導入3
場面を少々変え、N.ギャリソン通りよりW.アーミテッジ通りへと続くハイウェイにて。
シャーロット・ホームズは酷く焦っていた。
何度も飛びそうになる帽子を片手で必死に抑え、愛車のスピードをガンガン上げて、猛烈な勢いでメインストリートを突っ切る。
道端で休んでいた警察官がコーヒーを吹き出し、懸想を変えてこちらに向かって何か叫んだ気がするが、聞こえない振りをした。
ごめんなさい、巡査さん。今はそれどころじゃないの!
彼女は内心で小さく謝った。
腕時計をちらりと覗くが、時間が変わるはずもなく――約束の時間はとうに過ぎていて、1時間以上の大遅刻だった。
どうしてこういう重要な日に限って、寝坊なんかするのかしら!
シャーロットは下唇をぎゅっと噛んだ。
今日は彼女が立ち上げる予定の探偵事務所の従業員、つまり探偵助手の面接を行う日だった。
――有能な探偵の裏には必ず有能な助手の姿あり。名探偵を目指すシャーロットにとって、これ以上大切な日はなかった。
お小遣いの貯金を半分以上もはたいて新聞や町の掲示板に馬鹿デカい広告を載せたし、何週間も前からビラを配って回ったし、行きつけの喫茶店の店長に散々頭を下げて、何とか店を会場として借りた。
それがすべて台無しになりかけているなんて信じられない!
シャーロットは迂闊だった昨日の自分が許せなかった。
いくら推理小説の続きがきになってしまったとは言え、なぜついつい深夜まで読み耽ってしまったのだろうか。しかもいつの間にか寝てしまうし、次に目を覚ました時には太陽が高く昇ってってるし――そこから急いでトーストと目玉焼きと牛乳を平らげ、化粧をし、髪型を整え、いつもの三分の1の時間だけ服装について悩み、家から飛び出した頃には何もかも手遅れのように思えた。
――どうか面接に来た人たちが帰っていませんように!
シャーロットはそう祈りながら、愛車のアクセルをさらに踏み込んだ。
何とか目的地へ到着したのは、それから5分後だった。
シャーロットがゼーハーと淑女らしくない荒い息で喫茶店の裏口をくぐると、小太りした中年の男性――店長であるジョシュア・マクドナールとばったり出会った。
彼は怪訝そうな顔で彼女に声をかける。
「おいおい、シャーロット。
今何時だと思っているんだ。約束と違うだろ」
「ご、ごめんなさい!マクドナールさん…それが、その…寝坊してしまいまして…」
「…はぁ」
マクドナールはあまりのことに思わず呆れた。
数週間前から毎日毎日この日のことを待ちわびてたのに、よくまぁ寝過ごせるものだ。
「お前ってやつは…採用者のほうが遅刻してくる面接なんて聞いたことないぞ。それも1時間30分。こりゃあ、明日の新聞の三面記事は決まったようなもんだな」
「うぅ…」
シャーロットは落ち込んで項垂れる。
ぐぅの音も出なかった。名探偵を目指すものとして、まさかこんなミスをするとは…
「本当に申し訳ないです…
それでその…今こういうことを聞くのも何なんですが…
希望者って来ているでしょうか?」
「ああ」
マクドナールは肩を竦めて答えた。
「一人だけならいたぞ」
え?
一人だけ!?
シャーロットはその言葉にしばらく石のように固まった。そして
「ええええ!?うそぉ!一人しか来ていないんですか!?あんなに宣伝したのに…」
悲しい知らせに、悲痛な声を上げた。
お洋服やお菓子を我慢して、貯金したあのお金は何のために消えたのだろうか。
彼女は萎びた花のように小さくなった。
「残念ながら、な。
まぁ、むしろよくあんな勇敢なヤツがいたもんだと感心したよ。
この町でお前さんのオヤジさんを知らないヤツはいないからな。
命知らずなもんだ」
「あああああ、…もうまたパパのせいで…
で、ですが、一人はいるんですよね!
それならもうその人に…」
「待て待て、人の話はちゃんと聞け。いた、過去形だぞ」
「へ?」
シャーロットは思わず再度固まった。
「そいつは今さっき、待ちくたびれて出ていったよ」
「え。えぇぇ――!!何で引き留めてくれなかったんですか」
「引き留めたさ。コーヒー何杯出したと思う?でも別の面接の予定があるからって帰ったよ。2、3分前かな」
「そ、そんなぁ…」
ショックのあまり、シャーロットは力なく地面にへたり込む。
自業自得とは言え、流石にあんまりな仕打ちはではないでしょうか
いまの就職事情は買い手市場だと聞いているから、絶対沢山集まってくれると思ったのに…
退役軍人とか、元刑事とか、ロシアの亡命貴族、東洋の暗殺者とか…選び放題だと思ってたのに…
マクドナールはそんな彼女を見て、やれやれと苦笑いを浮かべた。
「そんなくよくよするな。名探偵。
今なら走れば追い付くかもしれないぞ」
あ!
「本当ですか!?」
シャーロットはがばりと勢いよく身体を起こした。
地獄に垂れた蜘蛛の糸に縋るような気持ちだった。
「あ、ああ」
マクドナールは彼女にやや気圧されながら答えた。
「ボストンまで行くと言ってたから、電車の駅に向かってるんじゃなのか?11時30分の便に乗るため」
「…そうか…そうですよね!
探偵はあきらめちゃだめですもんね!
ありがとうございます!マクドナールさん。あなたは本当にいい人ですね!!」
シャーロットはマクロナールの手を掴むと、ブンブン振り回しながら感謝した。そして――
「見ててください!きっと、その人を連れて戻ってきます!」
そう言うや否や、放たれた矢の如く凄まじい勢いで喫茶店を飛び出した。
「待っててください!私の助手さん~~!」
……
「ふん…」
残されたマクドナールはしばし沈黙したあと、ボサボサなあごひげを掻いた。
「いい人ね…ッケ。忌々しい」
彼は思わず馬鹿にするような嗤いを浮かべながらこう呟いた――
「あの親父がいなかったら、誰がお前みたいな小娘なんかに…」
…そういえば。
アイツ。追い付けたとして、面接に来た野郎の顔分るのか?
…
まぁ、俺には関係ないか。
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