1、許されない愛とラブホとダメな母
港区百合穴三丁目、ここに女性専用シェアハウス「姫百合荘」がある。
白くて四角い豆腐のような建物、3階建て。
正面から見ると3層のアーチが多少優美な印象を与えるが、「男子禁制で女性だけが暮らす現代の聖域」にしては、ちょっとどうでしょう、機能主義的な感じ。
「住人専用」と「お客様専用」の2つの入口があるが、「住人専用」のドアをくぐると、中は小さな事務室になっており、この奥に靴を脱ぐ玄関がある。
今、その事務室ではパソコンを前に並んで座った2人の女性が、熱く抱擁していた。
ようやくお互いに唇を離すと、はあはあと荒い息をつく。
8月、冷房が効いてるとはいえ、2人の体温はかなり上昇していた。
「今日で姫百合荘オープンから半年・・・ ねえさん、よくがんばったね」
「あんたが支えてくれたから・・・ 夜烏子、よだれよだれ」
2人はあくまで戸籍上の姉妹で血は繋がってないのだが、奥二重の涼やかな瞳が、実の姉妹のように似ている。
姉の紅鬼は後にショートになるが、今は長い黒髪、勝気な眉が妹とはだいぶ印象がちがう。
妹の夜烏子は後に茶色に染めるが、今は黒髪、下がり眉。
華のある姉に比べ、どこかしら普通で地味な印象。
夜烏子「ようやくシフトも完成して回り出したし、クリスも週2日休んでもらえるようになった・・・」
紅鬼「今まで週休1日か、ひどい時はゼロ日だったからね笑」
夜烏子「ここのオープンから3ケ月でバーも開業するなんて、ほんと無茶だったよ」
紅鬼「でも駅前のいい物件があったし、いつまでもアリスンの株式投資に頼ってるわけにもいかないからね」
夜烏子「ねえさんの行動力には呆れるばかりだわ笑」
夜烏子「ちょっと夜烏子、さすがに10秒以上密着してると暑い。ここの冷房きかないから・・・」
夜烏子は姉の首筋を流れる1滴の汗をぺっろっと舐めると、
「ねえさんの汗、ねえさんの塩分・・・ ねえさんの体の中から出てきた塩化ナトリウム・・・」
紅鬼「変態!」
夜烏子は体を離すとパソコンに向かい、「さて打ち合わせも済んだし、ファイル閉じますか」
暗くなったモニターを見つめながら、過去を見つめる。
「覚えてる? 初めて会った、あの日・・・」
それは7年前、夜烏子が18歳、高校3年生の時。
横浜市内の安アパートで、母もなく、父が殺人容疑で逮捕されるという過酷な運命に、ただただ震えていた。
呼び鈴が鳴るので出てみると、長い黒髪の凛とした女性が立っていた。
「警察の人ですか?」
制服を着てるわけでもないのに、この女からは警察のような匂いがした。
「いえ、警察とかではありません。私は獣畜振興会という団体の・・・ それより、霧雨努容疑者・・・いえ、努さんのお嬢さんですか?」
「そうですけど、じゅうちく・・・なんですか?」
「あのー簡単にいうと、日本の畜産業を支援する団体です。牛とか、ブタとか・・・」
夜烏子はワケがわからなかった。「うちは家畜飼ってませんけど?」
女は苦笑して、「そりゃそうですよね。私は風太刀紅鬼、父は獣畜振興会の会長なんですが、ぶっちゃけて言うと、警察のえらい人の友達なんですよ」
「はあ・・・」
「で、警察の人から霧雨容疑者の娘さんが1人きりで困ってるから、助けてやってくれないか、と頼まれまして。こわいオジサンが来るより、歳の近い私の方がいいかなって」
女は上がりこむと、「何か食べた? とりあえず栄養とって元気出さないと」
袋から食材を出して、勝手に台所に並べる。
「うちで扱ってる鳥スープもってきたから、これでおじや作ると美味しいの。お米ある? デザートにはうちの直営牧場で作ってるプリンがあるから」
「あ、あのっ 私がやりますから!」
2人でフーフーおじやを食べながら、「お父様は自分のやったことを悔いてるみたいで、捜査に協力的だし、罪も少しは軽くなると思う。犠牲者の女性は・・・ あなたの知ってる人なの?」
「父の愛人で、母親がわりだった人です。実の母とは子供のころ死別しました」
「そう・・・」
紅鬼と名乗った女は、同情のまなざしで夜烏子を見る。
夜烏子は幼い頃から、こういうまなざしにはなれていた。
「あの、ありがとうございます。私、大丈夫ですから・・・ 学校やめて働きますから」
「高校はもうちょっとで卒業なんだから、最後まで行きなよ。もったいない」
「でも・・・」
「お金のことなら心配しないで。今日も少しもってきたし、あなた専用の口座も作るから」
夜烏子はさすがに、ちょっと怖くなってきた。
「あの、なんでそこまで・・・ あなた方は私のような境遇の者に、いつもこんなことをしてるんですか?」
紅鬼はバッグから取り出した封筒をもったまま戸惑って、
「そうだよね、いきなりこんな切り出し方をしたら、用心しちゃうよね・・・
我ながら話のもっていき方が下手だなあ・・・」
札束の入った封筒で自分の頭をペシペシたたいて、
「でも、まわりくどい言い方は苦手なのでストレートに言っちゃうけど、あなたのお父様の努さんが属していた組織の情報がほしいんですよ。
で、努さんもかなり私らに協力してくれる気持になってる。ただ、1人残された娘が心配だ・・・と、おっしゃってまして、私らが夜烏子さんのフォローをばっちりするから安心してねー、という話なの」
夜烏子の頭はグルグルと回転した。
「えーと・・・司法取引ってやつですか? 紅鬼さん、やっぱり警察関係の方なんじゃないですか」
「いや、警察ではなく警察のお友達」
「でも、いいのかなー。見知らぬ方に、そこまで甘えちゃって・・・」
「それだけの理由じゃなく、私も個人的に夜烏子さんを助けたいと思った」
「え?それはどうして・・・」
「夜烏子さん、かわいいから!」
「は?」
こうして夜烏子は卒業まで高校に通えたし、たびたび紅鬼と会食するようになった。
紅鬼「私の職場さあ、ほとんどオジサンばっかりで同年代の女の子がいないんだよね。ほんっとうにキツイのよ。こっちまで身も心もオジサンになってくる・・・」
夜烏子の顔の周りの空気をクンクン嗅ぐと、
「あーリアルJKの匂い!生きかえるわー」
顔を真っ赤にした夜烏子が、「紅鬼さん、もう完全にオジサンです・・・」
紅鬼は真顔になって、「ところで担任の先生に聞いたけど、あなたけっこう成績いいそうじゃない。国立大学にも行けるって。お金のことは心配しなくていいから、進学しない?」
夜烏子は奥二重の目を大きく見開いて、「とんでもない! ただでさえ、こんなにお世話になってるのに! それに紅鬼さんだって大学行かなかったんでしょ?」
「ん、まあね・・・ 高校出て、すぐ父の仕事を手伝うことに・・・」
「私も働いて、紅鬼さんたちに恩返ししたいよ・・・ 簿記2級も取ったし、何か仕事ないですか?」
こうして夜烏子は高校卒業後、風太刀記念会館内にオフィスをかまえる日本セキュリアン(株)という会社に事務員として就職。(もちろん獣畜振興会と関わりの深い会社)
現在はさらにステップアップして、風太刀記念財団・秘書室に勤務。
いつしか夜烏子は紅鬼を「ねえさん」と呼ぶようになっていた。
「妹がほしい」という紅鬼の願いに答えるため・・・
そして単なる「妹分」にとどまらず、ついに風太刀家の養女となり、法的には本当の姉妹となってしまったのである・・・
事務室でパソコンの電源は落ち、エアコンの静かな唸りだけが響いていた。
「ねえさんがミラ姉と同姓カップルになった時、ショックだったなあ・・・ 私にもチャンスがあったんだ、それなのに・・・ って」
紅鬼は用心深く妹の顔色をうかがい、
「もしかしてシリアスな話をしようとしてる?」
夜烏子は笑って、「いやいや!単なる妄想・・・ ねえ、もしミラ姉と出会わなかったら・・・ 私を妹ではなく、恋人としてパートナーとして見てくれる・・・ という可能性はあった?」
紅鬼は危険な地雷原を歩いてるような心境で、「どうだろ・・・ ミラルと出会うまでは『女性を恋人にする』って発想自体がなかったからなー。
つき合うなら男、作るなら彼氏、そういう固定観念があったから・・・
あんただってそうでしょ?」
「私ははじめからねえさんに恋していたよ!」
いきなりデカい声を出されて、紅鬼はビビった。
恐れていたシリアス展開が来てしまったのだ・・・
(シリアス去れ!シリアス去れ!)
そんな祈りを吹き飛ばすように、夜烏子は両手で顔をおおうと、ワーッと泣き出した。
「妹じゃなくて・・・ 恋人になりたかったよ・・・」
「そ、そのための姫百合荘全員恋人計画じゃないの!
私たちはもう恋人なんだよ!」
「そうだよねー」
あっさりと平常心を取り戻す夜烏子。
ほっとする紅鬼、「シャワーでも浴びながらHして、さっぱり汗かこ!」
2つの浴槽に挟まれたシャワースペースで生ぬるい湯を浴びながら、2人は(この小説は18禁ではないので省略)
大浴場から出ると、脱衣場兼洗濯ルームの腰掛に並んで座り、裸体に扇風機の風を浴びていた。
「は~気持いい・・・ 大浴場で大欲情」
「ぷっ」
「昼間っからビール飲んじゃおうか?」
「ま、いっか・・・ ね、こうしてると思い出さない? 初めてねえさんとHした時のこと?」
「う・・・ あの時は・・・」
それは2年近く前のこと。
いつも通り夜烏子と落ち合い、行きつけの「良い雰囲気の店 グッド・フィンキー」で夕食を共にした紅鬼は、どこかに向かってズンズン歩いていた。
(ねえさん、どこに向かってるんだろう? 今日はなんか様子がおかしいな・・・)
到着したのはラブホテルの1室だった。
ベッドに並んで腰かけてから、紅鬼はハッとして、「あ?何やってんだ私! 夜烏子をラブホに連れてきてしまった!」
その夜烏子は隣りで真っ赤になってうつむいている。
「ごめん夜烏子! 体が勝手に動いて・・・ すぐ出よう!」
が、震える指先が紅鬼の袖をつかんで引き止める。
「私、うれしい・・・ ねえさんと、こういうことをする関係になりたかった・・・」
「夜烏子、何言ってんの・・・ 私も、このままじゃ帰れないよ!」
ようやく2人が体を離して一息ついた時、時計は2時間も経過していた。
「ごめん、夜烏子。本当こと言うと、ずっと前から夜烏子のこと、いやらしい目で見てた」
ここは紅鬼がつき合い始めた同姓の恋人ミラルと、何回か利用したことのあるラブホ「スケヴェニンゲン」。
「ミラルさんといっしょにいるつもりで、うっかり私をここに連れてきたの?」
「実はミラルのやつが・・・」
一生を1人の人間に縛られるつもりはない、とキッパリ紅鬼に言い渡したのである。
その時、紅鬼はただ悔し涙を流しながら、恋人をにらみつけていた。
その涙に応えるように、ミラルは「じゃ、ちょっと譲歩して男とは浮気しないよ!子供できちゃうからね。 そのかわり女とは自由にやらせてもらう」
紅鬼は唇を噛みしめ、こみ上げてくるものを押さえていた・・・
その姿を見てミラルは、
「もちろん、あんたも自由に相手を見つけていいんだよ、女ならね」
紅鬼が何も言わないので、さらに加えて「それじゃ、こうしよう。お互い浮気する時は連絡する。で、浮気相手を紹介しあって、同じ相手とセックスする。浮気じゃなくて、2人でいっしょに新しい愛の世界を冒険する!ってのはどう?」
紅鬼の涙は止まっていた。「なんか、ちょっと・・・ワクワクしてきた・・・」
ベッドの中で、夜烏子は呆れていた。「えええええ?」
「というわけで悪いんだけど、夜烏子さん。ミラルともHしてみる気ない?」
「イヤです!」という言葉が出てこないで、夜烏子は黙っていた。
そして3日後、再び夜烏子はラブホ「スケヴェニンゲン」でシャワーを浴びていた。
紅鬼は気をきかせて先に帰ったので、ミラルと2人きりである。
姉の美しい恋人・・・ 「美女で野獣」と称される濃い褐色の長身、みごとなスタイル。
長いダークブラウンの髪、マリンブルーの瞳、そしてトレードマークの左頬の2つの赤い星のタトゥー(通称ツインスター)。
今日はいつもよりしっかりと化粧をして、恋人の可愛い妹との逢瀬に興奮を隠せない様子。
まさに世界一の美女・・・
ボーッとして夜烏子は、アロマのような香りが漂う胸の中に抱かれていた。
「夜烏子、かわいいよ・・・ 紅鬼はどうだった?」
「どうだった、と言われましても・・・ 私も女性との経験は初めてだったので・・・」
「今日は紅鬼にもまだ使ったことのない、エクストリーム・バーニング・スクリーマーという技を味あわせてあげよう」
「ええええええっ」
だが、その後30分、ミラルは何も動きを見せず、抱きしめた夜烏子の顔を至近距離から眺めてるだけだった。
「あの、ミラルさん・・・ まだ、しないんですか・・・ 私、もう・・・」
脱衣所兼洗濯ルームで、夜烏子は目を閉じていた。
紅鬼はじれったそうに、「なんで回想をそこで止めるの?」
「18禁じゃないので、ここから先は回想できません!」
ここで紅鬼のスマホが鳴って、出ると真琴が「2人ともいつまでイチャイチャしてるの! 夕食準備手伝ってよ!」
「はーい、今すぐ」
夜烏子はあわてて服を着こみながら、「私がこんなに淫乱になったのは、ねえさんとミラ姉のせいだからね!」
紅鬼「普通キャラとか個性がないとか言ってるけど、なんだかんだでウチで一番エロくて変態なのは夜烏子なんだよね」
「むきーっくやしい!」
「ま、いいじゃない。これからも私の右腕として、よろしくたのむよ。意外と事務仕事のできる人、ウチにいないんだよねー。エクセルも使えないし」
「いや、さすがにエクセルくらい、みんな使えるよ! マクロは私しかできないけど」
2人でキッチンに急行しながら、
「マクロがなんだか知らんけど、たのむぜ妹!」
姫百合荘の豆知識(7)
姫百合荘の3階は通称「ローラさんち」、アリスンとローラの寝室、アン専用の寝室、トイレに洗面所、物置と衣裳部屋があります。
アンは将来恋人ができた場合に備えて、クイーン・サイズの大きなベッド。
ただし1人で寝るのを怖がるので、アリスンや真琴、湯香たちが交替で添い寝をする。(通称、アン当番)
3階は建物は半分だけで、残りは物干し場になっている。(ここでローラがたまにビーチチェアで日光浴をする)
最近の公立校の例にもれず、狸吉小学校も週休2日である。
土曜日の午前、ローラは自室で念入りにメークをしながら、ベッドで寝転がって絵本を読んでいる愛娘アンの、ドレッサーの鏡に映った姿を優しく見守っていた。
オールバックにしたうねる赤毛はうなじをこえる程度の長さ、濃い黒い眉、グレーの瞳、唇の左下のホクロはトレードマーク。
1/4中国人の血が入っているので、日本人から見て親しみを感じる顔かたち。
今日は午後から「女性専用バー 秘め百合」に併設された小さなエステサロンで、けっこうな重労働が待っている。
帰りは深夜、娘はもう寝ているだろう。
パートナーのアリスンが金銭的な援助はいくらでもしてくれるだろうが、娘の学費だけは、なんとしても自分で稼ぎたい。
それが母として自分にできる唯一のことだと思うから・・・
そのために遅くまで働くことになって、週4日は娘と直接のコミュニケーションは取れない生活。(技術の進歩のおかげで、会えなくてもメッセージのやり取りはできるが)
メイクがひと段落した母親が、「何読んでるのアニー?」
アンを「アニー」と呼ぶことが許されているのは、母だけである。
ベッドに腰かけ、今年7歳になる娘の、母と「父」から受け継いだ柔らかいニンジン色の髪を撫でてやる。
「図書館で借りてきたんだよ」
母の膝に甘える娘、絵本の表紙を母に見せる。
「どれどれ、なに・・・?」
ニギリッペ伯爵と従者ドヤガオン
「な、なんじゃこれはー!?」
ショックを受けるローラ、部屋を飛び出して
「アリスン!アリスン、ちょっと!」
パートナーに呼びかけるが、
「何さー? 今日は掃除シフトだから忙しいんだけど!」
と、そっけなく扱われてしまったので、次は
「湯香! 湯香はいないの?」
本日は休日シフトだが掃除を手伝っていた湯香、
「なんじょるのー?」とやってきた。
姫百合荘の大人たちではいちばん若く、いちばん背が低い。
短い髪を後ろで2つにしばり、「アライグマ」「レッサーパンダ」呼ばわりされる愛嬌のある顔だち。
純粋な日本人だが、一年中茶色く日焼けしている。
「マダーム、何か御用で?」
ローラは興奮して、「アンがすごくくだらなそうな本を読んでるんだけど!」
「なぜ私に言いますかね・・・ どれどれ」
ローラといっしょにアンの部屋へ、例の絵本を見てみる。
湯香「ああ、ニギリッペ伯爵か! これ今、子供に大人気でアニメもやってるよ。くだらないか、くだらなくないか、といえばくだらないかもしれないけど、とにかく子供は好きだし、しょうがないよ」
ローラは心配そうに、「もう少し、ためになる本読ませた方がよくないかしら・・・ ドストエフスキーとか」
湯香「あんたは子供のころ、そんな本を読んだのか!」
ローラ「うーん、娘に悪い影響があるんじゃないか、心配だなあ・・・ みんな読んでるなら仕方ないか・・・」
湯香「そもそも学校の図書館に置いてあったんだし、問題ないよ」
ここでアンがおもむろに立ち上がり、ベッドのわきにすっくと立った。
右手をお尻に当てて、ぷう~
「へをこいて」
その右手に包んだものを、左手の人差し指と中指で押し固め、
「おすしをにぎって」
その圧縮した何かを、母に向かって投げつける。
「にぎりっぺ!」
母は絶望のあまり蒼白になり、「アン・・・」
とつぜん湯香の胸ぐらをつかんで発狂、「あんたコレどうすんのよー!」
「なんで私に怒るんだよ!言いたいことがあるなら、娘に言えよ!」
「娘を叱ったら、私が娘に嫌われるでしょー!」
「このダメ親!」
第1話 おしまい