全ては箱庭の中
夢を見た。
夢の中では自分は鳥で大空を飛び回り、眼下に広がる世界を睥睨している。
町を、そこに住む人々を見下ろしながら飛び回るとまるで自分が王様になったかの様に感じる。
翼をはためかせ風を掴み、上昇気流に身を任せ風の流れに身をまかせる。
高揚していた。
なぜ自分は鳥になっているのか。どうやって飛んでいるのか。
そんな疑問はどうでもいい。
今はただ、重力という鎖から解き放たれたこの喜びを噛み締めよう。
次はどこへ行こうか。なにを見に行こうか。
一層翼に力を込め…
俺は手をベッドの角にぶつけた。
「…ぃったぁ…」
じんじんと熱くなる痛みが徐々に男の意識を夢から覚醒させる。
ぶつけた自分の手をじっと見つめながら数度開閉。
そこにもはや『翼』はなかった。
あるのはゴツゴツとし生まれた時からくっついてる手。
「はぁ…」
男はやるせない面持ちで深くため息を吐く。
夜中を通して部屋に滞った生ぬるい空気を追い出そうと窓を開け、外に出る。
途端、肌を刺すような冷気が男の顔を襲い、男の口から「ぬわぁっ」と気の抜けた声を漏れさせた。
男は寒さから体を縮こませながら空を見上げて昨晩の夢に思いを巡らせていた。
この大地の寒さとは違う、極寒ながらも心を満たしていくような妙な充実感。人の身のままでは決して感じることのできないあの陶酔をいつまでも感じていられたらいいのに。
「……」
はぁ、と自嘲の混じったため息をこぼす。
「まるで、意味がない。」
そう、こんな感傷に浸ったところでなにも意味のないことなのだ。
「わーーーー!」
耳元で大音量の叫び声を聞かせられて男は顔をしかめ、声の主の方へ顔を少しだけ向ける。
見なくてもわかる。子供の頃から毎日聞いてきた声だ。
「朝っぱらから近所迷惑だろ、伶奈」
「へへへっ、目が寝てたからね」
「毎日毎日、よくもまあ飽きないなあ」
そう、この少女は毎日この時間にあの手この手で俺を起こそうとするのだ。小さい頃は良かったものの18歳となった今では恥ずかしさが先行してしまい正直困っている。起きてこなかった日にはなんと家の中まで入ってきて叫び出した。
「それよりも、さっきのあれなんだったの?」
「あれ?」
「「まるで、意味がない」キリッ!」
「…見てたんかーい」
途端に顔が熱くなるのを感じる。確かに18歳にもなって中二病ゼリフを吐くのはないだろう。あんな夢を見たせいで少々センチメンタルになってたようだ。
「ってそんなことより急いで!学校遅れちゃうよ!」
「…残念だが俺はご飯も食べてなければ着替えも済ませていない。遅刻は回避不可能だ」
「ええー!」
「俺はもうダメだ。俺をおいて先に行け。」
「全然気持ちこもってないね!」
「こめてないから。」
「もう!そんなんじゃ表情筋死んじゃうよ!」
…笑顔、苦手だから…
玲奈は不満を顔に貼り付けつつ、また後で!とこちらを見ながら走っていく。
「あっ…」
不意に玲奈がくぼみに足を引っ掛け体勢を崩す。
頭からいく。
だが俺の焦りとは裏腹に玲奈はひどく落ち着いていた。
「よっちゃん、お願い」
玲奈が言うやいなや、その声に応えるかのように周囲の風が集まりラッパの形をなし、
風が駆け抜け玲奈の体をふわりと浮かせる。
玲奈はそのままラッパから吹き出る風を推進力に金色の粒子を撒き散らしながら空を駆けていった。
「精霊…」
俺は豆粒となったラッパをじっと見つめ呟く。
その奇跡が顕現したかの様な光景は何度見ても目を奪われ、そして羨ましく思う
「俺にも精霊が憑いてればなぁ…」
精霊。力の結晶。持つ者と持たざる者の超えられぬ差異。
信一は2度目のため息を吐き出す。
部屋にすごすごと戻り着替えながら朝食を口に放り込み、歯磨きをすませる。
仏壇の前に正座し、合掌する。
「行ってきます、母さん、父さん」
どんなに急いでいてもこれだけは欠かせない。
「急げ急げ」
玄関を飛び出し、落下。何メートルもある枝の上に着地する。樹の枝から枝へ。
際限なく広がる枝の道をずり落ちない様に注意しながら走り、飛び移り、また走る。
「ここらへんの整備はほんとずさんだなぁ」
まあしょうがないか、こんな大きさ、人間の手には余るもの。
ここは樹齢1万年を超える大樹の上に造られた都市、ハミールビットなのだから。
はるか昔、怒った神々が地上を海の底に沈めた時、生き延びた人間が造り上げた都市。
1万年前、まだちっぽけだったこいつの上に僕らの子孫が登って以来、誰も地上に降りられないでいる。




