伯爵令嬢は花の待ち人に選ばれる7
このあとに控える謁見も、基本的に爵位順である。その後、王族との謁見までしばらく時間がかかるとふんだジネブラは、再びクロエと壁の花となる。侍女の言いつけ通り、軽食を軽くつまむくらいにして会話に勤しむ。目の前で美味しそうにご馳走を口に運ぶ従兄弟と友人の兄の姿は極力視界に入れないようにしながら。
すると王族席のほうからざわつきが広がりだした。謁見が始まったのかと思ったが、横に居るライルは怪訝そうな顔を見せた。
「ライル?」
「おかしいな、謁見が始まったくらいでそんなにざわつく事はないんだけど」
年上のライルは何度か夜会に参加しているが、この光景は初めて見るというのだ。それを聞いたジネブラとクロエは、女の勘が働いたと言わんばかりに顔を見合わせた。
その時、丁度良く中央付近で野次馬していたであろう令嬢たちが通り過ぎてゆく。
「殿下、今から手袋を外されるそうよ!」
「謁見と同時に花待ち人もお探しになるのね!ああ、緊張するわ」
そう興奮冷めやらぬ様子で、会場を令嬢らしく静かに駆けて行く。その話がどんどん会場中に伝わり、一気に空気は戦場のそれになった。そう、「花待ち人選び」が始まったのだ。デビュタントの夜会とはいえ、今日のメインイベントは「花待ち人」なのだ。
それを聞いてジネブラはやはりそうだったとひとつ息を吐いた。選ばれないと分かっていながらも、緊張で顔がこわばる感覚がする。そんな様子のジネブラをみてクロエは面白そうに小さく笑った。
「ジネブラ、顔が固いわ。選ばれないなんで言っていた割りに、可愛いものね?」
「…そういう貴女は何故そんなに余裕をお持ちなの?クロエ嬢」
「選ばれたくなさすぎて無我の境地なのかもしれないわ」
そういって令嬢らしからぬにやりとした笑みをみせるクロエに、ジネブラも自然とこわばりが解けてゆく気がした。
その時だ、最初よりも大きなざわめきが会場を飲みこんだ。今度はいったいなんだろうとその方向に目を凝らすと、そこから一組の男女が歩いてきた。オルレアンス公爵と、ラヴィーニア嬢であった。その顔に笑みは見えない。ただ毅然とした態度で二人が進むたび、人ごみは魔法のように開かれてゆく。遠い場所に居たジネブラ達も、その姿が誰なのか分かった瞬間驚愕した。驚愕しながらも道を譲り、その美しいお姿が会場の外へ消えていくのを黙って見つめていた。
背中が見えなくなったと同時に、口を開いたのはクロエだ。
「選ばれたら、おそらくその場に留まられるわよね?」
「…ええ、そうだと思うわ」
「まさか…」
「…オルレアンス公爵令嬢様が…選ばれなかった?」
一番選ばれると思われていた公爵令嬢が花待ち人ではなかった。その事実が収まることのない同様とざわめきを生んでいた。オーケストラの伴奏がかろうじてその空気を保っていたものの、それがなければ高貴さは二の次といった様子で夜会は混乱を極めている。先ほど余裕を見せていたクロエも些か動揺した様子で、苦笑いを浮かべていた。
その混乱中でも、謁見はどんどん進んでゆく。しかし一向に花待ち人は現れない。
だれが、花待ち人なのか。待っている間、ジネブラは全く思い浮かばなかった。順番がどんどん進んでゆくけれども、前から戻ってくる面々は一同に落ち込んでいたり悔しがっていたりと、お世辞にも良い表情ではない。
「ジネブラ、大丈夫かい?」
「大丈夫ですわ、一応。選ばれる方が気になって」
「…まだ、君の可能性は0なのかい?」
「ええ、そこは揺らぎませんわ」
「そう、残念」
本気で残念そうな顔をしたライルを不思議に思いながら、進む列に並んでいる。
刻々と時間がたち、前の令嬢も花が咲くことはなかった様だ。ついにジネブラたちの番になった。緊張したまま頭を下げ、最上の礼をとって王族の前に進み出る。
ライルが、静かに口を開いた。
「コルティ伯爵家が嫡男、ライルと申します。今宵はお目にかかれますことを大変嬉しく存じます。」
続けて、ジネブラも震える声を律し、凛と声を発する。
「アルベリーニ伯爵家が長女、ジネブラと申します。お目にかかれましたこと、大変嬉しく存じます」
どうにかいい終わりほっとするのもつかの間、国王から表をあげよとの声がかかり、ゆっくり顔を上げる。
目の前に並ぶ美しく高貴な面々に、ジネブラは今日一番の緊張を感じた。隣のライルの存在がなければ倒れていたかもしれない。そんな気持ちをひた隠しにしながら、ジネブラは淑女の仮面を崩さない。
「うむ、大儀である。デビュタントを迎えた花よ、我が妃と王子に顔を見せてやってくれまいか」
「はい、陛下」
陛下の言葉に従い、ジネブラは正妃、側妃の順に淑女の礼をとって微笑みを見せる。
次が、クリストファー殿下だ。
淑女の礼をとり、静かに顔を上げる。
美しい紅の瞳と、視線がかち合う。そのままジネブラは、小さく微笑んだ。
その時だった。
「…えっ?」
まるで時が止まったようだった。
クリストファー殿下の手が、温かく、それでいて神聖な白い光に包まれた。
その光が止む。
その手には、キラキラと輝きを放つ、美しく清廉な百合の花が咲いていた。