伯爵令嬢は花の待ち人に選ばれる1
「まあ!なんと幸運なことでしょう!喜びなさいジネブラ!」
ここはとある貴族のお屋敷。その一室でに手紙を片手に嬉々として喜ぶ女性がいた。その振る舞いは表情こそ破顔しているが、貴族としての振る舞いを忘れていないため美しい所作だ。そんな女性もとい、自分の母親を呆れ半分尊敬半分で見つめる少女がひとり。
彼女の名前はジネブラ・アルベリーニ。フィアンリース王国の伯爵家、アルベリーニ家の長女である。
彼女の手には母親が持つ手紙の封筒のみが握られており、その質の良い白地の封筒には、この国では王族だけが使用できる「百合の花」が描かれていた。
ジネブラは今年16歳。この国では16歳を迎えた貴族令嬢は王国主催の夜会でデビュタントを飾る。正式に社交界へと足を踏み入れるその夜は、貴族の令嬢の憧れだ。その招待状がたった今、このアルベリーニ家に届いたのである。手紙の受け取りこそジネブラだったが、その中身は早々に母である伯爵夫人ルイーゼに渡り(正確には奪われ)、そして冒頭に至るのだ。
「クリストファー殿下が初めて手袋を外されるなんて…!これは我が家からも”花の待ち人”が出るかもしれないわ!」
「…それは流石に、無いと思うわお母様」
はて、デビュタントの年齢に達した貴族であれば必ず届くこの手紙。憧れの強い令嬢本人が喜ぶのはともかく、どうして伯爵夫人がこんなにも喜んでいるのか。それには立派な理由がある。
それが分かっているジネブラの頭には、今話題の王子様の顔が浮かんでいた。
フィアンリース王国は名君と名高い現陛下の庇護の下、近年大きな争いも無い比較的平和な中規模国家だ。そして現在、この国には王子が二人いる。第一王子であり側妃様の御子、さらに王太子のアルフレッド殿下。
そして先ほど話題に上がった第二王子であり正妃様の御子であるクリストファー殿下だ。
二人とも見目麗しく教養もあり、武術の心得もある。それぞれの御姿と王家の花である百合をもじり、金色の髪にエメラルドグリーンの瞳のアルフレッド殿下は白百合殿下、漆黒の髪にルビーの瞳のクリストファー殿下は黒百合殿下と呼ばれ慕われているのだ。
そんなお二方の婚約者の座は未だ埋まっておらず、熱い視線を送る令嬢は数知れない。彼女たちの口癖は「殿下の花の待ち人になりたい」だ。
実は「花の王国」と名高いフィアンリース王国。この国がそう呼ばれるのには、それに相応しい現象があるからだ。それはいわゆる「花嫁選び」なのだ。
その名も「花の待ち人」
それは王族の王子のみに起こる現象で、王子にとって運命的に相性の良い相手に出会った瞬間、王子の手から百合の花が咲き誇るというものだ。なんともロマンチックである。
花が、運命の相手が王子に出逢う事を待っている、だから花の待ち人だ。ちなみに原理は不明。歴史書によれは初代国王の王妃様が花の待ち人だったという記載があるから建国当初から起きているようだが、定かではない。とはいえ魔法の存在しないこの世界においてこの現象は紛れも無い奇跡とされ、さらにはそのロマンチックさから国民だけでなく他国にもよく知れ渡っている。なんなら数代前の国王の平民女性が花の待ち人になった話は有名で、書籍化されたりオペラとして現在も人気演目として存在しているくらいだ。
ジネブラは書斎にある本棚の中から、その物語が書かれた本を手にとってパラパラと捲った。「花の待ち人~太陽の君~」というタイトルがついたこの本は父からいつかの誕生日にもらったものだ。当時夢中になって読んでいたことを思い出す。王子様に選ばれる、こういう話は幼い女の子の憧れだろう。
「手袋を外される、ということはとうとう本格的に妃候補をお探しになるのね」
「そう捉えて良いでしょうね。手袋が無いということはいつお花が咲かれてもおかしくないもの」
ちなみにこの花の待ち人、王子様本人が手袋を嵌めている時は発生しない。これも理由は分からないが、王家にとっては好都合とされている。
「妃を探すと決めた以上、身分で躓くのは御免でしょうから。だからこのデビュタント、つまり伯爵家以上の令嬢が集まる夜会で手袋を外すことになさったのでしょうね。それ以下のお家柄、ましてや平民から選ばれることのないように」
「シルビア王妃のようにはいかないでしょうしね…」
なぜならこれは身分に関わらず平等に機会が与えられるもので、それこそ平民からだって待ち人は現れてしまうのだ。貴族であればまだどうにかできるが、平民であれば生活環境も何もかも違うため、王子を支え振る舞いなど国の模範となる妃を務めるのは極めて難しい。さらに貴族たちからの反発も起きるだろう。実際何度か平民相手に花が咲いてしまったことがあるが、様々な困難の前にその花はなかったこととされ、別の妃が迎えられている。花待ち人が必ず妃になるわけではないのだ。
そのような余計な争い事を避けるためにも、王子は基本的に手袋を着用していのだ。
今のところ平民から選ばれ、王妃にまでなったのはオペラ演目にもなった数代前の王妃であるシルビア妃のみだ。この王妃様は平民ゆえ幾多の困難に巻き込まれるものの、最終的にさる高貴なお方の御落胤であることが分かり、無事王妃となり民に愛されるという結末を迎えている。ちなみに待ち人になった理由は、お相手の国王様が下町にお忍びでお出かけされた際に手袋を付け忘れたから。
…兎にも角にも、王子が手袋を外されるということは、結婚相手を探していると言っているも同然なのだ。
そして今回、これまで一度も手袋を外されたことは無かった第二王子であるクリストファー殿下が、ジネブラのデビュタントの夜会で手袋を外して参加すると、招待状には書かれていたのだ。娘には良いところに嫁いでもらいたい母ルイーゼは、だから冒頭のように喜びを顕にしていたのである。