伯爵令嬢は花の待ち人に選ばれる3
あっという間に時間は過ぎ、今日は王家主催の夜会の日になった。開始は夕刻なのだが、主役であるジネブラは朝より動き出していた。
湯浴みや全身エステでコンディションを整え、艶やかな髪と滑らかな肌に。昼食もそこそこに出席者名簿の最終確認をし(挨拶をして名前が分からないなどの失礼はご法度だ)。その後は元々細いウエストをコルセットでこれでもかというほど締め上げ、真っ白なデビュタントのドレスに着替える。ちなみにジネブラのドレスは光沢のあるシルクにレースで装飾された、オフショルダーの極めてシンプルな物だ。Aラインで楚々とした印象をもたらす、デビュタントにぴったりのものを選んである。
さらにその装いにあわせて髪を結い上げ、華美すぎないよう気をつけながら化粧を施す。菫色の瞳に合わせたメイクは、彼女の魅力を引き立てる。
と、ここまできて既に時計の針は15時を回っていた。侍女であるリリーの「終わりましたよ」という言葉を聞いて、ジネブラは回りも気にせず思いっきりため息をはいた。それをみたルイーゼはくすくすと笑う。
「お疲れ様ね」
「拷問ですわお母様。コルセットが苦しすぎます、緩められないかしら」
「無理にございますお嬢様」
「お願いよリリー、これじゃご飯も食べられないわ」
「淑女たるもの、お腹が膨らむまで夜会で召し上がるものではございません」
「…」
「これからはこれが毎回なのよ?今からこれじゃ先が思いやられるわね」
そういわれてジネブラはあからさまに肩を落とした。ただでさえおしゃれに興味の無い彼女にとって、準備から何から耐えられるものではなかったのだ。これが毎回?冗談はこのコルセットのきつさだけにしてくださいませ。
「もう、夜会が楽しみではなかったのジネブラ。少しばかりわくわくしていたじゃない」
「あれは、どの方が花の待ち人に選ばれるかが楽しみでしたので」
「自分ではなくて?」
「ありえませんもの」
何度目かのやり取りにルイーゼは呆れたように笑いながら、手に持っていた物をジネブラの頭に載せた。キラキラと輝くそれは、小さいながら美しいティアラであった。ところどころにダイヤが散りばめられている。
デビュタントでは白いドレスの他に、このティアラを身に着けることが通例であった。
「本当に完成ね。綺麗だわ、ジネブラ。旦那様にも見せたいのに、こういう日に限ってあの人はお仕事なんですもの」
「ええええ、まことにお似合いですお嬢様」
そういって褒める二人を横目に、ジネブラも全身鏡で自身の装いを目に入れた。そこに映るのは、いつものジネブラではない。光り輝く様は、見事なものであった。
「…これが私?」
「そうよ、見違えたわ」
「…リリーの技術ですわね」
「またそんなこと…自信を持ちなさい、ね?」
ジネブラ自身、鏡に映る自分が自分とは思えないくらい、今日の装いは完璧であるように思った。しかし一度その鏡に母ルイーゼが映りこめば、その顔は驚愕から憂いに変わる。着飾らずとも、美しい。
(…みすぼらしくはないわ、大丈夫)
どうしても自身のもてないジネブラは、曖昧な笑みを浮かべるに留まった。
***
しばらくして、アルベリーニ家の執事が訪問者を告げにジネブラたちの居る部屋までやってきた。準備を終えて一息ついていた彼女たちは、おもむろに紅茶のカップをテーブルに置く。
「ライル、もう来たの?」
「はい奥様。ライル様は馬車でお待ちにございますので、お嬢様はお支度を」
「ええ、分かりました」
そうして玄関に向かうと、そこには正装に身を包んだ青年が立っていた。ジネブラと同じダークブラウンの髪に菫色の瞳に、これまた整った顔をしている。青年はジネブラの姿を見るなり、その顔に爽やかな笑顔を浮かべた。
「ジネブラ、デビュタントおめでとう。今宵の君はまるで妖精のようだね」
「…ありがとうございます。でもお戯れはおよしになって?ライル兄様」
「ははっ、ごめんごめん。でも本当だよ?」
そういって笑みを深くした青年、ライル・コルティにジネブラは呆れたように笑う。
彼はジネブラの従兄弟であり、父グレイグの妹、シャルロット・コルティ伯爵夫人の息子である。ジネブラの三つ歳上で、幼少期から親交があり、まるで兄妹のように育ってきた。見た目の色が同じであることもあり、実の弟のステファンより兄妹らしく見えてしまうこともある。
「ライル、今日はジネブラのエスコートを頼みます」
「ええ、お任せを」
そんな彼は、今日はジネブラのパートナーとして夜会に参加することになっていた。本来であれば婚約者・または親兄弟が勤めるのだが、グレイグは生憎仕事であるし、弟のステファンはまだデビュー前だ。そこでデビューが済んでいて気心の知れたライルに依頼したところ、二つ返事でOKがきたのだった。
「さあ、そろそろ行こうか。今から馬車で向かえばちょうど良いさ」
「ええ」
世間話も済んだ頃合で、丁度良い時間になった。
差し出された手に、ジネブラはそっと手を重ねる。手はそのまま、ルイーゼのほうに振り返った。
「行って参ります」
「ええ、良い夜をね」
ルイーゼの言葉にしっかり微笑み、ジネブラは馬車に乗り込んだのだった。