

「先ほどの松平の者はこの砦を物見に来たのでしょうか。」

「戻るぞ。幸村。ここにいてはいかん。」

今日が命日と思い、出陣した又兵衛と幸村はここが自分たちのいるべき場所ではないと悟り、馬のいるところまで戻ることにしました。

「大坂へ帰らねばなるまい。」

二人は急いで山を降りることにしました。


「おかしなことになった。」

「あれは長宗我部の家紋ではありませんか。」

盛親と重成の前方には長宗我部の家紋である酢漿草かたばみ紋の旗印が丘の上になびいていました。その近くには永楽銭の旗印がありました。

「あの家紋はどこの家中でしょうか?」

若い重成が年長の盛親に聞きました。盛親はその旗印にひとつ聞き覚えがありました。

「仙石権兵衛。」

「仙石家は無文字紋ではありませんでしたか?」

元豊臣家臣であった仙石家の家紋を重成は知っていました。

「以前は永楽銭紋を使っていたと聞いている。」

「左様ですか。」

「儂が十になる頃よ。」

「はて…。」

「やつは、この戸次川で大敗して、閉門されるのよ。」

盛親はここが三十年前の九州戸次川の合戦場であると悟っていました。戸次川の合戦では、盛親の兄、信親が戦死していました。

「重成。敵が変わった。敵は仙石権兵衛秀久じゃ。儂はやつをここで討ち取る。」

戸次川の合戦は軍監の仙石秀久の采配の間違いにより負けました。そのことをこの合戦で長男を亡くした盛親の父長宗我部元親はあとあとまで、恨めしく思っていました。


山を降りた又兵衛と幸村でしたが、二人はやっとここがどこか分かりました。山を降りた先には、川を挟んで、軍兵がひしめいていました。それは徳川家の紋と織田家の紋でした。

「幸村よ。ここがどこかようやっと分かったわ。」

「長篠でございますな。」

三河長篠設楽ヶ原。今からちょうど四十年前の天正三年に織田家、徳川家と武田家の間で行われた合戦場でありました。

「幸村よ。この頃、おぬしは幾つじゃ。」

「九つにござった。」

「儂は十六よ。」

「我等は時を戻ったのですかな。又兵衛殿。」

「あるいは夢か。もはや死んでおるのやもしれぬな。」

「この合戦で、叔父が二人亡くなりましてな。」

「ほう。そうか。」

「それで、父が真田の家を継いだのですが。父はいつも、叔父上たちは儂より一枚も二枚も上手だと言っておられました。」

「惜しいことをしたの。」

「左様。」

「ならば、救ってみせるかな。」

「左様にございますな。」

又兵衛と幸村は馬を走らせて行きました。


重成と盛親は馬を走らせました。向かった先は仙石秀久の本陣です。

「重成。おぬしの命、儂に預けよ。いいな。」

「はあ。」

有無を言わさぬ物言いのまま重成は盛親に付いて行きます。重成はこれを夢か何かかと思っていました。しかし、どこからが夢なのかははっきりしません。兜に香を焚き込んで、大坂を出たそのときも既に夢を見ていたのでしょうか。

「(夢ならば早く覚めてほしいが…。)」

二人はとうとう仙石秀久の本陣までやってきました。

「四国の長宗我部元親の四男の盛親だ。急ぎ告げることがあり、仙石秀久殿にお目通り願いたい。」

盛親が番士に取り次ぎを請うと、秀久のいる幔幕まで、二人は案内されていきました。

「火急の用件とは、何事か。」

黙っている盛親を見て、秀久はもとより苛立ちを隠せません。

「島津のことか。早く申せ。」

「兄の敵。覚悟せよ。」

と申すなり盛親は佩刀を抜き、秀久に斬りつけました。

「ぐはあ…!く、曲者ぞ…!」

秀久は背を向けて逃げようとしたところを盛親に後ろから胸を貫かれて、そのまま動かなくなりました。突然のことに、重成は驚きながらも機転を利かせます。

「我等は島津家中の者である。敵の大将の命は頂いたぞ。」

そう言うなり、盛親と重成は一目散に逃げました。途中、突かれてくる槍を薙ぎ払い、薙ぎ払いながらも、二人は馬に乗り、その場を後にしました。あまりの出来事に仙石秀久の本陣は混乱に陥りました。騒ぎを尻目に重成と盛親を乗せた馬は走って行きます。


長篠設楽ヶ原では合戦が始まりました。その間も、又兵衛と幸村は馬を走らせて、武田軍の右翼側へと周っていきました。

「合戦が始まってしまったぞ。幸村。」

「叔父上たちは、大将の勝頼公の殿を務めて亡くなったと聞きました。」

「戦の大局は儂ら二人ではどうにもなるまい。救うは幸村の叔父殿二人の命だけよ。」

「急ぎましょう。」

二人は馬を更に駆けました。日が落ち始めた頃には、合戦の勝敗は着き、武田方の兵たちは甲斐の国に向けて退却を始めます。

「いたぞ。幸村。あれが武田の大将ではあるまいか。」

林の脇道から間道を見ますと、ちょうど壮麗な鎧を着た武者の一行が駆け抜けていきます。

「叔父御たちの顔は知るまいか。」

「見知りませぬ。然れど、真田の紋は六文銭故、それをつけた武者がいればそうかと。」

「六文銭の紋か。」

二人は武田の大将がやってきた間道を引き返していきます。その間にも、武田の兵たちが大将のあとを追っていきました。しばらく馬を進めますと、間道の脇の岩の上に、紅糸縅を鎧着て、兜はなく手に槍を持った武者が一人と、黒糸縅の鎧着て、手に三尺六寸はあろうかという大太刀を下げた武者が一人間道の中央に立って辺りを見回しています。

「又兵衛殿。あれに相違ございませぬ。あの大太刀は叔父上所用の青江の大太刀にござる。」

「では、ゆくぞ。」

二人が馬を寄せて近づくと、岩の上に座っていた武者が降りてきました。

「やあやあ。そこな二人は真田の武者と思われるが、相違ないか。」

又兵衛は馬を降りて尋ねます。

「如何にも。信濃国真田の兄弟であるが。其方たちは何者ぞ。」

馬に乗って現れた二人の侍は大将かとも思われるほど豪壮な鎧甲冑を纏ってはいますが、供の者はいません。見れば、その一人は小手に真田家の紋をつけているではありませんか。

「儂らは大将よりの遣いの者だ。大将殿は無事に落ち延びられた。あとは儂らが引き受ける故、お二方は大将のもとに参られよ。」

「否ことを申す。此度の合戦で武田の諸将は皆、討ち死にされた。我等のみ生き長らえることなどあってたまるかよ。」

「戦の勝敗は既に決し、大将も落ち延びられた故、其方たちが死んでも犬死にじゃ。」

又兵衛は自分で言っておいて、自分でおかしなことを言うと思いました。又兵衛と幸村こそ、今日が命日と思い、大坂の城を出陣してきたのです。

「又兵衛殿。この方たちに嘘は通用しますまい。」

幸村が間に割ってきました。

「某は真田昌幸が二男。真田信繁にござる。我等は、四十年後の世より、何故か時を戻り、この長篠の地に到りました。」

真田の兄弟は静かになりました。

「時を戻りこの地に到ったのも神仏の験故でござりますか、亡き叔父上たちの命をばお助けせんと駆けつけた次第にございます。どうか、国元へ戻り、兄弟二人で真田の家をお守り下さい。」

「兄上お相手なさいませぬよう。」

武者は槍を構えました。

「待て、昌輝。」

大太刀の武者は真田信繁を名乗る武士の格好を眺めました。その胴は見たこともない不思議な形の甲冑でした。そして、小手には六文銭紋が付いています。

「我が主は既に退かれたのか。」

「左様。先ほど落ちて行かれたわ。」

又兵衛が答えました。

「ならば、我等がここに留まる理由はない。行くぞ昌輝。」

「兄上。」

真田信綱、昌輝兄弟は二人に背を向けて間道を行こうとしました。

「待たれませ。その馬をお使い下されよ。」

幸村は去り行く二人に声をかけました。

「お心遣い感謝いたす。」

信綱がそう言い騎乗すると、又兵衛もうなづき、昌輝も又兵衛の馬に騎乗しました。

「お二人とも命を大事になさいませ。」

「おぬしらもな。」

それは誰が誰にかけた言葉なのかは分かりませんでした。信綱、昌輝兄弟は武田勝頼を追って間道を駆けて行きました。

「さてと幸村どうするかの。」

「夢ならば早く覚めてほしいものです。」

しばらくして、織田、徳川の追ってたちが迫って来ました。幸村と又兵衛はそれらの兵たちを一人、また一人と討ち据えていきます。


仙石秀久を討った盛親と重成は急いで、その場から逃げました。そして、馬を駆る途中、またしても、あの靄の中に入り込みました。盛親は靄を抜けました。しかし、共にいた重成の姿は見えません。

「どこじゃ。ここは。」

盛親の出たところは草原でした。

「どこか見覚えがあるの。」

それは盛親の故郷の土佐の草原でした。後ろには廃城となった岡豊城が見えます。

「土佐に戻って来たのか。」

盛親はそのまま馬を駆って土佐の草原を走って行きました。


長篠設楽ヶ原で武田の殿を務めていた又兵衛と幸村でしたが、織田、徳川の兵士を三、四人討ち取ったところで、辺りに靄が立ち上りました。今はその中を歩いています。いつのまにか、又兵衛の姿はなくなっていました。

「(もしや我等は、あの世で叔父上たちと会ったのかもしれぬな。)」

幸村はそう思いつつ、歩を進めていると、辺りの靄が晴れて、山道に出ました。それは信濃の山でした。破却されたはずの上田城はそのままの姿で残っていました。城には、武藤家という名で、幸村の父昌幸がいました。

「どこに行っていた。」

「どこか遠くに行っていたような気がします。」

「おもしろいことを言うな。」

今か昔か。夢か現か。あの世かこの世か。それらが分からない時間の中で、幸村は夏の草木の息吹を感じながら父昌幸と兄信之と、上田の城で一坏の酒を酌み交わしました。

「父上、某、昔の話が聞きとうございまする。」

「そうか。あれは天正三年の夏の話だ…。」

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