伯爵令嬢は花の待ち人に選ばれる6
扉が開き、衛兵に護衛されながら数人の見目麗しい男女が入場する。入場したのは国王、正妃、側妃。そして今宵の主役とも言えよう第二王子クリストファー殿下であった。それを誰もが最上の礼をもって出迎える。
「皆、表を上げよ」
王座に腰掛けた王の放つ、たった一言にも拘らず物凄い威圧感を纏ったその言葉に、皆姿勢を正し視線を上げる。ジネブラもそれに習い、緊張しながらも今しがた入ってきた王族の方々を不躾にならないよう見つめた。
それぞれが専用の華美な席へ優雅に腰掛けている。国王と王子は王族としての正装を纏い、二人の妃は思い思いに美しく着飾っている。その中でも女性の視線を集めるのはやはり王子であるクリストファー殿下だ。
(…あれが、黒百合殿下)
噂に違わぬ美しさだ、とジネブラは思った。漆黒の御髪はサラリと揺れ、燃えるように紅い瞳は本物のルビーのように美しい。表情こそ無表情で何を考えているか分からないが、端正な顔立ちは無表情であれ魅力的であるしそのクールさも人気だという。王族の正装である純白の生地に金の糸による装飾があしらわれたタキシードを身につけていることもあり、その様は正に王子だ。その手にはまだ手袋が付けられている。何時はずすのかは不明だが、その時を周りの令嬢は今か今かと待ちわびているはずだ。
すると、再び国王が口を開く。
「皆良く集まってくれた。大儀である。さて、今宵は我が国の未来ある淑女たちのデビュタントでもある。まずはその者らを舞台に上げようではないか」
国王の視線を受け、一人の男性が前に進み出る。秘書官だろうか。
「これより国王陛下からからご祝辞を頂きます。名前を呼ばれたものは前へ進み出るように」
その言葉を皮切りに、爵位順に一人一人呼ばれて王族の前に並んで行く。王子の手前、皆この短い時間で印象付けるかに賭けているようだ。同じ白いドレスでも皆個性が光っているおり、進む姿も意識しているのか少しずつ違うようにも思う。微笑んでいたり感情を消していたりと表情も様々だ。
「ジネブラ・アルベリーニ伯爵令嬢」
「ジネブラ、行こう」
「ええ」
呼ばれたのが分かると、ジネブラはライルにエスコートされながら中央へ進んでゆく。伯爵家のジネブラはおそらく参加者の中では下位の爵位であるため、呼ばれるまでわずかに時間がかかったが、その時間が合って良かったように思う。おかげで緊張が少しほぐれたようで、ジネブラは姿勢を正ししなやかに歩いた。「常に姿勢と言葉は美しくあれ」、それが社交界の花である母ルイーゼからの教えである。その立ち姿がある程度の視線を集めているのだが、本人は気づかない。
しかしジネブラのポジションは何の因果か、クリストファー殿下の正面だ。再び緊張が彼女を襲う。前を向いていれば、自然と目が合ってしまうのだ。ジネブラは緊張しながらも、不敬にならぬよう少し微笑んだくらいにして視線を外した。あの美貌と目を合わせ続ける忍耐力はないのだ。視線を外されたと感じたであろうクリストファー殿下がどんな表情をしているか、確かめる勇気も、ない。
しばらくして全員並び終えると、国王が徐に席から立ち上がった。国王はフロアに集まる令嬢を見渡し、表情を和らげた。まるで娘を見守る父のような眼差しだ。
「美しく聡明な我が国の花たちよ。今日という迎えられたのは、誰のおかげだろうか。皆を慈しみ愛をもって育てあげた父や母。そして我々に付き従い、懸命に生きる民のお陰であることを忘れてはならない。貴族とはどんなものか。それを忘れてはならないのだ。」
まだ40半ばという国王の言葉は深く、そして温かい。
「常に自分を正し、人を愛し。清く美しくその花を何時までも咲かせ続けてほしいと私は願っている。今宵を迎えられたことに祝いの言葉を述べよう。おめでとう」
そう締めくくられた言葉に、会場中から割れんばかりの拍手が鳴り響く。ご祝辞を頂いた淑女たちは、思い思いに受け止め、深く一度礼を返した。
「さあ、宴を始めようではないか」
その言葉を皮切りに、オーケストラの音楽が始まった。デビュタントの面々も静かに中央から下がり、おのおの好きな場所へ散ってゆく。
国王の前には謁見を求める人々の列ができていた。この後は各自歓談をしながら、王家への謁見の時間を待つことになる。
「素晴らしかったわ…ねえライルもそう思うでしょう?」
「ああ、流石名君と名高い陛下だ」
ジネブラも下がりながら、先ほどの国王の言葉を反芻していた。短いながらも、訴えかけるような祝辞に心打たれたのは私だけではないだろう。両親や領民を思い少し視界が滲んだのを誤魔化そうと、ジネブラは目元を指で一度ぬぐって視線をしっかり前に向けた。