魔王様、降臨
「どうも、うちの婚約者が世話になったな?」
その場の誰もが動けずにいた。神官長も、フードくんも、いつの間にか集結していた他の神官たちや兵士も。
脇目も振らず、駆け出す。
身の安全とか、周りに人が沢山いる状況とか、そんなことはどうだってよかった。
「ヴェルドさん!!!!!」
「セイラ」
人目も憚らず彼の元へと飛び込めば、思っていた通りに受け止めてくれる。存在を確かめるようにしっかりと抱きしめた後、大きな手が私の頭をゆっくりと撫でて、愛おしい感触に思わず涙が出た。
「泣くこたねーだろ」
「だってぇ……なんでヴェルドさんは泣いてくれないんですか……」
「お前が泣くからタイミング逃した」
「じゃあ泣きやみますから泣いてください」
「無茶言うな」
ヴェルドさんの服を汚してしまってはいけないので、彼の胸の辺りに押しつけていた顔を一旦離して、苦笑している彼を見上げる。鼻を啜れば、ずび、と変な音がした。
「ヴェルド、さん」
「ん?」
ぐちゃぐちゃになった私の顔を、どこからか出したハンカチで綺麗にしてくれている彼の名前を呼べば、優しく返事をしてくれた。ぎゅっと彼の服を掴む力を強める。
「会いたかったです」
「ん、俺も」
「きてくれると、思わなかった」
「行くよ、お前がいる所ならどこでも」
どうやってみつけたのかとか、結界はどうしたのかとか、気になることはたくさんあったけど、そんなことよりも今は助けに来てくれたことが、彼に触れられることが嬉しくて、その気持ちを伝えるだけで精一杯だった。
「でも、結界、あるって聞いてたから、ヴェルドさん来れないと思って」
「うん」
「ヴェルドさんに頼ってばかりじゃダメだって思って、わたし、自分で頑張らなきゃって」
「うん」
「頑張ったんです、あとすこしだったの」
支離滅裂な私の話に相槌を打つ声も、触れる手も全部が優しくて。ここに連れ去られてからずっと、負けないように、気持ちが折れないようにと張ってきた虚勢がぼろぼろ崩れていくのがわかった。
「ごめんな、遅くなって。怖かっただろ」
「怖かったよ〜〜〜〜〜」
「また泣いた」
折角綺麗にしてもらった顔をまたぐちゃぐちゃにしてしまったので、さっきのハンカチをお借りして今度は自分で綺麗にする。
「あとさっきの前髪かきあげるやつ大変かっこよかったのでもう一回やってください……」
「さてはお前結構元気だな?」
そんなことないです。今元気出ただけです。
ふと、視界の端で神官長の手が微かに動くのを捉える。
「――動くな」
危ない、と私が声を発するよりも先にヴェルドさんがそう言った。水を打ったようにその場は静まり返り、緊張感が走る。ヴェルドさんは私の視界を遮るように抱き寄せて、言葉を続けた。
「下手な動きをするなよ。ここにいる全員、俺に命を握られてると自覚しろ」
さっきまで私に話しかけていた人とは別人みたいな声。魔力の圧も突き刺すような鋭さを持っている。
ここまで明確に攻撃の意思を持って発されたものは、私の魔力でも中和できない。多分、私以外は恐怖でまともに動くことすらできていないはずだ。
途端に空気が張り詰めて、私まで少し背筋が寒くなる。バカ王子相手に見せたものともまた違う、凍てつくような殺気だった。
さっき目隠しをされたのは、多分彼のこういう一面を私に見られたくなかったからだ。
「ヴェルドさん」
そっと手を握った。
ヴェルドさんは魔王様だから、誰かを、何かを守るためにこういうことをしなきゃいけないときがある。きっとその度に自分と周りの差を見せつけられてきた。
本当は彼自身が一番こういうことをしたくないと思っているはずなのに。
だからせめて、私がそばにいるよって伝えたくて。
「……ありがとう」
小さくそう呟いた後、ヴェルドさんは私の手を握り返してくれて、そのままぐるりと周囲を見渡す。そしてある人物に目を向けた時点でそれを止めて。
「あ? なんで魔族がこんなところに……いや、違うな。お前、何者だ?」
ヴェルドさんがフードくんをすごく観察しているのを私は固唾を飲んで見守る。魔王様に間近で見竦められて彼は何も言葉を発せずに固まっていた。
「――ああ、なるほど。お前だな、セイラを攫ったの」
「!」
途端に空気がピリついて、フードくんの体が強張る。これは、私が誤解をとかなきゃ。いや、誤解じゃないけど。
「ヴェルドさん待って、その人は確かにそうだけど違うんです、いろいろあって今は味方です」
「味方?」
「私を攫ったのは命令でやってたんです。私が聖痕を外してあげたら助けてくれました」
「聖痕、ね……」
ヴェルドさんはまだ怪訝な顔でじっとフードくんを覗き込んで、フードくんは顔面蒼白になって冷や汗をかいている。仕方ない、もう少し援護射撃をしてあげよう。
「それにたった今ヴェルドさんが彼の命の恩人になったところなので、もう完全に味方ですよ。ね?」
「はい。実はセイラ様庇って死ぬ直前でした。マジで助かりました。魔王様に一生ついて行きます」
「……まぁ、お前がセイラを守ってくれてたのは本当みたいだな。そこは感謝する」
ふっとヴェルドさんの圧が和らいで、フードくんはほっとしたように息を吐き、脱力して姿勢を崩す。
「よかった……殺される相手が神官長から魔王に変わっただけになるところだった……」
「ヴェルドさんはそんなことしません」
「場所を変えるか。お前らの王様はどこだ?」
「俺は見ての通りこの国では最底辺の身分なので、王様のことはよくわからないですね」
フードくんの答えを聞いて、ヴェルドさんは再び周囲をぐるっと見渡す。けど、みんな彼に怯えきっていて、誰もその答えを口に出そうとはしなかった。
「……はぁ、本当に人間ってのはめんどくせえな。そっちから手ェ出してきたくせに、ちょっと威嚇したらすぐこれだ。俺が悪いのか?」
「ヴェルドさんは悪くないですよ。この人たちが勝手にヴェルドさんを悪い人って決めつけるから!」
「私が案内します」
ようやく口を開いたのは、神官長だった。
「ヴェルドさん、こいつが首謀者ですよ! なにか企んでるかも!」
神殿の魔力のこともあるし、何をしてくるかわかったものではないので、両手を構えて神官長を睨んでいると、彼はふっと小さな溜息をついた。
「そんなに警戒せずとも、私はもう神殿の魔力は使えんよ。先程結界が破壊されたときに術式も壊れている」
「ああ、それに関しては本当だ。ぶっ壊した俺が言うんだから間違いねえ」
「えっ」
ヴェルドさんが結界を壊したんだろうなとはなんとなく思っていたけど、まさかそんなことまでやってたとは。
「ちなみにどうやったんですか」
「別に……無効化できる許容量にも限度があるだろうからそれ以上の魔力をぶつけて、それに術式を破壊する魔法を組み込んだだけだ」
私たちがあれだけ苦労したのを、ヴェルドさんは一手で全て覆してしまった。彼に頼らずに頑張ろうとしたのに、結局助けられてしまった。しゅんとしている私の頭に、大きな手が被さる。
「こいつは結界に使ってる魔力をお前への攻撃に回したんだろ。だから結界が弱まってこの作戦をとれたんだ。よくやった」
「ヴェルドさん……!」
私が頑張ったのも無駄じゃなかったみたいだ。嬉しくて彼に抱きつく力を強めると、頭に乗っかった手が優しくぽんぽんとしてくれた。嬉しい。
そんなことをしているうちに、神官長が王の城へと歩き出す。私がくっついていては歩けないので、名残惜しいけれど一旦離れることにする。
「セイラ」
「はい?」
「ん」
黙って手を差し出された。私がまだくっつき足りないなと思っていたのは、どうやら彼にはお見通しだったみたい。その手に私の手を重ねれば、自然に指が絡み合って、そのまま歩き出す。
「公衆の面前でイチャつくのやめてもらえます?」
「どこかの誰かのせいでイチャつき不足なので仕方ないよね」
「どこの誰でしょうね……」
自覚があるようで何より。
居心地が悪そうにしているフードくんに存分に私とヴェルドさんのラブラブを見せつけながら、城までの珍道中は進んで行った。




