第5話
ホワイトデーにちゃんとお返しができたのは、そういうことを極端に恥ずかしがる年頃だったことを鑑みると、僕の人生の中でもかなり誇りを持てる出来事になっている。
その日は、僕が愛莉を「何言ってるか当てるゲーム」に誘った。
放送準備室の中で、僕は「ホワイトデー!」と飛び切りの大声で叫んだ。すると、愛莉がゆっくりと放送室の扉を開けて、うきうきした表情から期待に溢れた眼差しを僕に向けた。
1ヶ月前に愛莉がそうしたように、僕は愛莉の横を通って放送台の前まで行き、ランドセルからラッピングされたクッキーを取り出して愛莉に渡した。愛莉はとても喜んでくれて、その日はずっと笑顔で、僕がいつ愛莉の顔を見てもにやにやしていた。
もちろん、ホワイトデーはバレンタインーとは曜日が違うから、その日は別の班が放送を担当する日だった。放課後、僕たちはこれをするためだけに放送室へとやって来て、クッキーを渡したらすぐに放送室から出て、それからは公園で一緒に過ごした。同級生に姿を見られるのは恥ずかしいという気持ちが暗黙のうちに共有されていたと思う。どちらともなく、僕たちは学校からかなり遠い公園へと足を伸ばしていた。
小学校六年間を通じて、愛莉と一緒に放送室以外の場所で放課後の時間を過ごしたのはこの一度きりだ。そういえば、廊下で話したのも一度きり。放課後に放送室へと来てもらうために、このホワイトデーの日、僕は廊下で愛莉に声をかけた。休み時間の愛莉は放送室の愛莉とは何かが違って見えた。
喧噪の廊下で振り向いた愛莉は、一瞬、他人を見る目で僕を見て、その視線の色合いはすぐに切り替わって親密なものになる。僕は手短に用件を伝え、愛莉は一も二もなく僕の提案を承諾した。何かが違って見えた愛莉が僕の誘いを受け入れてくれて、僕は嬉しかった。
けれども、このホワイトデーの日が、僕と愛莉の小学校生活における最後の輝かしい日になってしまった。事件はこの翌週、つまり、僕と愛莉と、六年生の先輩が一緒に行う最後の校内放送の日に起こった。
その日の放課後も、僕と愛莉は放送室に集合していた。
「サプライズ、成功して良かったね」
放送室の中で、愛莉は僕から離れた位置に座っている。僕は放送台の前に座り、愛莉は窓際で足を組んでいる。窓から射しこむ日射しが愛莉の髪を光らせていた。
「先輩、泣いてたからな」
この日の昼休み、お昼の放送が終わった後、僕と愛莉は立ち上がり、隠し持っていたクラッカーを鳴らして「いままでありがとうございました」と叫びながら頭を下げた。
「急にどうしたの?」
僕たちが頭を上げると、そこには目を丸くして驚く先輩の姿があった。僕たちは間髪入れずに歌い始める。前年に流行った歌で、卒業をテーマにした歌だった。歌い終わると、僕たちはポケットから先輩へのプレゼントを取り出す。
僕は先輩の名前が印字されたシャーペン。愛莉は折り畳み傘だった。
先輩は何度もお礼を言いながら僕たちのプレゼントを受け取って、僕たちの手を握り、この一年を忘れない、プレゼントは大切に使うと誓ってくれた。
僕たちはしばらく談笑したあと、時間ぎりぎりに放送室を出た。
「中学で待ってるよ」
先輩は別れ際にそう言い残して去っていった。僕と愛莉は「すぐ行きます」と返事をして、顔を見合わせて笑った。先輩の瞳に光るものがあるのを僕も愛莉も見逃さなかった。