5、しりとりと過去とゴルゴンゾーラ
まもなく姫百合荘オープン半年になろうという8月、まりあと燃子は毎月恒例の「牧場帰り」に出発した。
慢性的に人手の足りない実家・姫神牧場を手伝うため毎月1週間、まりあはパートナーの燃子を連れて里帰りする。
「早出組」と「遅出組」に分かれてしまって、なかなか生活サイクルが噛みあわないパートナー同士が、じっくりシッポリ絆を深め合う機会でもある。
今回は河内長野の燃子の実家にも立ち寄るので、いつもより1日長め、8日間の不在となる。
管理人の紅鬼が玄関まで2人を見送り、「ギリギリまで掃除手伝ってくれて、ありがとうね! ケチらないで東京駅までタクシー使えばいいのに・・・」
まりあ「そんなもったいない! もうラッシュの時間も終わってるし」
燃子「東京駅で駅弁選ぶのが楽しみやー」
行ってらしゃーい
大迷宮・東京駅にもようやく慣れてきた2人、無事に駅弁を買って新幹線に乗る。
発車する前から燃子が「平泉うにごはん」の包みを開きはじめた。
「はやっ もう食べるのか!」と驚くまりあも、つき合って「炭火焼き牛たん弁当」と「えび千両ちらし」をスタンバイ。
「まりあ様、なんで2つも?」
「万が一、燃子が弁当買い忘れた時のためにな」
発車しまーす
食べ終わってお茶も飲んで一息ついたころ、燃子が「さて、腹ごなしに『フリーしりとり』でもしますかー」
姫百合荘で考え出された競技の中では、珍しく性的要素のない健全な遊びである。
「いいよ! NG文字は?」
「ガ行で」
「よーし」
しりとりなので、もちろん「ン」もNGだ。
燃子からスタートする。「トゥルベッティオ!」「オリュベンガ! ぐわー」
「まりあ様、早いな!」
3秒以内に返さないといけないので、考えてる時間はあまりない。
今度はまりあから、「フルベンチョス!」「スプリガット!」「トイレマッテナ!」「ナプキニャース!」「スッポニアンベルーガ! ぐわー」
だんだんと白熱してきた。
燃子が身を乗り出して、「パンチャビロッテ!」「テマンコキャバルド!」「ドシタンゲロハイテ!」「テンギャンバルゴ! ぐおー!」
後ろの席のオジサンが身を乗り出して、「君たち、車内では静かにしようね」
まりあは顔を真っ赤にして、「こっぱずかしい・・・」
燃子も両手で顔を押さえて、「はずかちー」
まりあ「それにしてもフリーしりとり、理性がブッ飛んでしまうな・・・」
燃子「まりあ様、弱すぎる」
まりあ「なぜガ行にハマってしまうのか・・・」
燃子「ガ行を踏んでしまう人のプロファイリング・・・頑固で意固地、頑張り屋だがしまりん坊で説教臭い。体は健康だが股間にガンジタ菌が繁殖して匂いがキツイ」
まりあ「思いつきで適当なこと言うな! 股間は燃子だってけっこう臭いんだぞ! 私は愛があるから良い匂いに脳内変換してるけど」
燃子「たしかに、もえこちゃんの股間は自分でもけっこうキツイと思う時があってな、ある時ウン!って力んでみたら、あそこから・・・ 胎児のミイラが・・・」
まわりの席の乗客がジロジロ見るので、またしても「こっぱずかしい」「はずかちー」
「ちょっと、しばらく黙ってような」
「もえこちゃん、ひとねむりするわ」
窓側に座ってる燃子が、しばらくして目を開けると、ちょうど富士山の横を通過中。
「ごらんなさい哲郎、あれが・・・」
反応がないので振り返ると、まりあはグーグー寝ている。
思わず、その顔面にグーパンチを入れてしまう燃子。
まりあが怒って「何すんだよ!」
「ごらんなさい哲郎、あれがマウントレーニャ」
「私は長野県民なんだから、山なんか見飽きてるわ。うわーやっぱり富士山は絵になるな!」
大阪駅が近づくにつれ、燃子がナーバスになってきた。
記憶を失った燃子にとって実家や両親は、どうも落ちつかないものらしい。
「あのな、まりあ様・・・ 侮辱したりグーパンしたり本当にゴメンな・・・ まりあ様の股間、ぜんぜん臭くないよ! もえこガチのメンヘラだから堪忍な・・・」
常に襟元につけてるアルファロメオのエンブレムをいじくりながら、そわそわ
「もえこのこと嫌いにならないでほしい・・・」
パートナーの髪を優しくなでてやるまりあ、「実家についたら『まりあ様の股間は臭くありません』と一筆書いて、署名してな」
おおさかーおおさかー
駅構内を行く通行人たちは、思わず振り返ってしまう。
身長182センチ、うねるブロンドに青い瞳、ハリウッド女優ばりの白人美女。
九頭身、ワンレンの長い黒髪、レースクイーンのような東洋人美女。
そんな2人が仲良く手をつないで、構内を行く。
大阪駅でローカルな鉄道に乗り変え、河内長野へ。
駅から徒歩15分くらいだが、燃子の父がゲレンデヴァーゲンで迎えに来ていた。
「もえこー! まりあさん!」
「黒木歯科クリニック」と看板の出ているモダンな歯科医院、その隣の大きなガレージ付きの豪邸が燃子の実家だった。
「ママりん、ただいまー」
「おばさん。どーも、お久しぶりです」
父は丸っこく眼鏡をかけており、母は石川さゆり似の美人。
どう見ても燃子は母親似であった。
両親ともに同性愛に対してそれほどの反感もなく、まして記憶を失くした娘を愛して寄り添ってくれる、そんなまりあに対して不満があろうはずもなかった。
「長旅で疲れた? ゆっくりしていってね」
「旅は疲れないんだけど、フリーしりとりでドッと疲れたわー」
「すみません、一晩だけお世話になります」
「まりあさん、何日でも泊まってもらっていいんだよ? よかったら明日、みんなで観心寺でもお参りしない?」
「ありがとうございます、でも牧場でもスタッフが夏休み取りたくて、私の到着を待ってますので・・・」
ゲストルームもあるが、燃子の部屋に、まりあも荷物を降ろす。
この家で調べられることは、とうに調べ尽していた・・・
燃子は両親や家に対して、ぼんやりと懐かしい気持ちが湧き上がってくるものの、具体的な記憶は何も戻ってこない、と言っていた。
両親や友人に話を聞いて、アルバムや学校の成績表も見せてもらい、イタリア留学に旅立つまでの23年間の人生については、おおよそ燃子の実像はつかめていた。
だが「消失」の期間については・・・ とくにもっとも重要な「ミラノの恋人」の正体に関しては、いまだに謎に包まれていた。
「燃子、お風呂入る前に、もう1回ガレージ見せてくれん?」
今では黒木院長もイタリア車趣味からすっかり足を洗ったらしく、広いガレージにはゲレンデヴァーゲンともう1台メルセデスのセダンが入っていたが、かつてここは日本に1台だけの「アルファロメオ ティーポ33/2 ストラダーレ」という世にも美しいスポーツカーの住処だった。
自動車雑誌からもたびたび取材を受けており、イタリア車好きの間では「ティーポ33のオーナー」といえば「ああ、黒木歯科クリニックね」と、すぐに通じてしまうくらい有名だった。
壁にはまだ、肉感的なイタリアン・レッドのティーポ33と、当時まだ幼稚園児だった燃子の、仲良く並んで写っている大型写真パネルが飾ってある。
子供のころ、燃子はティーポ33が大のお気に入りで、「ティーポちゃん」と呼んでは眺めたり触ったり、長い間このガレージで過ごしていたらしい。
このティーポ33こそ、燃子のイタリア趣味の原点だった。
「どーよ燃子、何か思い出さん?」
「うーん。前から言ってるとおり、ティーポちゃんだけは何となく覚えてるんだよねー」
まだ燃子が入院していたころ、混濁した意識から少しずつ覚醒していって、ついに会話ができるようになった時・・・ 燃子は自分が「ティーポちゃん」だと言った。
自分が人間ではなくアルファロメオだと思いこんでいたのである。
「現実逃避でしょう」と医者は言った。
あまりにもつらい現実から目をそむけるため・・・ 記憶喪失も、根本的な原因は同じ。
「要するに本人が心の奥底で、思い出したくないと思ってるのです」
2人はガレージを引き上げ、お風呂をいただき、夕食をごちそうになった。
(もし記憶が戻らないなら、それでもかまわない・・・ 私が燃子と一生ともに生きるし、姫百合荘のみんなも私らを支えてくれる。だが、もしも・・・)
いつの日か、燃子の記憶が戻ったとしたら。
(燃子の人格や、これまでいっしょにすごしてきた記憶はどうなってしまうのだろう)
それを考えると、「無理して思い出さなくていいからね」と言ってしまうまりあだが、燃子はいつになく心細く感じてるようで、
「でもなあ・・・ 25年間の人生が消えてしまった、っていうのは・・・ けっこうキツイよ・・・」
と、枕に涙を流していた。
(ちなみに例のティーポ33は中国のIT企業社長に売却され、燃子のイタリア留学の資金となった)
翌朝、まりあが出発しようとすると、燃子がいっしょに行くと言ってきかない。
本来の予定では燃子はもう1日実家で過ごした後、父親が姫神牧場まで連れていくつもりだったが、まったく聞き入れようとはしなかった。
結局、母もいっしょに4人で、車で新大阪駅まで行くことに。
後部座席の燃子は、まりあの手をしっかりつないで離さない。
姫百合荘にいる時は、「私がまりあ様の1番じゃなくなったら、まりあ様のもとから去る!」なんて強気なことを言ってる燃子だが、実際には、まりあに依存しまくってるのは明らかだ。
助手席の母親が、「まりあちゃん、燃子をよろしくね。何かあったら私たちも力になるから、連絡してね」
まりあ「おばさん、まかせて。私のこれからの人生は、燃子のために生きるから」
燃子は目を潤ませ、唇を噛みしめて、まりあの肩に頭をもたせかける。
父と母も涙ぐんでいた。
まりあ(この一家、空気が重い・・・)
新大阪駅でいっしょに食事をした後、父母と別れて、4時間近くかかって名古屋経由で松本へ。
姫神牧場に着いたころには、すっかり夜になっていた。
新鮮な空気と、満天の星空が2人を出迎える。
心なしか、燃子の表情も生き生きしてきた。
スコットランド出身のプロレスラーのようなひげ面のパパ(実際若いころはプロレスラーだった)と、スウェーデン出身のセクシーなママが娘たちを迎える。
パパ「燃子おかえり! まりあさん、娘がお世話になってます・・・ あ、まちがえた! まりあがうちの子だったか」わははははは
燃子「ひげパパ、月子ママ、またお世話になりますでー」
身長190センチのマッチョな兄と、やはりブロンド美少女の妹にも挨拶をする。
「おにーさん、ありあちゃん、また来ましたでー」
自分の両親よりも、まりあの家族の方にすっかり馴染んでる燃子であった。
翌日はゆっくり休んで、次の日からまりあは家畜の世話、燃子はカフェ&ショップを手伝う。
夕食の時、パパが「燃子さん、ブルーチーズは好きかね?」と尋ねてきた。
「今度、ウチの新商品で出すんだけどね」
「ゴルゴンゾーラとか大好きですわー」と答えて、燃子はハッとした。
(そうか、私ゴルゴンゾーラが好きだから・・・ まりあ様の股間が匂っても、なんとなく好きな匂いやなーって感じたのは、そういうことか・・・)
パパは相手が娘の股間の匂いのことを考えてるとはつゆ知らず、「職人をフランスに1年間修業に行かせたんだ。ロックフォールをお手本にしたんだが、どうかな・・・」
自家製ブルーチーズをクラッカーに乗せて、娘たちに「さ、どうぞ」
まりあは嬉しそうに、「おお! 私ロックフォール大好き! どれどれ・・・」
さっそく頬ばってみると、(あ、そうか!)
気づいてしまうまりあ、(私ロックフォールが好きだから・・・ 燃子のあそこの匂い、何かに似てると思ったが・・・ そうか、だからあの匂いが好きだったんか・・・)
燃子と目が合うと、お互い顔を赤くしてうつむいてしまう。
パパ「どうよ? お口に合わない?」
まりあ「しゅき・・・」
燃子「もえこちゃんも好き・・・」
ちなみに世界3大ブルーチーズ、あとひとつは英国のスティルトンである。
姫百合荘からの来客のため、牧場側ではこじんまりとしたログハウスを新たに建ててくれた。(おもに兄ちゃんががんばった)
宿泊人数は最大4名くらいだが、夜はここで、まりあと燃子がベッドをともにする。
ゆっくりと心ゆくまで愛しあった後、お互いの匂いに包まれながら、燃子が幸せそうに
「なあなあ、まりあ様。提案があるんやけど・・・」
「なんだい、燃子や」
「これからは私のアソコをゴルゴンゾーラ、まりあ様のアソコをロックフォールてゆう暗号名で呼ばない?」
「チーズ業界からクレーム来るわ!」
ちなみに世界3大ブルーチーズ、あとひとつは英国のスティルトンである。
あっという間に1週間が過ぎて、お土産をいっぱいもらって、2人は帰途についた。
帰りは中央本線で新宿を目指す。
「ブリュンベルック!」「クリャムナーダ! ぐわー」
「ビョールガステ!」「テリチャンポ!」「ポンチャペリッチ!」「チンポクラード! ぐわー」
「まりあ様、ダ行にも弱いのか・・・」
姫百合荘の豆知識(11)
ローラは日本に来る直前、アンを連れて9か月間タイの首都バンコクに暮らしていた。(MI6の任務として。アリスンはロンドンとバンコクを行ったり来たり)
この東南アジアの大都市で具体的にどのような任務に就いていたかは不明だが、カバー(表向きの身分)として、とある怪しいホテルの女性向けエステサロンで働いていたようだ。
周辺はタイ名物オカマバーなども多い怪しい界隈で、エステティシャンとして働くローラの仕事には、当然のように性的サービス(女性向け)も含まれていた。
彼女のテクニックの素晴らしさは、ネットのレズビアン向け掲示板で評判になり、ローラのマッサージを受けるためタイを訪れる女性も多かったという。
このころローラは、60人以上の女性との逢瀬を経験。(当時を振り返り、ローラは「人生でもっとも性的欲求が強かった時期」と回顧している)
その60人以上の女性の中には、世界を放浪していた怪しい占い師ミラルシファーも含まれていた。
ローラは当時を回想して、「ミラ姉とのセは3時間以上にも及び、私の経験の中では最長記録。あれほどのエクスタシーはかつて経験したこともなく、まちがいなく人生最高のセだったといえる。私は身も心もミラ姉なしでは生きられないと思った」
結婚して、私のパートナーになって、とローラは強く迫った。
が、例によっていつものごとく、ミラルは「私は旅の途中だから。まだ見てみたい世界がある」と、ローラを残して去ってしまった。
この出来事はローラの心に大きな傷を残したようで、後々まで「ミラ姉が私をふった!」と恨みがましくグチっていたという。(とくにアルコールが入ると)
そしてある日、アリスンが護衛のダン・クローヴィスを連れて、何度目かのタイ訪問。
スコールが降りつける中、まっすぐにローラのアパートにタクシーを乗りつけると、「ローラ! ついにエメット・オサリバンの居所がわかった!
・・・日本!」
姫百合荘2階「第3ベッドルーム」で、パンがパソコンに向き合っていた。
「アマゾン出身のアマゾン(女戦士)である私がアマゾンでポチッとな」
ベッドに転がったアンが、「パンちゃん、なに買うの?」と尋ねる。
椅子を回してアンに向き直ったパンの顔は、右眉がつり上がって左眉が垂れ下がり、右目が涙を流して左目が驚きに見開かれ、鼻の穴は興奮に開いて、口はタコのように突き出されていた。
アンは驚いて、「なにその顔! 人間の顔か!」
パン「注文したのはファンデーションていう化粧品だよ。私やミラ姉のように褐色肌に合うのが、日本だと売ってないんだよねー」
アン「へー、そうなんだ」
パン「クリスも白人の肌に合うのが少ないって困ってたな。まりあやアリスンは、まあ、めったに化粧しないからな。私もたまにしかしないんだけどね」
アン「ママは? お化粧にいのちかけてるけど」
パン「ローラは1/4中国人だから、ギリギリ日本人向けが使えるみたいだな」
アン「ママは中国人なの?」
パン「ママの血統は、お父さんがアイルランド、お母さんが華僑とフランス人のハーフ」
アンの顔をじっと見て、「アンアンも大人になったらファンデーションに困りそうだなー。君の場合、エメットが純粋アイリッシュだから、えーと3/4アイリッシュということか。だからママより肌が白い・・・」
「エメットってアンのパパのこと?」
パンは一瞬、自分の失言に動揺したが、顔には出さず、「アンアン、ドッジボールでもしようか」
「ねえ、パパのことなの?」
芝生の庭で、アンが思いきり投げたボールを、パンが楽々キャッチしていた。
「もっと強く投げないと、当たらないぞう」
やわらかくアンに投げ返す。
「エメットってだれさ!」
渾身の力をこめたアンのボールが、一瞬固まったパンの顔に直撃。
「や、やられたー」
崩れ折れるパン、あわててアンが駆けよる。「パンちゃん、死なないで!」
このショックで、アンの頭から「エメット」の名は消えたかに見えたが・・・
パン(あぶねー 私ったら、なんちゅー口の軽い・・・)
第5話 おしまい