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ある神官の奸計

「――クソがッ、腰抜けのジジイどもめ!!」


 聖グレイズ王国において、教会の方針を決める評議会。まさにその意思決定の場で何度目かもわからない『却下』の決定を下された男――神官長は誰も聞いていないことを確認しつつ声を荒らげた。机を殴った拍子に本の山が崩れ、バサバサと不快な音を立てて床へと散らばる。


 男が出していた申請は、現在拘束している聖女への聖痕の刻印の許可だった。


 評議会も王も、聖女が魔王に洗脳されていると本気で信じている。だから洗脳を解きさえすれば問題ないと呑気に考えているのだ。


(儀式を初めて五日。ここまでやって解除できないのは、いくら相手が魔王といえど有り得ない)


 つまり、聖女は元々洗脳魔法など受けていなかった。そう考えるのが自然である。魔王に懸想し婚約を結んだのは紛れもなく彼女の意思であると男は確信していた。


 それは、男にとって非常に不味い事態でもあった。


(あとは聖女を使い、魔王を始末させるだけだというのに)


 男の計画に、聖女の力はどうしても必要だった。だから聖女に聖痕を使うことを評議会に認めさせたかったが、敢え無く却下されたのであった。


 評議会は高位の神官から選ばれた者たちでありながら、自分たちが余生をどう穏やかに過ごすかしか考えていない。聖女を手に入れることを許可したのだって、魔王がいつ世界を滅ぼすかわからないから。自分たちが怖いからだ。ただそれだけ。


 そのくせ、下の者が何か行動を起こすには一々彼らの許可が必要と来ている。


 男の苛立ちは最高潮だった。


(何故、この国はこんなもので満足している。この世で最も神に近い場所にありながらこんな狭い領土で)


 神がこの世界で最初に生み出し、拠点とした場所。聖地と呼ぶべき場所だ。それなのに、いつしか他国に遅れを取り世界は信仰を忘れ、この地は僻地と呼ばれるようになった。


(何故、この世で最も尊い方が隅に追いやられている)


 男にとって何よりも優先するものは、全ての神官の最上位に位置する大神官のことだった。神の声を聞き、神に祈りを捧げ、常に民を思いやる尊い人。


 彼が運営していた孤児院で育った男にとっては、ぽっと出の聖女などよりずっと信仰の対象であった。


 大神官はいつも神殿の最奥で祈っており、権力欲がないのをいいことに、この国は政治の中枢から排除している。男にとっては神への反逆に近しい行為である。


 男の目的は、聖グレイズ王国の領土を広げること。そしていずれ大神官を頂点とした世界を作ることだった。


 そのために上をそそのかし下を扇動しここまできたのだ。


「神官長様。戻りました」

「!」


 背後に音もなく現れたのは怪しく光る赤い瞳の青年。男の一番の切り札だ。


 聖女を使い、今の魔王を始末した後は、忠実なこの部下を魔王として擁立する。魔族は男の手駒と化し、世界は男の手にあるも同然だ。


「聖女が動きを見せました。明日の夜に決行を誘導してありますが、如何なされますか?」

「ご苦労。聖女様は本当に魔王に誑かされてしまっているのだな」

「そのようですね。そして脱走を試みたとなれば、流石の評議会も折れるでしょう」


 であれば、先に聖痕を刻んでしまおうか、と男は思案する。先に許可を得るか後から許可を得るかにそう違いはないだろう。


「……そうだな、そろそろ私も出るとするか」


 計画は万事順調である。男は怪しく笑った。




 ***




 誰もが寝静まった深夜。それを見守るように照らす月には時折雲がかかる。一際大きな雲が月明かりを遮った刹那、この国で最も高い場所、祈りの塔から二つの人影が飛び降りた。


 それらは音もなく地面へと降り立ち、聖グレイズ王国の西側――他国へと繋がる街道の方へ進路を進めた。


「なんか見張りさん少なくないですか?」

「夜だからですかね〜」


 脱走犯、もとい聖女とその共犯者は小声で緊張感のない会話を交わしながら走る。聖女はその片手間に見つかりそうになった見張りに次々と触れ、魔法をかけて眠らせていく。


 全ては音もなく、迅速に行われており、この脱走劇にまだ誰も気づいていなかった。


 気づいていない、はずだった。



「――そこまでです。聖女様」

「!」


 それが聞こえてきたのは、民家が密集する地帯を外れ、まばらになってきた頃合のことだった。脱走犯と共犯者は足を止める。


 目の前に広がっているのは、沢山の神官が行く手を阻むように並んでいる光景。聖女の癒しの魔法は対象に触れる必要がある。流石の彼女にもこの人数を一気に眠らせるのは不可能だった。


 先程までの違和感の正体に、ようやく聖女は気づく。


「……どうしてバレてるのかな」

「そりゃー、俺が裏切り者だからでしょうね」

「!」


 聖女が共犯者だと思っていた相手は、ゆっくりと神官たちの方へ歩みを進め、そちらへ味方するようにくるりと向きを変え、聖女へと対峙する。


「悪く思わないでくださいね。俺、別に聖痕があるからこの人に従ってたわけじゃないんですよ」

「そん、な……」


 悪びれもなくそう笑う男の姿を見て、絶望したように聖女は呟き、そのまま力なくぺたりと地面に座り込んだ。


 神官たちを代表するように中心に立つ男――神官長は満足気に微笑み、聖女の元へと一歩一歩、近づいていく。


「聖女を拘束しろ」

「はいはい、わかってますよ」


 神官長より一歩後ろに控えた元共犯者が魔法を発動させ、月明かりにも似た白い光が迸った。これで捕らえてしまえば最早聖女は逃げられない。


 脱走劇は破綻し、彼女は完全に男の手駒となる。男の計画は最終段階へと入るのだ。


「――なんちゃって」

「!?」


 聖女を拘束するはずだった魔法が捕らえたのは、神官長の方だった。思わず後ろを振り向けば、連れてきた大勢の神官たちも全員彼の魔法を受けて動きを封じられている。


 悪戯が成功した子供のように、赤い瞳の青年はニヤリと笑った。


「ほら、今ですよ聖女様!」

「言われなくとも! 全員おとなしくおねんねしててくださいね!!」


 先程まで生気を失っているように見えた聖女の瞳は強い光を取り戻し、彼女の行く手を阻むものたちへと魔法を放つ。次々と眠らされていく部下たちを見て、男はギリギリと奥歯を噛み締めた。


「――貴様、どういうつもりだ!」

「どういうって……所謂二重スパイってやつっすね」

「ここまで飼ってやった恩を忘れたのか!!」

「勿論忘れてません。今まで散々俺を利用し虐げてきた恩を存分に返して差し上げたんですよ」


 お気に召しませんでしたか? と尋ねる、完全に男の手を離れた手駒は非常にいい笑顔をしていた。月から雲が離れ、活き活きとしたその表情をはっきりと照らす。


 男にもだんだんと聖女の魔法が効いてきて、独りでに閉じようとする瞼がその輪郭をぼやかしていく。


「てかなんであなたこんなに効きが遅いんですか。不眠症ですか? 働きすぎはダメですよ」

「敵を心配してどうするんです聖女様よ」

「起きたらきっと元気になってるんで許してくださいね! じゃ!」


 体が言うことを聞かない。


 何故、自分がこんなふざけた者に出し抜かれている。こんなことで計画を終わらせてなるものか。ふざけるな、絶対に捕まえて操ってやる――。



 男が辛うじて知覚できたのはそこまでだった。

 完全に聖女の魔法にかかった男は、どさりと倒れ込んだ。


 軽快に走り去っていく二つの足音を聞いたものは、誰もいなかった。




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