魔王様の覚悟
「わかりました。認めましょう。あなた方の婚約は双方合意の上で成り立っていると」
よく通るその声を合図に、場はしんと静まりかえった。
評議会のお爺さんたちは、お前何言ってんの!?っていう顔をして慌てている。けれど、私は警戒を解かずにその人を見つめる。だって、そんな簡単に認めてくれるわけがない。
「だから、貴方は彼女の平穏を脅かした我々に憤っているのでしょう?」
「……ああ、そうだけど」
「しかし、それは本当に我々の責任なのでしょうか」
案の定だった。この期に及んでもやっぱり何か企んでいるみたいだ。
また、空気が変わる。この場の支配者は彼に取って代わられた。人の心を惑わす話術。フードくんを思い出す。あれは多分、彼の師匠にあたる神官長の直伝の技術なんだろう。
「我々が彼女に手を出さないと約束したとして、果たして彼女は本当に平穏に過ごせるでしょうか」
「何が言いたい」
「彼女が狙われるのは、そもそも貴方のせいでは?」
この人は、何を、言っているのか。
「貴方は世界の脅威だ」
「違います!!」
思わず声を張り上げて否定した。ヴェルドさんが私を助けに来てくれてからこうやって何回も何回も彼を傷つける言葉を投げつけられて、それでも彼は黙って耐えている。
神官長がそう言うだけならまだ良かった。神官長には他の目的があるから、ヴェルドさんが本当はどういう人なのかは興味ないんだろうから。けど、世界のためだとか言って、ヴェルドさんに化け物を見るような目を向けるひとたちが、私は許せなかった。
その気になればこの場の全員を一瞬で殺すこともできる彼が、そうしないのは一体何故だと思っているのか。
「聖女様。世界を滅ぼす力の歯止めは、彼の良心だけでは足りない。それを信じられるのは貴女だけだからです」
「!」
見透かされている。私の心も民衆の心も神官長は熟知していて、その上でそれを利用して、自分の思う通りに事を運ぼうとしている。賢い人なんだろう。失伝した禁術を復活させるくらい魔法にも精通している。
でも、それをこんな風に使うなんて。
「貴女が彼をどう思おうと、彼がいる限り人々の不安はなくならない。そして貴女は聖女として求められ続けるでしょう」
違う。例えそうだとしても、それはヴェルドさんのせいなんかじゃないのに。
焦るな。落ち着け。私が冷静さを失ったら駄目だ。それこそ神官長の思い通りになってしまう。
そう、わかっているのに。
「彼女を本当に思うのなら、貴方はこの世界に存在するべきじゃない」
それはつまり、彼に死ねという意味で。
ぷちん、と何かが切れるような感覚がして、私は生まれて初めて明確な攻撃の意思を持って魔法を構えた。
「セイラ」
「!」
その手を掴んで止めたのは、ヴェルドさんだった。落ち着いたその声を聞いて、頭に上りきっていた血がさあっと引いていく。彼の方へと目を向ければ、凪いだ赤い瞳がじっとこちらを見つめていた。
「大丈夫。俺は大丈夫だから、落ち着け」
「だって……」
「うん。ありがとうな、怒ってくれて」
私を宥めるように笑う彼を見ていたら、涙が出た。
悔しい。どうしてこんなに優しい人が、こんな仕打ちを受けなきゃいけないんだろう。たまたま世界を滅ぼせるくらいの力を持って生まれてしまっただけで。
私の目尻に滲んだ涙を指で軽く拭って、ヴェルドさんはまた口を開く。
「何を言い出すかと思えば、そんなことかよ」
それは神官長にも負けないくらい、はっきりとした声だった。さっきまで眉ひとつ動かさなかった神官長の表情がほんの少しだけ厳しくなる。
「そんなこと、お前なんかに言われずともとっくに知ってる。俺がこういう風に生まれたから、俺を制御するためにセイラに聖女の力が与えられた。俺がいるから人間共は聖女を求める。全部俺のせいだよ」
「ヴェルドさん……?」
神官長に同意するようなことを言うから、不安になって彼を見上げる。けど、真っ直ぐに神官長を見据える彼の姿はすごく堂々としていて、迷いがなくて。
「俺は本当にセイラの傍にいていいのか、何回も何回も嫌になるくらい考えた。けど、俺が消えたとしても、結局お前らは人間同士で争うだろ。そうしたらもっと酷い聖女の取り合いになる。違うか?」
「それは……」
神官長が初めて言葉に詰まる。フードくんに聞いた話によれば、彼は私を魔族との戦争に使い、その後は魔族を使って人間界で他国と戦争をするつもりだったのだから、図星もいいところである。
「セイラが聖女の力を持ってしまった以上、俺がいてもいなくても狙われるのは確定してる。だったら俺が傍にいて一生守る。それが一番安全だろ。俺より強い奴なんていないんだから」
「ヴェルドさん……」
そんな、プロポーズみたいなことをこんな公衆の面前で。思わず顔が熱くなる。
「そもそも、俺と一緒にいるのが幸せだって他でもないこいつが言うんだから、俺はそれを叶える以外有り得ねえんだよ」
ずるいなぁ、と思う。彼はいつも堂々とかっこいいことを言ってくれるものだから、私はどきどきさせられっぱなしで。
「……なぜ、そこまで彼女を」
信じられない、といった調子で神官長がそう尋ねた。ほら、ヴェルドさんのあまりの男前っぷりに神官長ですら気圧されている。
「生まれてきたこと自体間違いだったんじゃないかと思うような、世界から拒絶されているような感覚、味わったことがあるか?」
誰も答えなかった。そりゃそうだ。そんなのあるわけがない。ヴェルドさんも端から肯定が返ってくることを期待なんてしていない。不敵に笑った顔を少しだけ緩ませたヴェルドさんは言葉を続ける。
「セイラといるときだけ俺はそれを忘れられる。ただの男でいられる。この泣きたくなるくらいの愛おしさは、お前らには一生わかんねーよ」
静かで落ち着いた、けれど力強い声だった。
その優しげでもあり、切なげにも見える表情には見覚えがあった。私に触れるとき、彼はたまにこの顔をしている。思わずぎゅっと後ろから彼にしがみついた。腰に回した手に彼の手が重なる。
いつもこんなことを考えていたのかな。こうして彼の胸裡を知る度に、私は心臓が苦しくなって、たまらなくなる。この感情を表す言葉を、私は持ち合わせていなかった。けれどただひたすら、彼のことが好きだと思った。
「帰るか、セイラ」
ヴェルドさんに圧倒されて、周りがしんと静まり返ってしまった中、彼はそう言った。一旦彼から離れて、顔色を窺う。なんだかスッキリしたような、憑き物が落ちたような表情だった。
「いいんですか?」
「ああ。これ以上は時間の無駄だろ。それにもう覚悟は決まった」
そんな会話を交わしていると、部屋の外の野次馬が俄に騒がしくなる。何事だろうか。
私とヴェルドさんはその喧騒の方へと視線を向けた。
「お兄様、お話があります」
凛とした声が響き渡った。
いつの間にか姿が見えなくなっていたフードくんを後ろに従えたアリシアさんがそこにいた。
どうやら私たちはまだ帰れないらしい。




